sss 1.5

 

 after

 

 

 麻衣は、すっきりとした気分で目を覚ました。そして、当然のように隣りでファイルをめくっているナルを見て、正気に返った。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ナル、なんで居るの?」

 ナルの眉がぴくり、と動いた。

「‥‥‥‥‥‥居ない方が良かったか?」

「いや、そういう話じゃなくて、いま、確か、調査中だよね。って、あれ、なんで、私、ここに居るの?‥‥‥あれ?あれ?」

「5時間」

「へ?」

「寝ていた時間」

 麻衣は、しばし、硬直し、次の瞬間、青ざめた。

「うわ‥‥‥ごめん」

「別に」

「‥‥‥‥‥‥仕事の邪魔しちゃったね‥‥‥」

 あうううう、と唸って落ち込む麻衣の額をぺしり、と叩いて、ナルは吐息をこぼした。深々と。

「‥‥‥‥‥‥馬鹿」

「‥‥‥‥‥‥う‥‥‥‥‥‥ごめんなさい」

「そうじゃない。あんな所で寝入る前に、仮眠を取れ。僕が居なかったら、どうするつもりだったんだ?」

「‥‥‥‥‥‥だって‥‥‥‥‥‥」

 麻衣は、そっぽを向いた。頬が少し赤い。

「だって?」

 反論するならしてみろ、とばかりに問われて麻衣は頬を膨らませた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ナルが悪い」

「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ナルが居ると安心するんだもん」

 だから眠ってしまったのだ、と麻衣は開き直った。

 

「へぇ」

 

 不穏な響きに麻衣が気が付くより先に、ナルはそっぽを向いた麻衣の顎を掴んで振り向かせる。

「‥‥‥ちょ‥‥‥」

 抗議の声は、キスで封じられた。

 

 腰が抜けそうなキスが終わる頃、麻衣は軟体動物と化してしまった己の体を、わけの分からない行動を取るナルに預けていた。

 頭の中は、ハテナマークで一杯である。

「‥‥‥‥いま‥‥‥調査中なんだけど‥‥?」

「だから、これ以上はしない」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 そういう問題じゃない。だが、博士様は珍しくご機嫌で、目を和ませている。

 こういう時、ナルは要注意人物なのだ。

 確かに、いまは、ご機嫌だ。

 しかし、時折、ご機嫌の後に、非常に不機嫌になることがある。

 理由はいまいち不明だが、その豹変ぶりは恐ろしい。

 ので、麻衣は口を噤んで、攻撃に備える。

「‥‥‥‥‥‥麻衣」

「な、ななな、なに?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 沈黙が痛い。

 ナルは眉間に皺を寄せている。

 なにを言われるのか、と麻衣はどきどきして待つ。しかし、ナルは、なんだか非常に嫌そうな顔をして、視線を外した。

「‥‥‥‥‥‥なんでもない」

「‥‥‥‥‥‥すごく、気になるんですけど」

「大したことじゃない」

「‥‥‥‥‥‥なら、言えるよね?」

 そこで突っ込むから逆襲されるのだ、と麻衣は気が付かない。

 

「‥‥‥‥‥‥聞きたいか?」

 

 質問に質問を返された麻衣は、目を瞬いた。ものすごく楽しそうなナルを見返して、ひきつった笑いを浮かべる。

「き、聞きたくない〜」

「‥‥‥‥‥‥そうか。残念だな」

 少しも残念そうではない。だが、麻衣は、もうそんなことはどうでもよかった。

 ある重要なことに気が付いたからである。

「ナル、聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「‥‥‥‥‥‥ご飯、まだ?」

 

 

     ※

 

 

「‥‥‥って聞いたら、ナル、なんか脱力してたみたい。わけのわかんない奴だよねぇ。その後、超不機嫌だし」

 綾子が残しておいた夕飯を食べながら、麻衣は、愚痴をこぼす。

 聞かされた綾子は、砂糖を吐きたい気持ちを堪えるので精一杯だ。

「‥‥‥‥‥‥まあ、でも、ゆっくり寝れて良かったじゃない。あんた、酷い顔色だったし」

「まあね‥‥‥でも、なんで横でファイルなんか読んでたのかな。暗いし、目に悪いのにねぇ」

 哀れだ。

 思わず綾子は、心配なのに心配といえない不器用男に同情してしまった。

 不覚である。

 だが、だが、だが、いままでのことを考えると、なんだかやはり哀れな気がする。恋愛沙汰には関係ありません、という顔をしているくせに、ナルは、麻衣と付き合い出してから暴走している‥‥‥と、思っていた。だが、もしかしなくても、この鈍い鈍すぎる少女にも原因があるのではないのだろうか。

 確かに、ナルには、独占欲とか、心配とか、嫉妬とかは似合わない。

 だが、そんなわけないじゃん、で終わってしまっては‥‥‥あまりにも、あまりにも、付き合っている恋人としては淋しいのではなかろうか。いや、奴の場合、なんとなくむかつく‥‥‥ぐらいかもしれないが。

 そしてそれが積もり積もって暴走という形を取るのではなかろうか。

「綾子、お味噌汁のおかわりある?」

 色気より食い気。

 確かに恋人が居るはずなのに、どうにも男の居る気配を感じさせないお子様を見下ろして、綾子は深々と吐息を吐き出す。

「‥‥‥ないの?」

「あるわよ。ちょっと待ってなさい」

「はーい」

 

 ご機嫌な返事を背中に受けながら、綾子の脳裏ではお子様を改革する作戦が練られている。だが、しかし、道のりは遥かに遠い。

 たぶん、月に辿り着くよりも。

 

             end

 

                    

                     novelmenu