tuki-1-4

 

 

 

 

 その時、皆は、思った。

 とてつもなく嫌な予感を感じながら。

 この暢気者を放置しておくと、とんでもないことなる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夜〜気まぐれな恩返し4〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥‥‥と、いうことなの」

 集まった面々に不思議な猫との会話を包み隠さず白状した麻衣は、きゅっっ、と首を竦めた。次に来る小言を覚悟しての行動である。

 

「‥‥‥この、馬鹿娘っっっっっ!あんだけ、変なものには近づかないように言ったでしょうがっっっっっっっ!」

 

 一番早く正気に返り怒鳴りつけたのは、おとーさんではなくおかーさんだった。

 真っ赤な顔でぷりぷり怒るおかーさんをちらりと見上げて、麻衣は、小さな小さな声で、謝った。

「‥‥‥‥‥‥ごめんなさい」

 殊勝な態度に、いつもならば、綾子も怒りをちょっとは治めただろう。

 だが、今回は、事情が違う。

 なにが良くなかったのか。

 それは、当然、良くない影響が出ているにも関わらず、誰にも相談せずに内緒にしていたことである。しかも、内容がとんでもない。

 麻衣が二又猫に貰った能力とは、

 

 足音を立てずに歩ける。

 とんでもない高さまで飛び上がれる。

 夜目がきく。(しかもどうやら目が光っているらしい)

 

 ‥‥‥だけではなかった。

 

 おまけとして、またたびの匂いに酔っぱらう、が付け足されていた。

 しかも、大量に吸引すると、理性が吹っ飛ぶ。

 僅かな匂いだけで引き起こされている現象を知る滝川と安原は、大量に吸引した時を想像して、背筋を震わせた。

 

「‥‥‥だから、滝川さんに懐いてたんですね」

「うん、たぶん。もう、凄く、良い匂いで‥‥‥」

 滝川は、魂の抜け出るような吐息を吐き出した。安堵の吐息である。これで、この事務所に遊びに来て命の危機を感じることはないだろう。

「でも、ぼーず、なんでまたたびなんて持ってたのよ」

「ファンの子がくれたんだよ。俺が猫飼っているって聞いて、またたび付きのおもちゃを。喜んだら、次の日も、別の子がくれてな」

「ええええ、いいなぁ。私も欲しい‥‥な‥」

 ぎろり、と綾子に睨まれて、麻衣は口を閉ざした。

「あんた、懲りてないわね。ちゃんと、分かってる?」

「なにを?」

「あんたは人間なのよ」

「うん、そうだよ」

「またたびに酔っぱらうなんて、人間はしないの」

「うん、そうだね」

「‥‥‥道を歩いている見ず知らずの人間になついたらどうするのよ」

 ぽん、と麻衣は手を打った。

「あ、そっか。そういう問題もあったんだ」

 あくまで暢気な麻衣に、周囲は呆れ果てた視線を注ぐ。

 道ばただけではない。またたびなんて物は、実は、けっこう、ありふれているのである。スーパーやコンビニで、当たり前のように、並べられているし、またたび付きのキャットフードがあれば、またたびの木だって売っている。そのたんびになついていたら、大変を通り越して、やばい。

「でもね、けっこう、良いこともあるよ?」

「‥‥‥あんたね‥‥‥」

「だって、どうせ、期間限定だし。それにね、みんな、かわいーって言ってくれるし。この間なんか、ご近所の格好良いお兄さんに、うちの子にならないかって誘われちゃったし。ご飯だけ貰ったけど、美味しかったよん」

 

 数秒の沈黙が流れた。

 

 沈黙を始めに破ったのは、おかーさんを押しのけたおとーさんであった。

「ま、麻衣、いつからおまえはそんな子にっっっっっっ」

「ええ?」

「どうせならうちの子になれっっっっっっ」

 論点がずれている。気にする点が間違っている。

 だが、暴走おとーさんは、なにも気づかず、麻衣の細い肩を掴んで、揺さぶった。ちなみに周囲の人間は、奥の扉が開いたことに気が付いて、退避済みである。

「またたびも買ってやるし、ご飯も‥‥‥へ?」

 麻衣の細い肩を掴んでいた手が、すかっ、と空気を掻く。

 目を瞬く滝川の目の前には、黒衣の青年が立っており、冷たい冷たい眼差しを向けている。

 だが、それは、いつものことである。

 いまの問題は、彼ではなく、それ、であろう。

 青年は、小さな栗色の物体を掴んでいる。

 よくよく見なくても、それは、猫だ。

 

 首根っこを掴まれて、力が入らなくて、だらーんと手足を投げ出している子猫である。

 

 その猫はいったいどこから。それ以前に、麻衣はどこに。

 真っ白に燃え尽きた滝川を眺めながら、観客たちは、冷静に状況を判断していた。と、いうか、驚きがあまりに大きくて、現実味が湧かなかったのかもしれない。

 

