‥‥‥‥‥‥‥finish - after

 

 

 

 AFTER

 〜trap〜

 

 

 麻衣がぼんやりと目を覚ますと、そこは、なぜか、ナルのマンションだった。

(‥‥‥‥‥‥あれ?あれ?あれあれ?‥‥‥)

 起き上がり周囲を見回せば、リビングのソファに寝ていたことが分かる。

 しかし、麻衣の意識は、まだ、あの、綺麗な空気が満ちた山間の里にある。

(‥‥‥‥‥‥夢、とか?‥‥‥‥‥‥)

 それにしては妙にリアルだったし、あれが全部夢だったら、恐い。

 現実と夢の境が‥‥‥崩れてしまいそうで。

 

「‥‥‥‥‥‥やっと、起きたのか‥‥‥」

 

 振り返れば、書斎からナルが出てくる所だった。

「‥‥‥おはよ」

 とりあえず挨拶したら、吐息が帰ってきた。

 なんか妙に疲れているような気もするが‥‥‥。

「えええと、聞きたいことがあるんだけど、聞いていい?」

 視線だけで続きを促される。

「私、なんで、ここに居るの?」

 呆れ果てた視線が返ってきた。

 やな感じである。

「‥‥‥‥‥‥確か、調査が終わって‥‥‥車に乗り込んで‥‥‥それから‥‥‥‥‥‥ぼーさんたちに巻き込まれて温泉に寄って‥‥‥宿を出て‥‥‥」

 再び車に乗り込んだ所までは、なんとか覚えている。しかしその後の記憶がまったくなかった。たぶん、寝てしまったのだろう。

「‥‥‥‥‥‥起こしても起きないからこちらに連れて来た」

「‥‥‥あ、なるほど‥‥‥」

「納得したら、お茶」

「‥‥‥はーい」

 

 いつものようにお茶を煎れて持っていくと、ナルは、まだ、リビングに居た。

 珍しいことである。

 調査終了直後なのに‥‥‥とそこまで考えて、納得した。今回の調査は、ほとんどデーターが取れなかったのだ。あれでは、いくらナルでも、なんともならないだろう。ただ延々と古びた校舎が映し出されているだけなのだから。

 こぼれてしまいそうな笑いを、紅茶で飲み込んで、麻衣は、ナルをちらりと見やる。ナルはファイルも本も持っていない。

 本当に、珍しい。

(‥‥‥‥‥‥疲れているのかなぁ‥‥‥‥‥‥)

 細かい所は省かれた気がするが、事件のことはジーンに大体教えて貰った。

 いつものように暢気に暮らしている裏側で、そんなことが、とまずは驚いて、次に、すぐに無茶をするナルのことが気になった。

 無茶なことしてないよね、と尋ねたらジーンは苦笑していた。

 はっきりとは教えてくれなかったが、その笑みがすべてを語っている。

 絶対に無茶無理強引なことをしでかしたに違いない。 

 これは、予測ではなく、確信である。

 今日はなんとしても、栄養のあるものを食べさせて、休ませなくては!

 だが、その前に、一つだけ聞かなくてはいけないことがある。

 同じように巻き込まれた友人のことは、誰も教えてくれなかった。

 聞いたら、ぼーさんとジョンはすごく困った顔をしていた。

 あとで纏めて説明してやる、とナルが約束してくれたから、それ以上は聞かなかったが‥‥‥。

「ねぇ、ナル」

「なんだ?」

「説明」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「聞きたいな」

「‥‥‥なにが知りたい?」

「小夜、どうしてるかな、と思って」

「‥‥‥‥‥‥それだけか?」

「うん。だって、他のことは聞いても教えてくれないつもりでしょ?」

 死んでしまった女性たちのこととか、助かった人のこととか、捕まった犯人のこととか、聞きたいことはたくさんある。だが、聞いても、もう、なにもできない。死んだ女性たちはジーンが導いたから、本当に、なにもできることはないのだ。なによりも、ナルが、関わることを嫌がっているのが分かるから、進んで地雷を踏む気にはなれない。

 

 

「井筒小夜は殺人罪で逮捕された。現在取り調べ中だ」

 

 

 ナルは、抑揚のない声でさらり、と答えた。

「‥‥‥‥‥‥うそ‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥記事にはならないだろうな。今回の事件は、秘密裏に処理される。表向きの理由が決まったら連絡が入る。迂闊なことは言うなよ」

