‥‥‥‥‥‥‥yami-5
優しさと労りは微かな痛みを伴う。 けれど、ただ、それだけ。
KINGDAM 〜宵闇の章5〜
ざわめく教室内を見回して、恵子は吐息を吐き出す。授業の終わった教室内には、まだ、多くのクラスメイトが残っている。 だが、麻衣は、居ない。 また、旧校舎に行っているのだろう。 連日通っているのは知っているし、止める権利もないのだが、なぜか、溜息が漏れるのを止められない。 羨ましいのか、と問われれば、そうかもしれない。麻衣が足繁く通う場所には、見たこともないほど綺麗な少年が居て、優しい笑みを浮かべて待っているのだ。恵子たちも幾度か通ったが、優しい笑みを浮かべた少年が、麻衣だけを待っているのだと、すぐに悟った。 いいなー、ずるいなー、と恵子たちは麻衣をからかう。だが、実際は、麻衣が嬉しそうなので、ちょっと安堵していたりする。 ここ最近の麻衣は、なんだか、すごく、不安定だったから。 けれど、なぜだろうか。 旧校舎に向かう麻衣の顔を見ると、不安になるのだ。 嬉しそうなのに。 元気なのに。 (‥‥‥わかんないなぁ) 恵子は、もう一度、吐息を吐き出す。 そして、グラウンドの向こう側の旧校舎を見やる。いまにも崩れ落ちそうな建物は、ただ、そこに在るだけで嫌な感じがする。噂話のせいもあるだろうが、不安な気持ちを抱かせる。 (‥‥‥あれ?) 恵子は目を瞬いた。 なぜだろう。 不意に視界が歪んだ気がする。 正確には旧校舎の姿が、ぐにゃり、と歪んだ気がした。瞬きの後には元に戻ってしまったが。見間違いだと分かっていても、なんとなく、窓辺に寄る。 そして、恵子が、しみじみと旧校舎を見入っている間に、ソレは、徐々に大きくなっていた。 誰にも気が付かれないように、静かに、けれど、確かに。 ソレは、木々をざわめかせ、木の葉を拾い、砂を巻き上げ、徐々に徐々に姿を表した。そして、ソレを見ていながら、ソレを認識していなかった恵子が、異和感に気づくとほぼ同時に、姿を表した‥‥‥‥‥‥。 「‥‥‥あれ、なに?」 それは、渦だった。 木の葉と砂の小さな小さな渦だった。 端から現れて、徐々に大きくなって、校庭の真ん中へと踊りだした風の塊だった。その勢いと形が、空想上の生き物と似ているので、人は、こう呼ぶ。
------------竜巻、と。
硝子の割れる音と、悲鳴を浴びて、それは、さらに踊り狂った。 そして、それは、一つだけではなかった。 端から幾つも幾つも現れて、その内の三つほどが、大きく膨れ上がり、いまにも崩れ落ちそうな木造の建物へと突き進んだ‥‥‥。
※
倒壊した旧校舎の周囲には、人が集っていた。 けたたましく鳴るサイレンの音、指示を出す教師たちの怒声、それらをくぐり抜けて恵子は旧校舎に駆けつけた。 旧校舎には、麻衣が居る。 まさか、そんなまさか、と思いながらも不安を抱えて、駆けつけたのだ。 「‥‥‥麻衣、麻衣っっ!」 見回すが、見慣れた友人の姿はどこにもない。 けれど、一際背の高い男を見付けた。 寡黙で、近寄りがたい雰囲気の男が、誰なのか恵子は知っている。 話したことはないが、旧校舎の調査に来た人だ。 名前は‥‥‥名前は‥‥‥。 「リンさんっっ!麻衣は、どこですか!」 振り返った男の人は、僅かに目を見張る。 そして、後ろに視線を向けた。 人波をなんとか泳ぎ切ると、目の前には、あの、綺麗な綺麗な人が立っていた。 元々色の白かった肌は、透き通るように青白い。 「あの、麻衣は?」 「‥‥‥麻衣は、居ないよ」 囁くように応えて、綺麗な人は、天を仰ぐ。 「凄い竜巻だったね」 「え、ええ‥‥‥」 なぜかは、分からない。 だが、綺麗な人は、哀しんでいるように見えた。 「‥‥‥あの、他の方たちは大丈夫なんですか?」 「他?‥‥‥ああ、大丈夫だよ。もう調査は終わったし、後は帰るだけだったから。まあ、カメラが二台ほど下敷きになったけど、保険に入っているから」 「‥‥‥え、じゃあ、もう、帰るんですか?」 「うん。帰るよ。‥‥‥たぶん、もう、二度と、ここには来ない」 「え、え、え、でも、じゃあ、麻衣は‥‥‥」 戸惑う恵子に、綺麗な笑みが返る。 「麻衣にお別れはしたよ。彼女は、大丈夫。きっと幸せになれるよ。君も、元気で。‥‥‥さようなら」 いまにも壊れてしまいそうな脆い硝子細工のような笑みを残して、少年は立ち去った。
そして、笑顔の可愛い少女も、この日を境に、姿を消した。周囲の者がどれほど探しても、見付かることはなく‥‥‥。 旧校舎の噂を一つ増やして、消えた。
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