‥‥‥‥‥‥ aka-1

 

 

 

 

     1

 

 

 

 

「‥‥‥‥‥‥赤」

 ぽつりと漏らされた言葉が、麻衣には、信じられなかった。

「右端の赤のドレス」

 綾子が、突然、麻衣のドレスのことでナルに絡み出して、いつ、氷点下の吹雪が吹き荒れるか、もしくは、いつ、雷が落ちるかと、びくびくどきどきしていたのに‥‥‥。

(‥‥‥あか?)

 ナルは、いつもの毒舌が嘘のように、きついことは、なにも言わなかった。

 そして、あり得ないことに、答えを返した。

(‥‥‥みぎはしのあかのどれす?)

 嬉しいけれど、突然で、信じられなくて、麻衣は、動揺した。

 なんで、なにが、どうなって。

 もしかしてなにか変な物でも食べたのでは?

 ‥‥‥と、ぐるぐるぐるぐる混乱した。

 嬉しいけれど、素直に受け止められないのは、ナルがナルだからだった。

 冷たい酷い人だとは思わないけれど、甘い優しいだけの人ではないことを、麻衣は良く知っている。むしろ、表面上は、非常に厳しく、臓腑を抉るような毒舌を常に吐き出しているような人で‥‥‥なにがどう間違っても、麻衣の為にドレスを選んでくれるような人ではなかった。

 そう、綾子に絡まれているので、鬱陶しいから適当に、という、ことさえ、馬鹿馬鹿しい、の一言で断ち切って、絶対に、しない人だ。

 なのに、なぜ?

(ややややや、やっぱり、なにか変な物を食べたんじゃあ?)

「あら、似合うじゃない。意外ね」

「ほんとうですわ。意外に、麻衣は、赤が似合いますわ」

「色が鮮やかだけど、素材が柔らかい感じだからかしら。それにしても、ナルって、見てないようでちゃんと見ているのねぇ。ああいうのを、むっつり助平と言うのかもね」

「‥‥‥それは、ちょっと」

「そうですね、それは、ちょっと。所長に聞かれたら、臓腑をえぐり取るよう反撃をされますよー。松崎さんは、勇気がありますねー。僕には、とてもとても真似できません。流石です」

「‥‥‥ちょ、ちょっと、ナルには言わないでよ!」

「あたりまえですわ」

「言えるわけがありません」

「「後の反撃が恐ろしいですから」」

「‥‥‥と、ともかく、麻衣のドレスが決まったわね。麻衣、ほら、着替えるわよ!」

 大きな声で呼ばれて、麻衣は、ぐるぐるから解放された。

 だが、次の、ぐるぐる‥‥‥混乱の源が待ち構えていた。

「はい」

 と、渡されたのは、赤いドレス。

 派手なドレスの中でも一際鮮やかな赤のドレス。

 よりにもよって、どうして、これが、と、麻衣は、泣きたくなった。

 もしかして、これをナルが選んだのは、騒いで迷惑を掛けたことへの仕返しなのだろうか、と、麻衣は、ちらりと思った。そう思ってしまうほどに、それは、麻衣が着るには、分不相応な鮮やかな色をしていた。

「ででででで、でも、これ、すごい派手だし‥‥‥」

「大丈夫。似合うわよ。ともかく、着てみなさい。着てみて駄目なら、他のにすればいいんだし」

「‥‥‥そそそ、そうだけど」

 でもでも、と、口ごもる麻衣を余所に、綾子たちは、着々と準備をした。

 あのドレスなら上に羽織るものは、靴は、と、とても楽しそうだ。

 そして、資料室からリンさんが連れ出され‥‥‥。

「ほーら、さっさと着てきなさい」

 麻衣は、資料室に、ドレスごと、ぽーんと放り込まれた。

 

 

     ※

 

 

 ふと、喉の渇きを覚えて、ナルは、書類から意識を逸らした。

 そして、思い出した。

 麻衣は、居ないのだということを。

 机の上には、空になったカップが置かれている。

 それを置いたのは、出掛ける直前の麻衣だった。

『‥‥‥‥‥‥ナル、体調とか、大丈夫?』

 なぜかひどく不安そうな顔をしていた麻衣は、鮮やかな赤を身につけていた。

 ナルが選んだ、真紅のドレスを。

 似合っている、と、ナルは素直にそう思った。

 思った通り、麻衣には、赤が似合う、と。

 だが、勿論、そんなことを声に出したりはしない。

 無意味で無駄なことだからだ。

 だから、麻衣の質問にも、答えなかった。

 そして、それは、いつものことだった。

 気にする必要など欠片もないことだった。

 だが、なぜか、今日は‥‥‥。

『‥‥‥‥‥‥ナル、あんまり無茶したら駄目だよ?』

 なぜか、気になる。

 赤色のドレスを着た麻衣が、奇妙に、鮮やかに、脳裏に蘇る。

 だが、どうしてなのかは、分からない。

 ただ、気になった。

 そうして、不必要なことだと切り捨てようとしても、うまくいかない。

 珍しく、不愉快なことだった。

「‥‥‥ナル」

 そして、不愉快なことは、連続した。

「広田さんがお見えです」

 頭の固い男の来訪をリンに告げられて、ナルは眉間に思い切り皺を寄せた。

「‥‥‥‥‥‥」

 これ以上不愉快な思いはしたくなかった。

 だから、ナルは、少し、迷った。

 だが、ナルは、不愉快だが、仕方ないと、割り切った。

 広田は、頭の固い不愉快な男だ。

 だが、だからこそ。

 広田が持ち込む話は、価値がある可能性が高いのだから、仕方ない、と。

    

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥menu    back   next