「難解な始まり」

 

 

 

 

 菊は、困っていた。     

 いつものようにまったりと暮らしていたら、アーサーが珍しくアポも無しで訪れたのだ。それは、いい。いまはある程度平和な時代だ。アーサーがひょっこりと遊びに来ても、ぴりぴりと神経質になる理由もない。来客の為の茶菓子を丁度切らしていたので、ちょっとだけ困ったが、おやつのどらやきで難を凌いで、喜んで頂けたようなので、ある意味、良かった。

 だが、菊は、現在、困っていた。

 卓袱台の向こう側に座るアーサーによって、困らされていた。

 アーサーは、珍しく、鬼気迫る顔つきをしている。はっきり言って、怖い。

 なんというか、へたれな所をたくさん見ているので、たまに忘れてしまうが、その顔を見ると、昔日の栄光と暗躍を思い出す。敵に回すには厄介な相手であることを。

(‥‥‥さて、どうしたものか)

 暖かい緑茶を啜りながら、菊は、考える。

 なんとか無難にごまかせないものか、と、考えている。そして、それは、アーサーにばればれのようだった。

「返事は、はい、か、いいえ、以外は、受け付けないからな」

 菊は、非常に、困った。

「‥‥‥友達から、と、言うのは」

「却下だ」

 傲慢に言い切った男は、とてもとても、告白の答えを待っているようには見えなかった。だが、菊の目の前には、アーサーが持ち込んだ、大輪の赤い薔薇の花束がわさわさと置かれている。冗談にも無かったことにも誤魔化しも許さない、と、真っ赤な薔薇が叫んでいる気がして、菊は、げんなりした。

 菊は、アーサーのことが、嫌いではない。

 口は悪いし態度も悪いが、根は悪くない。

 意外と親切で面倒見がいい。

 つんつんしているのは、笑って許せる程度だ。

 だが、しかし、アーサーの恋人になることは、微妙に、怖い。

 嫌いとか、嫌とか言う以前に、その、束縛が、恐ろしい。

 菊は、知っていた。アーサーは、表向きは紳士で人当たりが良いが、陰に篭もった一面を持っていることを。簡単に言えば、ストーカー気質、サド気質と言うべきか。菊も、ある意味、暗い一面、おたくの部分を持ってはいるが、菊の暗さとアーサーの暗さは、相容れない異質のものだった。

 まあ、簡単に言えば、相性が合わないだろうなぁ、と、菊は思っている。

 なので、できれば、穏便に断りたかった。

 折角、ようやく訪れた平和な時代だ。

 まったりと皆と仲良く適度に引きこもって暮らしたいのだ。

(‥‥‥けど、この方は、意外と、根に持つタイプだしなぁ)

 だが、断った場合、アーサーが、どう出るのか。

 それを考えると、菊は、うっかりと断りの返事もできないでいた。一途と言えば聞こえはいいが、粘着質でストーカーな一面があるアーサーが、暴走したらと思うと‥‥‥恐ろしい。

 しかもなんとなく大人げないやり方で苛められそうな気がする。

 根回し、画策、暗躍が特異な国柄であるし。

(‥‥‥うーん)

 菊は、悩んだ。これ以上はないほど、真剣に悩んだ。そして、結論を出した。

「‥‥‥では、とりあえず、お試し期間ということで」

「‥‥‥お試し」

「お互い、付き合ってみなければ、分からない所もあると思うんです。ですから、お試し期間は必要でしょう。なにしろ、国際結婚は、離婚率が、高いですから」

「‥‥‥けっ‥‥‥」

 付き合って欲しいと言ったくせに、結婚までは考えていなかったのか、アーサーは真っ赤になった。その顔が可愛いとは思いつつも、菊は、心中で、深々と吐息を吐き出していた。

 菊は、分かっていたのである。

 お試し期間、イコール、結論先延ばしだと。

(‥‥‥とりあえず、時間稼ぎして、他の方に、アドバイスを聞くのが、多分、無難でしょうね。アルフレッドさん辺りに相談すれば、掻き回してくれるだろうし、無かったことになるかもしれませんし)

 やれやれ面倒なことに、年寄り相手に奇特だなぁ、と、思いつつ、菊は溜息を茶を飲むことで誤魔化した。そして、未だに赤くなったまま固まっているアーサーは、どうして菊を好きになったのだろうか、と、ちょっとだけ疑問に思った。

 

 

 

 とにもかくにもかくして、菊は、アーサーと、お試し付き合いをすることになったのである。後に、うっかりと、お試し期間など設けた自分を罵ることになるとも知らずに。

 

                               

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