‥‥‥‥‥‥‥second -5
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麻衣の居る店は、繁華街の奥まった所にあった。 中二階の玄関は、黒。看板もシンプルな文字一つ。黒に金字。店名は<BLACK>。 視線を僅かに逸らせば、こちらを見張っている男と目が会った。おそらくは警察関係者だろう。目礼に視線だけ返して、扉を開けば、うるさい音楽と共にざわめきが流れ出す。 (‥‥‥うるさい) 眉間に皺を寄せたまま、ナルは、店内に足を踏み入れる。 視線は、まっすぐに、店の奥にいる麻衣を捕らえていた。 そして、その隣りに立つ男を見つけて、漆黒の相貌が色を深くする。
水無月亨。
資産家の一人息子として生まれ、ある程度の能力を有し、ある程度の容貌を持ち、特に虐げられたこともない青年が、そこに居た。難を言えば、一人息子であるがゆえに溺愛され、我慢することを教えられずに育ったことだろう。 調査では、幾つかのもみ消された傷害事件と暴行事件が浮かんだ。 もみ消したのは母親。法外な慰謝料と、有能な弁護士の圧力によって、被害者たちの口を封じている。 悪事は露見せず、罰も受けずに済んだ男は、さらに増長し、豊富な資金を元にして商売を始めた。媚薬、やせ薬、などと称して目星のつけた女性を麻薬漬けにして売春の強要。さらには大学関係者を抱き込んでの裏工作。 そして、それはさらにエスカレートした。
『‥‥‥おまえは、俺の玩具なんだよ』 『逃げられるわけがないだろ』 『逆らうなっ』
光りの射さない闇の中、悲鳴を響き渡らせていた男が、間違いなくそこに居た。 悲鳴を上げていた女性のほとんどが生きていないことをナルは知っている。 そんな男が、麻衣の側に居る。 いま、そこに。
麻衣は、困り果てた顔をして、男を見上げている。男は、下卑た笑いを浮かべて、麻衣を追いつめる。 そして、麻衣の腕を掴み、引き寄せ、 彼女の頬に、 口づけた。
(‥‥‥‥‥‥‥‥‥ヤメロ‥‥‥)
それは、奴にではなく、己への警告。 手の先が僅かに痺れるのは、力の暴走が始まる前触れだ。こんな所で、こんな時に、暴走している暇はない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ナル‥‥‥‥‥‥」
指の痺れが、その声を聞いた途端、治まった。 泣きそうな、いつもとはあまりにかけ離れた細い声ではあったが、そこに確かに含まれている縋るような響きが、心地よい。
「はじめまして、こんばんわ。主催者の水無月です。よろしかったら、少し、遊んでいきませんか?あなたのような綺麗な人が居てくれると盛り上がるんで」 へらへら笑いながら奴が近付いて、戯れ言をほざく。 聞く価値がない。 それどころか、耳が腐る。 こんな腐った男が麻衣に触れたのかと思うと‥‥‥再び抑えがたい破壊的な衝動が沸き上がる。だが、いまは、その段階ではない。 「‥‥‥迎えに来ただけですので」 「怒ってます?」 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 「彼女、とても可愛いですから、気を付けた方がいいですよ。狙ってるの、俺だけじゃないですから‥‥‥」 殺されたい、と申告する男から視線を外す。 それだけで恐ろしいほどの精神力を必要とした。
無視するナルの肩を、水無月が、掴む。
それが、どれほど危険なことか知らない、無知ゆえの暴挙に、ナルの体が僅かに硬直する。 ふっ、と意識の奥で、なにかが切れる。抑えていた衝動が、浮き上がろうと足掻く。 (‥‥‥‥‥‥‥‥‥キエロ‥‥‥‥‥‥) だが、麻衣がナルの腕に飛びつくようにしがみついたとたん、自分自身では抑えきれなかった衝動が、霧散する。‥‥‥笑えるほど、簡単に。 「―――――――――――― 帰ろう!」 麻衣に引っ張られながら、 ナルは、 ほんの一瞬、 後ろを振り返った。
‥‥‥‥これは僕のモノだ。 ‥‥‥‥おまえごときが触れていいモノではない。
嘲笑の笑みを口元に刻んで。 |
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