「原色混乱」
突然、アポ無しで訪れたお客を見やって、菊は、既視感を覚えた。 (‥‥‥どうして、アポ無しのお客ほど、我が強いというか、身勝手というか‥‥‥周りを振り回すというか‥‥‥) 溜息を吐きつつ、だが、しかし、菊は、困った現状をなんとかしようとは思っていなかった。なんともならないからだ。 「菊ー、菊ー、なんか、面白い所に連れて行って欲しいなー」 今日のアポ無しお客は、難しい選択を菊に、迫ったりはしない。その辺りは、菊は、助かっている。 だが‥‥‥。 「なんか、面白い所に連れて行ってくれないと、拗ねちゃうぞー」 明るく若く元気なお客は、性質が悪いことに、力と影響力だけはあるので、傍若無人であった。しかも、目が本気だった。冗談では無さそうで、しかも、隠しているが、機嫌も悪そうだった。 (‥‥‥なにか、しでかしたでしょうか?) 菊には、傍若無人な客、アルフレッドの機嫌を損ねることをした覚えがない。 基本的に菊は流されやすく、アルフレッドは、ある意味、菊の上司の上司とも言える存在だ。自分の意見を言え、と、幾度も怒られるほど、菊は、いつも、アルフレッドの意見に合わせている。 そのことをアルフレッドも良く分かっているはずである。だから、基本的に、アルフレッドは菊には、ある意味優しい。見当違いだったり傍若無人だったりすることはあるが、基本的には。 なのに菊に対して機嫌が悪いなど、珍しいことだった。 (うーん。面白いところ、面白いところ‥‥‥お台場とか秋葉じゃ駄目ですかねぇ。ちょっと用事もあるんですが‥‥‥) 機嫌を取らなくてはいけないなぁ、と、思いつつ、菊は、頭の中で、何カ所かリストアップした。だが、残念ながら、どこも大体行き尽くしていて、目新しさと面白さはどう足掻いても目減りしていた。 (うーん) 菊は、段々、面倒になって来た。元々、外に出るのは、さほど好きではないのだ。新しいゲームで誤魔化してしまおうかとも思った。だが、なんとなく、それは、しない方が良い気がした。 (うーん。もしかして、アーサーさんとのことがばれたのでしょうか) アーサーのことが関わっているとなると、アルフレッドは、いつものアルフレッドだと思わない方がいい。複雑骨折な勢いに、二人には、いろいろと思い出と因縁がありすぎるからだ。 (うーん、面倒ですが、あそこにしましょうか) 菊は、肉を切らせて骨を断つ勢いで、目的地を設定した。 そして、どうせならとことん楽しもうと決めた。 「分かりました。面白い所に連れて行ってあげます」 「おお、流石、菊。話が分かる」 「ただし、今日は駄目です。もうお昼ですから、準備が間に合いません。今日は早く寝て、明日の朝一に出発しましょう」 「ええー」 「嫌なら、この話は無しです」 「ええー」 ごり押しが得意なアルフレッドには、甘い顔を見せると、ごりごり押されてしまう。それを避ける為には、どこまで譲歩できるのか最初に提示するのが無難だと、菊は、長年の経験で学んでいた。だから、アルフレッドがいくらごねても、受け付けなかった。 「‥‥‥わかったよー。菊の言うとおりにするよ」 しばらくごねたが、アルフレッドは、結局、折れた。 少し不満そうではあったが、新しいゲームの話しを持ち出すと、すぐに、興味を移して、後には残らなかった。菊は、アルフレッドのそういうところが好ましいと思っている。騒々しくて傍若無人だが、その切り替えの早さは、どちらかと言うと鬱々していることが多い菊からすると、羨ましくさえあった。 「菊、菊、それで、どこに行くんだ?」 「秘密です。‥‥‥たまにはそういうのも面白いでしょう?」 「秘密か!うん、いいな。楽しそうだ!」 どうやらご機嫌も直ったらしいアルフレッドの屈託のない笑顔を見ながら、菊は、きっとアルフレッドなら、明日、案内する場所も力の限り楽しんでくれるだろうな、と、思った。
※
