‥‥‥‥‥‥‥tamago3
それは、喪われた約束の欠片。 思い出すことも懐かしむこともやめてしまった、遥か遠い昔の。
闇の目覚め〜天の卵3〜
城の中央、主である彼自身でさえ、久しぶりに訪れたそこは、光に溢れていた。 そこに植えられた木が、光を必要とするがゆえに当然のことである。 いかに闇の王といえど、光なくして木々を育てるのは面倒なのだ。 「きゃあ、いっぱーい」 「好きなだけ、持っていけ」 「ありがとー」 傍らから天使が飛び出していく。 光の中へ。 それを見やる青年の目元は微かに柔らかい。 天使は、たわわに実る果実を両手に抱えて、満面の笑みを抱えて戻ってきた。 そして、よいしょ、と実を下ろすと、胸元からまあるい玉(ぎょく)を取り出した。 「たーちゃんのところにおくってねー」 待て、と突っ込みを入れる者は居ない。 結界をぶち抜けて移動させるための呪文がそんなのでいいのか、と叫ぶ者は居ない。吐息を吐き出しそうな青年も、石のように固まっていた。 さらに天使は、また、よいしょよいしょと実を運ぶ。好きなだけ、と言われたので遠慮というものはない。 「‥‥‥なぜ、おまえが、それを持っているんだ」 まあるく、白く、不可思議な七色の光放つ石を持つ細い腕を、青年は掴んだ。 目を瞬く小さな天使を、鋭い眼差しが見下ろす。 かつてその視線だけで数多の生き物を滅した、と伝えられる闇色の眼差しを、天使はただ不思議そうに見返した。その石は、生まれた時から持っているものなのだ。なぜ、と問われても、答えられない。ただ、それだけなのだが、青年にはそんなことは分からない。 「それは、おまえのような下級の天使が扱えるようなものではない。誰の使いだ?なんのためにここに来た?」 強く腕を掴まれて、小さな顔がくしゃり、と歪む。だが、青年は気が付かず、なおも詰問しようとして、はっ、と腕を離した。 その隙間を、真っ黒な番犬が、その牙が、通り過ぎた。 低いうなり声を発して、威嚇する犬と、赤くなった腕を呆然と見ている小さな生き物を、彼は、彼らしからぬ、なんともいえぬ顔で見やる。 「‥‥‥いたい、いたいよぉぉ、あーちゃん〜」 赤くなった箇所を自分でつついて、その痛さに、天使は泣き出した。 そして、いつもいつも助けに来てくれる優しい人の名を呼ぶが、飛んで迎えに来てはくれない。 そこはあまりに遠い隔たった場所で、彼女の保護者たちも感知することができないのだ。だが、そんなことは小さな天使には分からない。どうして来てくれぬのかと、ただ、ただ、泣いて、呼んだ。 「‥‥‥泣くな。悪かった」 天地がひっくり返ってもありえぬ言葉が、響いた。だが、それが、途方もないことだと知らぬ天使には、まったく届いて居なかった。彼女を守る番犬にも、関係がなかった。 ぐるるるるる、と唸りながら、睨み据える。 すいっ、と彼の手が動く。 つられて風が動き、泣く天使を彼の腕の中へと運んだ。 「傷付けはしない。動くな。これの前で、死にたいか」 死など獣は恐れない。 だが、彼女の前で死ぬことは、許されないことだと、頭の良い獣は分かっていた。本当に大丈夫だろうな、という疑わしい視線に、彼は、約束した。 「誓おう。‥‥‥あの氷の下で眠る馬鹿に」 それは、決して破ることのできない誓いだった。 獣は納得し、とりあえず、見守ることに決めた。 その間も泣きつづけていた小さな天使の目元は赤い。 「‥‥‥悪かった」 赤くなった腕にそっと指を這わせて癒しながら、彼は、もう一度、謝った。 そんな彼に、天使はしがみついて、しばらく、泣いていた。 子供の泣き声が、彼は、大嫌いだ。 いまも、嫌いだ。 どうしようもない気分にさせるから、好きではない。 早く泣き止め、という彼の祈りは、健やかな寝息によって叶えられた。 痛い思いをさせた青年の腕の中で、すかすか眠る無防備にもほどがある小さな天使を見つめて、彼は、吐息を吐き出した。 そして、その目元に軽く口づけた。
※
彼には、半身が存在していた。 あまりに昔のことなので、思い出すこともしなくなって久しい。 そもそも彼は、奴の決断に、いまでも、納得していない。彼と違い、半身は、世界を愛した。 深い慈しみを、過ちばかりを引き起こす愚かな生き物たちにも向けた。 そして、過ちを重ねすぎてどうしようもできない出来事を引き起こした生き物たちを守るために、異界より呼び出してしまった魔物ともども、眠りに落ちた。 いつ目覚めるかは、誰にも、分からない。 『‥‥‥君のために、道しるべを遺すよ‥‥‥』 意味不明な言葉を残して、半身は消えた。 そして、取り残された彼は、深い深い森を作り上げて、その中に篭った。 元々彼は、世界にさほどの興味を持たない。 愚かな諍いばかりを繰り返す生き物たちなど、無に帰してしまえばいいと思っている。ゆえに、彼の振るう力はあまりに容赦なく、恐ろしく、そして止める存在を喪ったいまは、暴走すれば、世界を壊してしまうかもしれない危険を孕む。 だが、それは、半身の願いを無にすることだ。 だから、彼は、眠りに落ちた。 深い深い眠りに。 深い深い森の中で。 なのに、いまさら、どうして‥‥‥。
柔らかなふかふかの寝台に埋もれるようにして眠る小さな生き物は、当たり前のように、かつて、半身が持っていたのと同じ玉を扱った。彼の持つ闇色の玉を近づければ、仄かに輝き、共鳴する。 そんな玉を持っている生き物は、存在しないはずだった。 なのに、確かに、それはそこに居る。 「‥‥‥おまえは、なんなんだ?」 問いかけには、健やかな寝息が返ってくる。 暖かな小さな体を守るように抱えて、彼は、目を閉じる。その隣りでは、番犬が、すかすか寝息をたてている。 誰かと共に眠るなど、本当に久しぶりで‥‥‥一人ではないことも、本当に久しぶりで、煩わしいはずなのに、奇妙に安らいだ気持ちで、彼は、眠りに落ちた。
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