「‥‥‥馬鹿だ馬鹿だと思ってましたが、ここまで馬鹿だったとは思いませんでしたわ」

「しかも、遊び歩いていたみたいね。あの口振りじゃ」

「きっと、猫生活を満喫してたんでしょうねぇ」

 温厚な一名と寡黙な一名は沈黙を保った。

 そして、観客が見守る中、ナルは、小さな子猫を、ぽすん、と滝川から離れた場所にあるソファに落とした。

 

「首根っこ掴まないでって言ったのにぃぃぃぃぃ」

「うるさい」

「こんなのが飼い主なんてやだぁぁぁぁぁ」

「うるさい」

「横暴だよ!飼い猫にだって権利というものがあるんだからねっっっ」

 

 ぽすん、と落ちた途端に、猫は麻衣に戻り、爆弾発言を繰り返した。

 白く燃え尽きていた滝川は、奈落の底へと、猫キックで落とされて、戻ってくる頃には、事情説明はすべて終えていた。

 

 

     ※

 

 

「まあ、つまりは、保護する、ということですね。都会での猫生活は色々と危ないですし。車とか、毒餌とか、悪戯、とか。それに、驚いたり、気を抜いたりすると、ころころ姿が変わってしまうらしいですし」

 さすがにそれでは放っておくと危ないでしょう、と安原は付け足した。

 安原の話を聞いているのは、滝川だけである。他の面々は、すでに居ない。ナルとリンはいつものように自分の城に戻り、綾子たちは、麻衣猫を連れて、ペットショップに出かけた。なにをしに行ったのかというと、迷子札を作りに行ったのである。

 そこには飼い主を引き受けた所長様のお名前と携帯番号、この事務所の住所と電話番号が記される予定である。

 変身物ではお約束の、衣服が、ばさばさ、がないからこそできる対策である。

 どういった原理なのかは不明なのだが、猫から人間に、人間から猫に変わる時、身につけていた物がどこかに消えるのだ。で、元に戻ったら、勝手に戻っているのだ。有り難い仕組みだが、突っ込みどころが多すぎて、安原は突っ込む気にもならない。

 そういう難しいことは、専門家に任せるのが一番である。

「それに、谷山さんのアパート、ペット禁止ですし。見付かったらやばいですよ」

「‥‥‥だからと言って、どうして、ナルの所なんだ‥‥‥」

「そりゃ、所長と張り合って引き取る度胸のある人が存在しないからでしょう」

 ずん、と滝川が落ち込んだ。

 そのとおりである。いまは、ぶちぶちと文句を言っているが、凄まじい圧力を掛けてくる美貌の所長様を前にしては、一言も反論できないのだ。いつもなら盛大に文句を言って、なんだかんだと口出しする面々も沈黙していた。

 なぜなら、麻衣ほど鋭くはないが、それなりの本能が、

 

 この話題で逆らったら、途方もなく悪いことが起きる、

 

 と、警告を打ち鳴らしたからである。

「‥‥‥まあ、仕方ないですよ。悪いことが重なりすぎました。なにか隠し事をしていることは分かってましたが、まさか、所長に魚のことも報告してないとは思いませんでしたし‥‥‥ノリオに二日連続で懐いたし‥‥‥流石に理性の人である所長も、我慢の限界を越したのでしょう」

「‥‥‥けどな、なんかあったら‥‥‥」

「大丈夫ですよ‥‥‥たぶん」

 にこやかな笑顔付きの保証に、滝川は顔をしかめた。

「理由は?」

「いままでの態度から推測して、早々簡単に関係が進展するとは思えませんし、なによりも、いまの谷山さんの状態では無理でしょう」

「‥‥‥?」

「驚いたら猫になっちゃうんですよ?」

 ぽん、と滝川は手を打った。

「なるほど」

「一生懸命居眠りしないようにしていた事を考えると、眠る時も、猫になっちゃうみたいですし。‥‥‥流石に、手は出せないでしょう」

 だが、一部、不安がないわけではない。

 誰もが、麻衣が猫になったことを驚いていた時、安原は、あの、人に触れることを避けていた所長が当たり前のように彼女の首を掴んだことに、驚いていた。

 そして、それを、彼女も当たり前のように受けとめていたことが、不思議といえば不思議である。

 だが、いま、そのあまりに不確定な要素について話すと、親馬鹿が暴れ出して、ブリザードが再び吹き荒れるかもしれない。いや、確実に、訪れる。

「‥‥‥ま、とりあえず、宴とやらが終わるまでですし」

「そうだな」

 仕事場の快適さを優先し、安原は黙秘を選んだ。

 仕方のないことである。

 いかにそつのない安原といえど、すでにナルが麻衣に手出し済みであることなど、分かるわけがない。ましてや、あんな事態を引き起こしたにも関わらず、同居を承諾した麻衣の意図が分からず、ナルが困惑の極みに陥っていることなど想像しろ、という方が無茶なのだ。

  

 

 

 

 

 ‥‥‥とにもかくにも、かくして、怪異との二度目の接触によって引き起こされた騒動は、くすぶる焔を奥底に隠して、とりあえず終息したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、納得いかーんっっっ」

 足掻いている親馬鹿はおいといて、とりあえず、ひと休みである。

       

                    

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