‥‥‥‥‥‥‥kdsecond-4
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「‥‥‥‥‥‥帰る?」
ケイリンが唐突に帰る、と言い出したのは、夕飯の準備を手伝っていた時だった。ジーンは手を止めて、ケイリンを見下ろす。 一月一緒に暮らした少女は、真摯な眼差しをしている。 覚悟を決めた目だ。 ずっと考えて決めたことなのだと、強い光を宿した相貌が語っていた。 「どうしても?」 「はい」 頷く少女を見おろして、ジーンは困り果てる。 確かに、このまま、ここに居ても、ナルが頷くことはありえない。 そして、少女の細い肩には、一國の命運がのしかかっている。 いま、この瞬間も、飢えて苦しむ人々が、彼女の選択を、新しい王を、待ち詫びているのだ。長々と無駄に時を過ごすことは、罪ともいえる。 それでも、もっと、一緒に居たかったな、とジーンは思う。 もう二度と会えないだろうから、なおさらに。 「ナルを説得するのは諦めたの?」 少女は苦笑した。 ジーンも苦笑を返す。 説得などできるわけがないと分かっているから。 「‥新しい王様は物わかりの良い人だといいね」 ケイリンは目を瞬いた。 「新しい王様?」 今度は、ジーンが目を瞬いた。 「帰って、新しい王様を選び直すんでしょ?」 王は選ばなくてはならない。 どうしても、居なくてはいけない存在なのだと、ジーンは教えて貰った。 王の不在が長引けば、國が滅びると。 「違うの?」 ケイリンは、すぐには、答えなかった。 その沈黙が、ジーンは、なぜか、いやだった。 「‥‥‥‥‥‥大丈夫です」 ふわりと浮かぶ笑みは柔らかく暖かく、そして、どこか、脆い。 触れたら壊れてしまいそうなほどに。 (‥‥‥‥‥‥‥‥‥帰したら、駄目だ) ジーンは唐突に、そう思った。 (‥‥‥‥‥‥‥‥‥なにか隠してる) しかも、恐ろしく、大切で、嫌なことを。 この手の勘は、良く当たる。 嫌になるほど、良く当たるのだ。 しかし、では、どうしたら? (‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥) しばし、考えて、ジーンはじゃがいもの皮を剥いていた手を止めた。 そして‥‥‥‥‥‥。
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かたり、と扉が開くのを、ナルは意識の隅で知覚する。視界の端に、長い栗色の髪が揺れるのが見えた。 「‥‥‥‥‥‥あの‥‥‥お話が‥‥‥」 いまにも途切れてしまいそうなほど、細くて、小さな声が、室内に響く。 それを無視してしまうのはあまりに簡単なことだったが、ナルは、意識をケイリンに向ける。 ナルが視線を向けると、鳶色の眼差しが見開かれた。 驚いているのだろう。 仕事を中断して話しを聞くとは思っていなかったに違いない。 その予測は正しい。 ジーンが<ライン>を使って、わめきたてていなければ、無視していただろう。 いつもどおり。 だが、ジーンの嫌な予感は、良く当たる。 面倒だから、と無視した場合、後々になって困った事態を引き起こすことは分かり切っているので、早めに対処した方がいいと判断しただけである。
「‥‥‥‥‥‥あの、私、國に帰ります」
意を決して語られた内容は、予想範囲内の出来事だった。 彼女の望みを叶えることは、できない。 彼女の世界に興味はあるが、すべてを捨てて赴くほどの魅力は感じなかった。 そもそも、いまは、新しい論文の作成で忙しい。 そんなことを考えている余裕などない。 ないはずなのに、なぜか、ナルは立ち上がっていた。 そして、手を、掴む。 細くて、白くて、いまにも潰してしまいそうなほど柔らかな手を。 「‥‥‥‥‥‥な、ナル?」 戸惑いながらも振り払うことをしないのは、なぜなのか。 答えは簡単だ。 彼女にとってナルは主。 逆らうことを許されぬ存在だから‥‥‥。
(‥‥‥‥‥‥愚かだな‥‥‥‥‥‥)
ナルは口元に自嘲の笑みを微かに浮かべた。 愚かなのは、なんの疑問も抱かずに天帝の定めた理に従う彼女なのか、そういう生き物だと知りながら手を伸ばす己なのか。 捕まえた生き物は、暖かくて、柔らかい。 長い栗色の髪を撫でれば、気持ちよさそうに目を細める。
「‥‥‥‥‥‥どうせ死ぬのなら、僕の側で死ね」
あらがうことを知らない柔らかな体を腕の中に閉じこめて、ナルは囁いた。 「‥‥‥‥‥‥え?‥‥‥‥‥‥」 永遠を与えるほどの力を有しながら、王が居なくては、長く生きることもできない哀れな生き物が、目を見開いた。そして、受け入れるつもりもないくせに、引き留める、残酷な主をじぃっと見つめる。 「ジーンは説明しなかったのか?」 「‥‥‥‥‥‥?」 なんのことだろう、と首を傾げる少女から流れ込む情報をすばやく処理しながら、ナルは嫣然と微笑んだ。
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