‥‥‥‥‥‥‥second -4
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待ちに待った連絡があったのは、日付が変わる頃。 氷点下の室内には、そろそろ凍死してしまいそうな広田の姿があった。安原は、すでに隣室のリンの部屋に避難している。調査用の資料などを集めるためなのだが、それは、ここでもできるので‥‥‥やはり逃げたと言うべきだろう。 『‥‥‥‥‥‥ナル?‥‥‥遅くなってごめん。あの、遅くなり過ぎたし、悪いから、友達とタクシーで』 彼女の声は、広田にも、同席しているリンにも、たまたまこちらに戻っていた安原にも聞こえていた。すでに、密かに付けられた護衛から、麻衣が連絡をしようとすると邪魔をする女性が居ることが知らされており、また、その女性が麻衣の友人であり、なおかつ水無月亨と親しいということも分かっている。 ざざざざざざっ、と三人の血の気がひく。 「そこで大人しくしていろ」 静かな声だった。だが、怒鳴りつけるより遥かに恐ろしい気迫は、電話越しでも伝わったようだ。 『‥‥‥‥‥‥わ、分かりました‥‥‥』 動揺している。
「‥‥‥‥‥‥ナル、私が運転しましょうか?」 電話を切ったナルに、リンが控え目に申し出る。 「いや、必要ない。‥‥‥麻衣は勘だけはいいからな」 それだけ言いおいて、黒衣が翻る。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥いやあ、恐かったですねぇ」 室温を下げていたナルが居なくなった途端、ほのぼのとした声が響き渡る。 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 声もなくソファに沈没していた広田は返事をしない。むろん、リンも。 だが、そんなことでめげる安原ではない。 「しかし、珍しいですねぇ。‥‥‥所長、なんだか、焦ってませんか?谷山さん絡みだから、という理由だけではどうにも納得できないんですが」 なにか知りませんか、という視線を受けた広田は、知るか、と力無くぼやいた。 そして、リンは、微かに眉間に皺を寄せる。 「‥‥‥‥‥‥今回の一件には、ユージーンが深く関わっています。警告をしたのも彼ですし‥‥」 「ああ、なるほど‥‥‥」 安原は納得した。広田は置き去りだ。 「‥‥‥‥‥‥なにがなるほどなんだ?」 「いえ、大したことではありませんよ」 にっこり。 笑顔で拒絶して、安原は腰を上げた。 「では、撤収しましょう。これ以上、所長の邪魔をして、馬に蹴られて死にたくはありませんから」 「‥‥だが、まだ、谷山さんの安全の確認を‥」 広田に、二人分の呆れ果てた視線が向けられる。 ついでに、吐息もセットされた。 「広田さん‥‥‥所長は、ここに、谷山さんを連れて帰ってくるんですよ?」 「それは当然‥‥‥」 広田は、はっ、と目を見開いた。 「それにこんな時間に、こんな場所に、僕たちが居る理由をどう説明するんですか?谷山さんには、秘密なんですよ?」 いまさらながらの確認に、広田は、もごもごと口ごもる。 ものすごくなにか言いたそうだ。 「‥‥‥‥‥‥つまり‥‥‥あの二人は‥‥‥」 質問を遮って、安原は重々しく頷いた。 「広田さんのご想像どおりです。だから、気合いを入れて下さいね。谷山さんになにかあったら‥‥‥死より恐ろしい制裁は免れませんよ」 安原の目は、真剣そのものだった。
※
『‥‥‥僕は絶対に反対だよ。危険過ぎるからね』
麻衣に囮役をさせる、と決めた時、ジーンは猛反対した。なにも知らないまま囮となることは、確かに、危険だ。そんなことは分かっている。だがその危険を上回る必要性を、ナルは重視した。 必要なことだ、と理性は説く。 いまも間違っているとは思わない。 だが、いともたやすく手足を締め上げるのは、苛立ちと焦り、そして、認めたくはないが、彼女を喪うかもしれないという恐れだ。
『‥‥‥‥‥‥ついでだからな』
迎えに行く、と告げた時、麻衣は目を見張った。 信じられない、という顔の後、幸せそうに笑った。その笑顔が、幾度も、脳裏に浮かぶのは、なにも知らせずに危険に晒している罪悪感からだろうか。 (‥‥‥‥‥‥馬鹿馬鹿しい) 罪悪感など意味がない。 意志を翻すつもりも、詫びるつもりもない。必要な措置だ。最良の選択だ。 そんなことは分かり切っているのに、苛立ちは、消えない。 ナルは苛立ちを奥底に秘めたまま、車をパーキングに止めた。ドアを開けて、閉める。その動作に、一刻を争っている者特有の荒さはない。だが、
バンッ。
思いがけず強い音を響かせて、ドアが閉まる。 押さえ込んだはずの苛立ちが、無意識の内に発散されてしまったようである。 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 ナルは微かに眉を顰めると、口元に自嘲の笑みを刻んだ。 |
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