‥‥‥‥‥‥‥kd-fifth-3

 

 

      ※

 

 

 深夜、麻衣は寝室を抜け出して、書斎へ向かった。

 そこには、帰って来たばかりなのに本に埋もれているナルが居る。

「‥‥‥あの‥‥‥お側に居てもいいですか?」

 ジーンは知らないが、麻衣は時折、こうして、書斎を訪れることがあった。本を呼んだり、論文を打ったりしているナルを眺めながら過ごす一時は、麻衣にとってはとてもとても幸せな一時だった。

 しかし、今日は、駄目かもしれない。

 帰宅した時の騒動を考えれば、当然だろう。

 だが、予想に反して、ナルは視線を向けることなく、いつものように素気なく答えた。

「好きにすればいい」

 麻衣は満面の笑みを浮かべて、いつものように、隅っこに置かれた簡易寝台に腰掛けた。

「‥‥‥調子は?」

 麻衣は目を瞬く。

 ナルが話しかけて来るのは酷く珍しい。

「‥‥‥大丈夫です」

「あとどれぐらい持つ?」

 麻衣はしばし考えて、正直に答えた。

 嘘は言いたくなかったので。

「分かりません」

「‥‥‥分からないのか?」

「はい。個人差がありますから‥‥‥」

 それでもあまり保たないことだけは分かっている。

 

『クリスマスには、大きいケーキを作ろうね』

『お正月になったら、お祭りに行こう』

 

 たくさんの優しい約束を破ることは哀しいが、仕方のないことだ。

 喜ばしいことでもある。

 これで、ようやく、新しい麒麟が生まれることができる。

「‥‥‥嬉しいか?」

 すぐ間近で声がした。

 俯いていた顔を上げると、いつのまにかすぐ間近にナルが立っていた。

 深い深い闇夜のような漆黒の双眸で見下ろしている。

(‥‥‥綺麗‥‥‥)

 幾度見上げても、その深さに溺れそうになる。

 溺れないように縋りつくと、強く抱きしめ返された。

(‥‥‥このまま死ねたらいいのに‥‥‥)

 そう願うことはあまりに罪深い。

 けれど、思わずには居られないほど、幸せだった。

「‥‥‥なぜ、僕を選んだ?」

 問いかけに麻衣は答えられない。

 それは、麒麟の本能だ。

 理由も理屈も必要ない。

 麒麟は王を選ぶ。

 ただ一人を選んで、永遠を生きる資格を与える。

 それをどう生かすのかは当人次第ではあるが。

「‥‥‥分かりません」

「間違いかもしれないぞ」

「‥‥‥いいえ、間違えたりはしません」

「絶対に?」

「絶対に」

「現に、僕は、誓約を拒絶しているのに?」

「はい。間違いありません。ナルが私の主です」

「どうしても代えられないのか。ジーンでも?」

「‥‥‥‥‥‥できません」

 きっぱりと言い切った麻衣の髪を梳く手は、優しい。

 優しいからこそ、切ない。

 こんなにも優しい人が、誤解されることが、辛い。けれど、麻衣が違うといえばいうほど、ジーンは怒る。

(‥‥‥どうしたら‥‥‥)

 このままでは麻衣が死んだ後、二人の間には溝ができる。

 そんなこと、望んでいないのに。

 

 

「--------誓約とは、どうするんだ?」

 

 

 唐突な問いに、麻衣はナルを不思議そうに見上げた。

「やってみせてくれないか。見てみたい」

「でも‥‥‥」

「見たい」

 麻衣は、渋々とうなづいた。

 そして、ナルの足下に跪く。

 

「‥‥‥御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと誓約致します」

   

 決して言葉にすることはないと思っていた言葉だ。偽りとはいえ、嬉しい気がする。

 だが、次の瞬間、麻衣は全身を凍り付かせた。

 

「------赦す」

 

 低く、静かに、声が響く。

 確かな、主の声が。

「なんて‥‥‥ことを‥‥‥」

「嬉しくないのか?」

 笑いながら問われて、麻衣は、叫んだ。

「馬鹿!大馬鹿!」

 あれほど色濃く浮き出ていた死相が消え失せ、溢れそうなほどの生気が小柄な体に満ちている。

 それを確認して、ナルはより一層、楽しげに笑った。

「誓約は取り消すことができないのに‥‥‥」

「知ってる」

「國が傾けば死んでしまうのに‥‥‥」

「分かっている」

「ならば、なぜっっっ」

 激昂する麻衣を抱きしめて、ナルは言い切った。

 

 

「面白そうだから」

 

 

 麻衣がさらに怒り狂ったことは言うまでもない。

 

 

 

 

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