‥‥‥‥‥‥‥kd-8-1

 

 

 室内は、雑然としていた。

 その中心で、本と紙に埋もれているのは、主。

 誰よりも、大切な人。

 そっと近づくと、漆黒の綺麗な双眸が、なんの用だ、と問いかけてくる。

 少し不機嫌そうなのは、私のせい。

 私が、とても、愚かだったから。

 

「‥‥‥あの、お話しが」

「なんだ?」

「お願いがあるんです。‥‥‥一つだけ」

 

 いまも、胸の内では、不安が渦を描いている。

 恐ろしい底なし沼へと、叩き落とされる時を、恐れている。

 けれど、確たる約束のない未来に怯えて、疑うことは愚かだと、ようやく分かったから、一歩を踏み出す勇気が湧いた。

 

『あなたがするべきことは、ただ一つですわ』

『幸せになりなさい』

 

 背を押してくれたのは、優しい、優しい人たち。

 責められることを覚悟したのに、一度も、一言も、責めなかった。

 頑張りなさい、幸せになりなさい、とそれだけ。

 あれほどに優しく強い人たちの代わりになどなれるわけがない。

 けれど、それでも、側に居たいから‥‥‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥禅譲はしない、と約束して下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、民にとっては、良くないこと。

 けれど、他の主を欲しいとは、決して思えないから。耐えられないから。

 

「馬鹿だな」

 

 冷ややかな声が、耳に痛い。

 そう、馬鹿なことだ。いま、禅譲の話をするということは、未来を信じていないということだ。

 王として選びながら、王になって欲しいと願いながら、終わりを予感しているということなのだ。

 

「そんなことを怖がっていたのか」

 

 ナルは、謝ろうとした麻衣の腕を掴んで引いた。そして、抱きしめる。強く、強く、息が苦しいほどに。

 

「心配しなくとも、きちんと僕を巻き込んだ責任は取らせてやる」

「‥‥‥本当に?」

「ああ、本当だ。‥‥‥第一、そんなことは今更だろうが」

 意味が分からなくて、麻衣は、首を傾げた。

 

 

 

 

「‥‥‥どうせ死ぬのなら、僕の側で死ね」

 

 

 

 

 麻衣は、大きく目を見開いた。

 そして、鳶色の双眸を揺らす。

 溜まった涙が、堪えきれず、伝い落ちる。

 その涙を舌で舐め取って、美しい主は、不敵な笑みを浮かべた。

「‥‥‥僕の側で死ぬのは、いやか?」

 確信と自信に満ちた問いに、麻衣は首を激しく横に振った。

 

 

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