翌朝、朝一番で、菊は、アルフレッドと共に、姫路を訪れた。 天気にも恵まれて、青い空をバックにした姫路城は、とても美しかった。 勿論、アルフレッドは、大興奮である。 昂奮しすぎたせいだろうが、良く分からない奇声を上げている。 (やれやれ) どうやら気に入ってくれたらしいので、菊は、ほっとした。 あとは、城の中に放り込んでしまえば、菊の役目は終了である。勿論、その間、菊は、隣の日本庭園を眺めつつ、ほっこりとお茶でも飲んでいるつもりである。 城は外から眺めるのが一番である。 中は大変なので、菊は、付き合うつもりは欠片もなかった。 なのに‥‥‥。 「‥‥‥菊ー菊ー良い眺めだぞー」 なぜか、菊は、城の最上階まで、付き合う羽目になっていた。 「‥‥‥‥‥‥」 おかしいおかしすぎる、と、思いつつ、菊は、息も絶え絶えだった。 城の中は、当然だが、エレベーターなどない。 延々と延々と階段が続いているのだ。 しかも、恐ろしい角度の階段が。 そんなこと菊は分かっていたから、逃げるつもりだったのだ。 「‥‥‥‥‥‥」 「菊は、体力がないなぁ」 あなたが有りすぎるんです、と、菊は言いたかった。 だが、息も絶え絶え瀕死の菊は、声が出せなかった。 最上階の板張りの床の上で、ぐったりしていた。 そんな菊の隣に、アルフレッドも座り込んだ。 そして、低い声で、囁いた。 「うん。満足した。だから、許してあげるよ」 「‥‥‥‥‥‥」 なんのことか菊にはさっぱり分からなかった。 「アーサーと菊が仲良くするのは面白くないけど、アーサーの馬鹿と取引しちゃったしね、反対するのは我慢してあげようじゃないか」 「‥‥‥と‥‥‥取引?」 「いま、うち、大変なんだよね。色々と。なんとかしたいと思っていたら、アーサーの馬鹿が、良いことを教えてくれたんだよねー。助かったよ」 くすくすと笑うアルフレッドを見上げながら、菊は、背筋を、震わせた。 アルフレッドは無邪気に笑っている。 だが、その笑みには、凄みがあった。 「だからね、取引もしたし、満足したから、許してあげる」 それはどうも、と、喜ぶべきなのか、哀しむべきなのか、菊には、いまいち判断ができなかった。ただ、なんとなく、喜ぶとまずいような気がした。 「でもねぇ、菊、忘れちゃいけない。アーサーと付き合うのはいいよ。恋人になっても構わないよ。でもね、菊、菊は、僕のモノだからね。裏切ったら、赦さないから」 底冷えのする笑顔と共に言い渡されて、菊は、ごくり、と、喉を鳴らした。 そして菊の脳裏には、アルフレッドに圧倒的な力で、瀕死寸前にまで追いやられた時の記憶が、まざまざと甦っていた。 「‥‥‥忘れちゃいけないよ?」 菊は、頷いた。こくこくと頷いた。 途端、アルフレッドの雰囲気はがらりと変わった。 「菊ー、ご飯、どうするー。お腹空いたぞー」 菊は、ほっとした。 そこに居るのは、もう、いつもの、陽気で元気なアルフレッドだった。 「‥‥‥隣の日本庭園で、穴子定食を食べようかと思ってます」 「よし、じゃあ、行こう!」 元気良く立ち上がったアルフレッドに付き合って、菊も、なんとか立ち上がろうとした。だが、まだ、無理だった。 「‥‥‥すみません。先に‥‥‥」 先に行ってて下さい、と、菊は言いたかった。 だが、言えなかった。 「菊は、ほんと、体力無いなぁ。よし、おんぶしてあげよう!」 菊は、抱え上げられた。階段があるのに、急な角度なのに、そんなこと一切無視されて、抱え上げられた。 「‥‥‥ま‥‥‥ま‥‥‥ま、階段がっっっ」 「大丈夫さー。ちゃんと掴まってろよー」 「‥‥‥ぎゃ‥‥‥ぎゃぁぁぁぁぁ‥‥‥」
菊は、その後を、覚えていない。 気が付いたら、菊は、城の中庭の休憩所でひっくり返っていた。 そして、アルフレッドは、少し離れた所で、警備のおじさんに懇々と怒られていた。しょんぼりとしている小さくなった背中を見ながら、菊は、ちょっと可哀想だけど、ぎっちり絞られて、少しは常識と加減というものを覚えてくれますように、と、強く強く願った。
|
→back