「‥‥‥‥‥‥なんで?‥‥‥」

 いや、それよりも、

「‥‥‥‥‥‥誰を‥‥‥‥‥‥」

「水無月亨を逮捕される直前に刺殺したらしい」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 なにを、どう、言えばいいのだろうか。

 胸に、なにか、ずしり、と重い物が詰め込まれたような気がする。

(‥‥‥‥‥‥どうして?‥‥‥‥‥‥)

 明るい彼女が、なにを考えて、どうして、そんなことをしてしまったのか。

 考えても、考えても、分からない。

「‥‥‥‥‥‥会える、かな?」

「やめておけ」

「‥‥‥‥‥‥でも‥‥‥」

 深い漆黒の相貌が、戸惑う麻衣を見据えた。

「井筒小夜は、水無月亨がなにをしていたか知っていた」

「‥‥‥‥‥‥そんな‥‥‥‥‥‥」

「すべてを知っていたわけではないだろう。それに、水無月亨に感化されて正常な判断ができない状態だったとも考えられる」

「‥‥‥‥‥‥憑依されていたとか?」

「その可能性は低いな。どちらにせよ、麻衣には、なにもできない。彼女の処遇について知りたいのなら、教えてやる。だから、関わるな」

 強い、その口調。

 言葉より雄弁な眼差しの強さが、麻衣に、親切で明るい友人の偽りを教えた。

「忘れろ。‥‥‥麻衣が気に病む必要はない」

「‥‥‥‥‥‥小夜‥‥‥どうなるのかなぁ‥」

「罪は償うしかない」

「でも‥‥‥‥‥‥」

「麻衣が泣いても、どうにもならない。‥‥‥泣くな」

 泣いてないよ、と麻衣は言うつもりだった。

 だが、暖かな手が頬に触れて、いつのまにか勝手に流れていた涙を拭ってくれたので、言えなかった‥‥‥‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

 泣く麻衣を宥めるナルの心中には、苛立ちが満ちていた。

 井筒小夜は同情するに値しない女だと、ナルは知っている。

 彼女の生い立ち、家庭環境などはすでに調べ尽くされている。佐々木由佳は、水無月亨と同じく、比較的裕福な家の次女として生まれた。経歴に特に変わった点はないように思われた。だが、すぐに、奇妙な病院通いが発覚した。度重なる打撲や骨折の治療に医師が疑問を抱くと、他の病院へと移る‥‥‥そんなことが幼い頃から繰り返されていたのだ。

 そして、おそらくは、そのことが、水無月亨という男に傾倒するきっかけになったのだろう。

 井筒小夜が水無月亨と出会って半年後、佐々木由佳の父親が、多額の保険金を残して突然死している。取り調べ中の女は、何一つ隠すことなく、むしろ、誇るように話したという。

 天罰を下して貰った、と。

 

 

----------不運な境遇だったことは認めよう。

 

 

 だが、不運な境遇を辿ったからといって、他者を虐げる理由にはならない。

(‥‥‥‥‥‥いや、そんなことは‥‥‥どうでもいいことだ‥‥‥)

 女がもっと悲惨な人生を辿って居ても、同情はしない。

 いや、できない。

 女が、麻衣に近づいたのは、麻衣を奴に引き渡す下準備をするためだった、という事実の前では、なにもかもが吹き飛ぶ。

 

----------選ばれた贄。

 

 女は麻衣をそう呼んだらしい。

 切り刻まれて死んだ女たちと同じように。

 

 それを赦すことができるはずがない。

 たとえ、麻衣が赦しても。

 二度と、会わせるつもりはない。会う必要もない。ましてや、泪を流す必要などどこにもないのだ。

「‥‥‥‥‥‥泣くな‥‥‥‥‥‥」

 詳しい事情を知れば、麻衣は、もっと泣くだろう。それが分かっているからこそ、余計に腹立たしい。

(‥‥‥‥‥‥あんな女の為に泣くな‥‥‥‥) 

 ナルは言葉の代わりに、手に力を込めて、麻衣を引き寄せた。 

 

 

     ※

 

 

