‥‥‥‥‥‥‥third -1
ここ数日の安原は、多忙を極めていた。 緊急事態と判断して、大学も自主的に休んでいるほどだ。単位の問題は、借りのある奴等が大勢居るので問題ない。だが、なにごともそつなくこなす安原といえど、厄介な問題に直面することは、勿論、ある。 安原は、今回、所長より説明係という嬉しくない仕事を与えられた。それは麻衣の保護者達に、彼女の現状を的確に教え、暴走しないように止める、という厄介極まりない役目であった。 さすがの安原も、それを仰せつかった時は‥‥。 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 しばし、沈黙してしまったほどである。実際、事情を聞いた保護者たちは血相を変えて、麻衣の所に駆けつけようとした。それは、まずい。非常に、まずい。麻衣にばれることもやばいが、麻衣が居る場所が知られて、大騒ぎになることがやばいのである。いま、揉めているような余裕はないのだ。 「‥‥‥‥‥‥美味しいお茶が飲みたいなぁ‥‥」 かき集めた資料をせっせっと打ち込みながら、安原はぼやいた。暴走者たちを止めて疲れ切った体と心は、休息を求めている。そんな時は、美味しいお茶と、向日葵のような笑顔で癒されるのが、一番である。‥‥‥だが、麻衣は、おそらくは、今日も欠勤であろう。 理由は分かり切っている。保護者たちには絶対に、言えないが。 「‥‥‥‥‥‥」 思わず漏れ出た吐息を聞く者は、居ない。いつもはなんだかんだと賑やかなオフィスは、静まり返っている。所長も麻衣も休みだし、滝川たちは調査が始まるまでは立入禁止を言い渡されている。しかも、いま、調査を受け入れる余裕がないので、表の札はclosedのままである。さらには、リンまでも、色々と準備をするために出掛けていた‥‥‥‥‥‥。
「こんにちわ〜」
暗く沈んだオフィス内に、元気の良い明るい声が響き渡る。 安原は、思わず、固まった。 (‥‥‥とうとう幻聴がっっっっ‥‥‥) だが、幻聴にしてははっきりしすぎているような‥‥‥。 安原がおそるおそると振り返ると、向日葵娘が、立っていた。ご機嫌である。その後ろには、不機嫌そうな美貌の青年も立っている。 (‥‥‥本日も休ませようとしたものの、泣き落としに負けて出勤、という所かな?) 限りなく真実に近い予測を立てて、安原はにっこり笑顔を返す。先ほどの憂鬱も、衝撃も、混乱も、綺麗に消し去って。 「こんにちわ、体調はもういいんですか?」 「へ?」 「季節外れの風邪は手強いですからねぇ‥‥‥」 しみじみと呟かれた麻衣は、わたわた、と慌てだした。そして、後ろに立つ青年を振り返る。無意識だろうが、瞳に、縋るような色を浮かべて。 「麻衣、お茶」 「あ、うん、分かった。なにがいい?」 「なんでも」 「安原さんは?」 「谷山さんのオススメならなんでも」 「うん、分かった〜」 追求される前に、と慌てて逃げ出す麻衣を見送った安原は、人の良さそうな満面の笑みを所長に向ける。 「‥‥‥滝川さんたちのスケジュール調整はなんとかなりました。いつからでも調査に入れます」 「では、明日から」 「‥‥‥‥‥‥」 「それと、麻衣への説明もお願いします」 「分かりました。お任せ下さい」 それだけ言いおいて、ナルは所長室に向かう。 いつもどおり。
ぱたん、と音を立てて扉が閉まるのを確認してから、安原は苦笑を浮かべる。 所長の行動はいつもどおりだ。だが、それは、いつもどおりに振る舞おうとしているだけだと、不機嫌そうな相貌が語っていた。 (‥‥‥‥‥‥本当は片時も側から離したくないんだろうな〜) しかし、いつもがいつもだけに、そんな態度を取ったらばれてしまうだろう。 自業自得とはまさにこのことだが‥‥‥所長が、と思うと、笑いがこみ上げてきて抑えるのが苦しい。 「‥‥‥お待たせ〜。あれ、ナルは?」 「所長室に。あ、そういえば、次の調査ですけど、みなさんへの連絡は僕がしておきましたから」 「へ?」 麻衣は目を瞬いた。 「けっこう遠いし、できれば新幹線とか使いたいんですけどね〜」 「‥‥‥‥‥‥次の調査が入ったの?」 安原は目を見開いた。 「え、知らないんですか?」 麻衣が落とす前に自分の分の紅茶を受け取り、安原は、言葉を続ける。 「調査、明日からですよ」 「‥‥‥‥‥‥うそ」 「嘘じゃありません。本当ですって」 「‥‥‥‥‥‥なんにも聞いてないよ、私‥‥‥」 「それはそれは‥‥‥困りましたね。荷造り、間に合いますか?」 「‥‥‥‥‥‥やばいかも。‥‥‥ねえ、安原さん、調査に行くって決めたのナルだよね?」 「勿論です」 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 麻衣と安原は所長室の扉を見やる。 「‥‥‥‥‥‥なんで教えてくれないかな‥‥‥」 憤りを含んだぼやきに安原は、おや、と首を傾げる。 「そういえば、今日は所長とご出勤なんですね。まさか、同伴出勤とか?」 「‥‥‥‥た‥‥‥たたたたた、たまたま!」 「そうですか。滝川さんには内緒にしときますね」 なにもかも知り尽くした者のみが浮かべることのできる笑みを向けられて、麻衣は絶句して立ち尽くす。放っておけば、紅茶が冷めることにも気が付かず、立ち尽くしているだろう。 「紅茶が、冷めてしまいますよ」 「‥‥‥‥‥‥そ、そだね‥‥‥‥‥‥」 ふらふらと所長室に向かう麻衣を見送った後、美味しいお茶にありついた安原が素晴らしい早さで仕事を再開したことは言うまでもない。
‥‥‥‥‥‥そして、調査は、麻衣にとっては唐突に始まった。
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翌日、首都から車で十二時間という長旅の末、渋谷サイキックリサーチの面々は緑に囲まれた小さな村へとたどり着いた。 |
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