‥‥‥‥‥‥‥second -6

 

 

     ※

 

 

 マンションに戻ると、彼らが居た痕跡は綺麗に消されていた。

 麻衣は、途方に暮れた顔をして、居間に立ち尽くしている。

「‥‥‥‥‥‥お茶、煎れてくるね」

「‥‥‥‥‥‥ああ」

 いつもの会話だ。だが、麻衣の顔色が悪いことに、ナルは気付いていた。

 その理由も。

(‥‥‥‥‥‥‥‥‥役立たずめ‥‥‥)

 心中で罵倒すると、返る声がある。胸元にしまった鏡を中継して、伝わって来るのは苦笑する気配。

(‥‥‥‥‥‥ひどいな。あれは、僕の責任じゃないよ。だから、止めたのに。接触させると決めたのはナルだろう?)

(うるさい)

(‥‥‥‥‥‥目的は達成されたみたいだね。奴が、標的を麻衣からナルに移したみたいだ。よほど、目の前で麻衣を連れて行かれたのが悔しかったみたいだね。しかも、ナル、内面はともかく、勝ち誇った顔であざ笑ったし‥‥‥)

(‥‥‥‥‥‥来てるのか?)

(うん。覗きに来てる。‥‥‥凄い顔で)

 ナルは、口元に笑みを浮かべた。壮絶な、性質(たち)の悪そうな笑みだ。

(‥‥‥‥ナル、なーに考えてるのかなぁ?あんまり刺激しないでよね。それに麻衣はいま、ただでさえ、彼女たちに干渉されて情緒不安定なんだから。そっと慰めてあげるぐらいにしときなよ?)

(‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥)

 ナルは、無言で、鏡を胸元から取り出す。

(あ、ちょっと、人の忠告は‥‥‥‥‥‥)

 ナルは意識を、回線を、容赦なく遮断する。

 途端、勢い良く溢れる水の音が聞こえてきた。

 

 お茶を煎れる、といってキッチンに入った麻衣は、顔を洗っていた。幾度も、幾度も、幾度も‥‥‥その姿は、異様なほど思い詰めているように見える。

 事実、彼女は、いま、普通の状態ではない。

 ジーンによって回線を塞がれているとはいえ、すべてを遮断できるわけではない。

 水無月亨によって殺された女性たちは、助けを求めて、叫んでいる。その声を、麻衣は聞いている。‥‥‥無意識の内に。

 それに同調すればラインが繋がり、奴が現れる。だから、隔離することに決めた。繋がってしまえば、壁も距離も意志も、役に立たない。リンが張った結界も。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥助けて‥‥‥。

 

 闇の中、空中に伸ばされる細く白い手は、自らの血で赤く染まっていた。呼びかける声は、引力を持っている。‥‥‥麻衣は、確実に引きずられるだろう。

 呼ぶ彼女たちは、新しい仲間を増やしているのだと気付いてはいない。

 それさえも奴の思惑通りなのだと‥‥‥分かることができないほど、歪み、疲れはて、絶望している。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥お兄ちゃん‥‥‥。

 

 ジーンが知らせてこなければ、麻衣も、同じような末路を辿ったかもしれない。

 奴を拒絶した麻衣に渡されたグラスには、赤い液体が数滴垂らされていた。もしもあれを飲んでいたら、もしもナルが迎えに行かなければ‥‥。

 仮定は仮定でしかない。

 ナルは軽く頭を振って、馬鹿な想像を追い払った。そして、未だに背後に立つナルに気付かない麻衣の背に声を掛ける。

 

「‥‥‥‥‥‥なにをしている?」

 

 顔を洗っていた麻衣の体が、びくり、と震えた。

「‥‥‥‥‥‥カオ‥‥‥洗ってるの‥‥‥」

 いま、麻衣は、普通ではない。

 奴との接触により、彼女たちに近づき同調して‥‥‥怯えているだけだ。

 だから、いまは‥‥‥触れるべきではない。

 そう分かっているのに。

「‥‥‥‥‥‥ありがと」

 いまにも泣き出しそうな顔で微笑む姿は‥‥‥。

 理性をあっけなく崩す。

(‥‥‥‥‥‥どうして分からない?)

 こんな夜中に、誰の助けも期待できない場所に、どうして黙って付いて来たのか。

 鳶色の相貌に浮かぶ絶対の信頼が‥‥‥。

 いまは、鬱陶しい。

(‥‥‥‥‥‥ヤメロ‥‥‥‥‥‥)

 細心の注意を払って、傷つけないように、頬に、額に、唇に、触れる。

(‥‥‥‥‥‥ダメダ‥‥‥ハナレロ‥‥‥)

 そう思うのに、彼女が微笑んだ。

「‥‥‥‥‥‥ナル‥‥‥大好き‥‥‥‥‥‥」

 ナルは、細い体を荒れ狂う衝動のままに掻き抱いた。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥lastkissmenu    back   next