 優しい手が、不意に動きを変えた。

 腰を強く捕まれて、引き寄せられる。

「‥‥‥‥‥‥な、ナル?‥‥‥」

 慌てる麻衣に、綺麗な笑みが返る。

 なぜか分からないが、非常にご機嫌が悪いらしい。

 つい先ほどまでの穏やかさで優しいナルとの落差に対応しきれず、麻衣はわたわたと手足をばたつかせた。

「‥‥‥‥麻衣の部屋は問題がありすぎる」

「へ?」

「‥‥‥‥盗聴器が三つも仕掛けられていたぞ」

「‥‥‥うそ!」

「防犯も甘すぎる」

「‥‥‥う」

「だから、ここに、住め」

 耳元で囁かれた、あまりにあまりに唐突な爆弾発言(しかも、命令形)に、麻衣の意識は吹っ飛んだ。泪も止まる。

「ここなら、あの部屋よりは遥かにましだ」

 それはそうだが‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥嫌なのか?」

 そういう問題ではない気がする。

 いや、そもそも、いきなり過ぎる。

 いや、それよりも、そういう話は、もっとちゃんと話し合うべきであろう。

「‥‥‥‥‥‥ちょ‥‥‥ナル‥‥‥駄目だってば‥‥‥」

 服の隙間から入り込む手を叩(はた)くと、じろりと睨まれた。

「‥‥‥‥‥‥嫌なのか?」

 先ほどと同じ台詞なのに、けた違いで迫力が違う。

 ここで、うん、とうなづいた場合‥‥‥。

(‥‥‥‥‥‥な、なんか、やばい?‥‥‥)

 鋭敏だと目の前の博士様に保証された第六感が、逃げろ、逃げろ、と警鐘を鳴らしまくっている。だが、逃げたら‥‥‥もっとやばそうである。それ以前に問題なのは、逃げたくない自分だ。

 好きな人と一緒に暮らすことが、嬉しくないわけがない。

 だが、だが、生活能力皆無な博士様との同居は色々と不安がある。

「‥‥‥‥‥‥ナル、良く考えた方がいいよ。私と一緒に暮らしたら、ナルの大好きな不規則な生活ができなくなるよ。そんなの嫌でしょ?」

 うるさくしたいわけではない。だが、ナルが不規則な生活をしているのを見て、黙っていられる自信はない。いまもしょっちゅうマンションに出入りしているが、それとは話がまったく違う。

 それに、麻衣は、麻衣が居ない時、ここぞとばかりにナルが不規則な生活をしているのを知っている。そして、それが、ナルにとっては必要不可欠な時間であることも。

 大切な時間を邪魔して、嫌われるのは嫌だ。

 だから、一緒には暮らしたくないなぁ、と思いつつ眺める漆黒の相貌が、色を深くする。

「‥‥‥‥‥‥嫌なのか?」

 その言葉を聞いた時、麻衣の脳裏に浮かんだのは『仏の顔も三度まで』という、ものすごくものすごく恐ろしい諺だった。

 

「‥‥‥‥‥‥嫌じゃないよ‥‥‥‥」

 

 でも、と麻衣は条件を付けるつもりだった。

 付けるつもりだったのに!

 

----------言えなかった。

 

 あまりにも嬉しそうにナルが笑ったから。

 つい、その笑顔に見とれてしまったから、言い忘れてしまった。

 

----------人生最大のうっかりである。 

 

 

     ※

 

 

 だるい体を引きずって、麻衣はキッチンへと向かった。

 水が飲みたかっただけである。

 が、なんとなく気になって、いつもは使っていない部屋の扉を開けた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 そこには、ものすごく見慣れた物が並んでいた。

 麻衣の部屋にあるはずの物が。

「もう見つけたのか」

 ぎぎぎぎぎぎぎ、と音が聞こえそうなほどぎこちない動きで麻衣が振り返ると、楽しげに笑うナルが立っていた。

「‥‥‥‥‥‥どういうこと?」

「奴をおびき寄せる時に麻衣の部屋を使ったことは話したな」

「‥‥‥‥‥‥うん」

「その時、邪魔だったから、業者に運ばせた」

「‥‥‥‥‥‥」

「運ぶ手間が省けて良かったな」

 ナルは、にやり、と笑って答えた。 

 その瞬間、麻衣は、周到に用意された罠に落ちたことを悟ったのだが、いまさら前言の撤回は赦されない。

 いや、撤回した場合の報復が恐ろしいと言うべきだろうか。

 すっかりご機嫌が良くなった博士様に後ろから抱きしめられながら、麻衣は深い深い吐息を吐き出した。

 

 

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