‥‥‥‥‥‥‥kd-8-2
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しん、と静まり返ったリビングを抜けて、ジーンは書斎の扉を開けた。 そこには、いつものように、ナルが居る。 そして、いつもと違うのは、簡易寝台の上で、荷造りを手伝って疲れはてた麻衣が寝ていること。 そして、明日、二人が、この世界から消えるということ。
「ナル、お茶、飲む?」
いつものように無視されたので、いつものように、紅茶を前に置く。 あまりにもいつもどおりなので、本当に、明日、居なくなるのだろうか、と疑問に思ってしまう。いや、そう思いたいのかもしれない。 二度と、会えない、なんて、思いたくない。 そんなの、寂しいから。 「ねえ、僕、聞きたいことがあるんだけど」 どうしてもなにがあっても聞きたいことだったので、ジーンは、ナルが読んでいる本を取り上げた。 「‥‥‥‥‥‥なんだ?」 「麻衣と一緒に行くって決めたの、いつ?」 一時帰国した時、ナルは、ルエラ達に別れを告げた。そんなことまったく知らなくて、ナルを詰ったことを覚えている。 申し訳ないな、と思うけれど、話してくれなかったのだから、仕方ない、とも思う。 「‥‥‥話す必要性を感じないが」 「僕が満足するよ?」 満面の笑みを浮かべたジーンと、眉間に皺を寄せたナルは、しばし睨み合う。 勝者は、当然のごとく、ジーンだった。 「‥‥‥はっきりとしないが、恐らくは、初めて出会った日に」 「へ?」 「予感がした。こいつと、行くだろう、と」 「へ、へえ‥‥‥その割にはきっぱり断ってたよね」 「ああ、行きたくなかったからな」 「‥‥‥じゃ、じゃあ、なんで、行こうって気になったの?」 「‥‥‥話す必要があるとは思えない」 ナルは、ぷいっ、と横を向いた。 珍しい仕草に、ジーンは、笑みをこぼす。 「教えてよ。‥‥‥最後なんだから」 声は、意図せず、掠れた。 目が、なぜか、熱い。 ああ、駄目だ、と思うのに、止まらない。 「‥‥‥なんで、涙なんか、出るんだろう?」 ジーンが途方に暮れて尋ねると、吐息のような声が返る。 「‥‥‥‥‥‥馬鹿だな」 「うん、馬鹿かも。僕、けっこう、寂しいらしいね」 口に出したら、胸が、しくしく、と痛んだ。 「‥‥‥ねえ、ナル、教えてよ」 答えは、吐息と、ライン。 ここしばらく、麻衣が来てから、ずうっと閉じられていたラインが、なんの規制もなく、繋がった。 「‥‥‥‥‥‥ナル?」 「待ってろ。‥‥‥麻衣、起きろ」 ジーンの問いかけを無視して、ナルは寝ている麻衣を起こす。 眠そうに目を擦りながら麻衣は目を開けて、当たり前のように、ナルにしがみついた。途端、ジーンの瞼の内側で、光が弾ける。
ナルが読み取った麻衣は、光そのものだ。 拒絶の欠片もなく、すべてを信頼し、明け渡している。目眩を感じるほどの無防備な心は、ただ一人だけに、向けられていた。 すべては、ナルに。 ただ一人の主に。
「‥‥‥‥‥‥いいな」
瞼の内側の光を感じながら、ジーンはぽつり、と漏らす。 途端、繋がれていたラインが、ぶちり、と途切れた。光は消え失せ、目前には、ナルと、ナルにしがみついた麻衣が居る。 「‥‥‥羨ましいよ、ナル。ナルは、唯一無二の存在を見つけたんだね」 見つけられたとも言えるが、それでも、羨ましさに代わりはない。 与えられるはずのもので抉られた穴を抱えているのは、ナルだけではない。 ジーンだって、いつだって、求めていた。 なにものにも埋めることのできない、暗い傷を、抉られた穴を、埋めてくれる人を探していた。求めていた。お互いが居れば、支え合って生きていくことはできるけれど、同じ傷は、二人では埋められなかったから。 それは、いつだって、浸食しようとしている。 いまも、取り残される寂しさを糧に動き出そうとしている。 いまさらなのに。 取り返しなどつかないのに。 祝福しているのに、ただ、叫びたい。
寂しい。置いて行かないで、と。
でも、その叫びは、頑なに幸せを拒んでいた少女を深く傷つけると分かっているから、言わない。ようやく、光を捕まえた片割れを困らせると分かっているから、言わない。たとえ痩せ我慢でも、二人の為なら、耐えて笑って見せよう。
「‥‥‥‥ねえ、ナル、お願いがあるんだけど」
けれど、そのためには、必要不可欠な支えがいるから。最後に、我侭を一つ、弟に贈ることにした。
「‥‥‥僕が死ぬ前に、抜け道を見つけてね」 「‥‥‥‥‥‥」 「期待してるから」 人は、虚海を越えられない。 そう聞いたけれど、なにごとにも抜け道と特例がある。 だから、最後に、ねだっておく。 万が一の幸せの為に。 「‥‥‥努力は、する。それでいいか?」 不確定な約束はしないナルの、精一杯の答えに、ジーンは満面の笑みを返した。
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