‥‥‥‥‥‥‥not-3
「‥‥‥絶対に、後ろ、見ないでね」 背中にしがみついた少女は、震える声で我侭を言うと、泣き出した。 あの時のように。
NOT CLEAR〜曖昧な/割り切れぬ/3〜
麻衣は、良く、泣く。 あの時、ジーンの遺体が見付かった時も、泣いた。
『笑顔が、綺麗で、好きだったの‥‥‥』
彼女の双眸に、時折、戸惑いが現れていたことは知っていた。 見つめる視線を、煩わしいと思ったことさえあった。 だが、あの時、彼女が見つめていたのが、ジーンだと知った時、なにか不可解な波を感じた。煩わしさが消えた安堵ではなく、なにか、不愉快なものが。
『本当に、本当に、綺麗だったんだよ‥‥‥』
そして、いまも、不可解な波が打ち寄せる。 背中に感じる暖かな感触が、なにかを揺り起こす。 彼女は、まだ、泣いている。 優しい彼女は、良く、泣く。 優しいから、深手ばかりを負う。
----------そして、なぜか、目の前で、泣く。
なぜ、こういう場面にばかり立ち会うのか。 どうして、放置しておけないのか。 麻衣を迎えに行け、とジーンがうるさかったのは事実だが、すべてではない。 なぜ、ここに来たのか。 どうして、立ち去らないのか。 実は、答えは、知っている。 分かっている。
------------麻衣の傷ついた姿が見たかった。
ただ、それだけなのだ。 深手を負い、傷ついて、見えない血を流しながら、一人で立とうとする麻衣は、その姿は、酷く、なにかを慰めた。その傷が深ければ深いほど、側で見ていたいと思う。 「‥‥‥ナル‥‥‥ありがと」 掠れた声で礼を述べる麻衣は、なにも知らない。 縋り付いている男が、傷の深さを喜んでいることも。 もっと傷つけばいい、と願っていることも。
一人では立てないほど、もっと、傷つけばいい。 もっと深く、癒えない傷を負えばいい。 そうすれば‥‥‥。 そうすれば?
「‥‥‥迷惑ばかり掛けて、ごめんね」 彼女は、もう、泣いていない。 明日になったら、傷を隠して、いつものように振る舞うだろう。 そして、傷は、徐々に癒えていく。 いつものように。 「‥‥‥もう大丈夫。帰ろう」 背中から温もりが消えた。 温もりは隣に立っている。 それが、なぜか、酷く、腹立たしい。
「ナル、お腹空かない?」 「‥‥‥別に」 傷を隠して、麻衣は、歩き出した。 その背中を追いながら、ナルは、ふと、ポケットに入れて置いた鏡に触れる。 だが、先ほどまでうるさかった片割れの気配はない。 また、眠ってしまったのだろう。 「お礼に奢るから、ファミレスに行こ」 「‥‥‥断る」 「なんで?」 「不味い」 「それは仕方ないことだから、諦めよう。潔く」 「寄り道しないで、さっさと帰れ」 「やだ。ファミレスでなんか甘い物を食べる」 「‥‥‥背中を貸したら帰る、と言わなかったか?」 「うん。帰るよ。食べてから」
いつものように振る舞うことで、麻衣は、傷を隠す。必死に、明るく、振る舞う。 いま、ここで、見捨てて帰れば、その虚勢も崩れるだろう。麻衣が寄り道をしたいのは、一人になりたくないからだ。 「‥‥‥勝手にしろ」 言い捨てて歩き出し、振り返る。 麻衣は、予想通り、泣きそうな顔をしていた。
もっと傷ついた姿が見たい。 二度と、一人で立てないほどの癒えない傷を負えばいい。
そう思うのは、確かに、真実なのだが。 けれど、同時に、
それをずっと見ていたい、
と願うのも真実だ。だから、置き去りにするわけにはいかなかった。 「店は僕が選ぶ」 「‥‥‥え?」 「麻衣に払えとは言わないから、付いてこい」 ナルは、今度こそ、背を向けて、歩き出した。 振り返った時に見た、縋るような眼差しに、心地よさを感じながら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
了
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