獣の恋-0
夕暮れ時、火影の執務室に、男が一人、訪れた。 珍しいな、と、綱手は思った。 男が執務室に訪れるのが珍しいわけではない。 腕利きの、里一番の技師は、火影の執務室に、かなり頻繁に呼び出されていた。 だが、自発的に、頼み事をしにくることは、滅多に‥‥‥いや、初めてだった。 そういえば、昔から、そういう奴だったな、と、綱手は過去を思い返す。 綱手は、幼い頃の男を知っていた。 才能と可能性に溢れていたが、幸薄い子供だった、時を。 途中、綱手は里を離れてしまったので、男がどういう育ち方をしたのかを、詳しくは知らない。だが経歴から察することはできる。 それを考えれば、随分とまともに育ったものだ、と、思った。 「‥‥‥おまえが頼み事とは珍しいな」 カカシに頼まれて人払いをした執務室は、茜色に染まっていた。 男も、茜色に染まっている。 その姿は、まるで、全身に血を被ったかのように、見えなくもなかった。 綺麗事を言うつもりはないが、その姿が奇妙にしっくりくることに、綱手は、僅かな罪悪感のようなものを感じる。 当然で仕方がないことであるとはいえ、前よりは遥にましになったとはいえ、里は、幼い子供たちにさえ、血まみれになることを望んでいる。そんな子供たちの中でも、特に、子供らしい時間を削られて削られて育ったのが、目の前の男だった。いまでは、非常識と罵られるような幼い時期に、戦地に赴き戦って来たことは綱手も知っている。 それもこれもみな里の為だ。 目の前の男は、本当に、良く、里の為に働いてくれた。 だから、できうる限り、滅多になにかを望まない男の望みを叶えてやりたいと思った。 だが。 「‥‥‥うみのイルカを俺に下さい」 男が言葉にした望みは、五代目のあらゆる予想を裏切った。 「‥‥‥イルカ?アカデミーと受付を兼任している、あの、イルカか?」 まさか、と、綱手は思いたかった。 だが、他のうみのイルカを綱手は知らなかった。 「はい。アカデミーで教師をしていて、受付を兼任していて、一楽が大好きで、ナルトの元担任のうみのイルカを俺に下さい。大切にします」 「‥‥‥‥‥‥」 綱手は、まじまじと男の顔を見つめた。 冗談だと思いたかった。 だが、男は、真摯な顔をしていた。 「‥‥‥うみのイルカはそのことを知っているのか?」 「いいえ」 男は、当たり前のことを話すようにあっさりと答えた。 そして、また、ねだった。 「うみのイルカを俺に下さい」 当たり前のことを話すようにあっさりと。 綱手は、男を、見つめた。 そして、嫌な予感を感じた。 非常に、嫌な予感を。 「‥‥‥イルカを貰ったら、どうするつもりだ?」 男は、真面目な顔で、未来を語った。 当たり前のように、当たり前でないことを、語った。 それを聞きながら、綱手は、男と、男に見初められた青年を、哀れに思った。
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