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それは、一瞬の出来事だった。

 

 

BODER

 

 

 調査初日、麻衣はへばっていた。へろへろで、ふらふらで、見ているだけではらはらする。だが、本人は、平気、大丈夫、と頑張っていた。

 なぜなら‥‥‥本当に体調は悪くなかったのだ。

 誰かさんのせいで、ちょっと寝不足なだけで。

 だが、いくら、その誰かさんが上司といえど、仕事とプライベートは別である。

 よって、本日も、麻衣は、いつものように、重い機材を運んだりして、お仕事に励んだわけである。

 そして、事件は、麻衣が‥‥‥機材をなんとか移動して、休憩していた時に起きた。

 

「‥‥‥‥‥‥麻衣、邪魔」

 

 確かに、麻衣は、邪魔だった。機材を運ぶ通路に座り込んでいたのだから。

 けれど、寝不足にした張本人に言われて腹が立たないはずがない。ないが、麻衣は、文句を言う元気もなかった。

「‥‥‥‥‥‥分かった‥‥‥」

 うなづいたものの動けずに居ると、ふわりと体が宙に浮いた。ナルによって、右から左に、ぽいっ、と動かされたのだ。

 物扱いである。

 と、言いたい所だが‥‥‥物扱いの方が良かったかもしれない。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 麻衣は目を瞬いた。ものすごく不思議そうな、信じられないような、顔をしている。あまりの驚きに少しだけ目が覚めたようだ。

 さらに首を傾げて、うんうん唸っている。

 

「‥‥‥‥‥‥麻衣、邪魔」

 

 博士様は、なにごともなかったように、また、麻衣を移動した。正確に言えば、思いきり後ろから抱き抱えている。胸の形が変わるほど。恋人相手でなかったら、思いきりセクハラである。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 これは、どう考えたら良いのだろうか。

 

 わざと?

 それとも、お子様扱い?

 

 悩む。悩むが、無表情なナルの顔をいくら横から眺めても、分からない。

 麻衣は欠伸を噛み殺す。

(‥‥‥‥‥‥眠い‥‥‥‥‥‥)

 なんだか、腹が立ってきた。目前に、原因がいるし。

 むかむか、とした気分のまま、一心に機材を調整するナルの足下に凭れる。

「‥‥‥‥‥‥麻衣」

 不機嫌そうな声が、頭の上から降ってくる。

 でも、もう、駄目だ。

(‥‥‥‥‥‥おやすみなさい‥‥‥‥‥‥)

 叩き起こされることを覚悟しつつ、麻衣は目を閉じた。

 

     ※

 

 足に凭れたまま麻衣が寝入ったことを確認して、ナルは口元に不敵な笑みを浮かべた。そして、麻衣の膝の下に腕を入れて、抱え上げる。

 麻衣が、仕事とプライベートをくっきり区切ろうとしていることは分かっていた。理解している。だが、それと感情はまったく別で、なかなか頼ろうとしない、我侭を言わないことに対して、不満がないわけではない。

「‥‥‥‥‥‥強情者め‥‥‥」

 眠る麻衣の頬にキスを一つ。

 途端、ふにゃり、と麻衣の顔が緩む。

 眠っていても、誰がキスをしたのか、分かるらしい。

 そのことに酷く満足して、ナルは、麻衣を仮眠室へと運んだ。 

 

 さて、この現場を目撃していた哀れな男が存在する。

 機材とくれば、リン。

 リンといえば、機材。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 彼は、麻衣が理解していないナルの心情を正確に把握している。

 なにしろ、ブリザードが発生するので。

 

 たとえば、風邪をひいた時。

 たとえば、煩わしい隣人に悩まされた時。

 

 一人で生きている彼女には苦労も多い。だが、彼女のことを心配して、迷惑を掛けて欲しいと願う者たちは多く居るのに、彼女は一人でなんとかしようとしてしまう。それがナルは面白くないのだろう。

 ならば正直に言えばいいのに、不機嫌になるだけなので、彼女はますます迷惑を掛けないようにしようとしていることに‥‥‥気が付いているのだろうか。

 きっと、分かっているのだろう。

 だが、それを正直に言えないのが、ナルである。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 深い、深い、吐息を吐き出して、リンは、仮眠室に連れ込まれた少女に深く同情する。調査中である。いつものメンバーも揃っている。だが、彼女には気の毒だが、ナルは公私の区別をつけることを彼女ほど重要視していない。

 彼女に対してだけは。

 

「‥‥‥あれ、麻衣は?ご飯できたけど‥‥‥」

 ひょっこりと顔を出した綾子は、周囲を見回す。

「‥‥‥仮眠室に。あのままですと、怪我をしますので」

「‥‥‥まあねぇ。ところで、ナルは?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 思わず顔を見合わせて、綾子はひきつった笑いを浮かべた。

「‥‥‥‥ぼーずはうまくごまかしておいてあげるから、色惚けもほどほどにするよう言い聞かせておいてよね」

 吐息混じりに出された取り引きに、リンも吐息を返す。

「‥‥‥‥‥努力します」

 無駄でしょうが。

 

‥‥‥‥‥‥その後、麻衣は困ったことがあると、ナルに相談するようになったという。ついでに我侭も言うようになったらしい。

 変化の影には、ナルに言っても無駄だと悟りきっていたが努力したリンの苦労と、鈍い麻衣に言い聞かせた綾子の苦労があったことは‥‥‥内緒である。

 

 

                    END

                    

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