始まりは、夜と共に‥‥‥‥‥‥。
寵愛-0
深い森の中、濃い闇に紛れながら、イルカは走っていた。 後ろから迫り来る恐ろしい気配を感じながら、走っていた。 簡単な任務のはずだった。 ランクはB。 国境を越え、日数が掛かるので、Bランクになっていたが、内容自体はただ単なる連絡事項を記した巻物を運ぶだけの、お使いのようなものだった。 なのに、イルカは、必死に走っていた。 逃げ切れないことを覚悟しながら、ただ、必死に。 どうしてこんなことになったのか。 相手の目的さえも分からないままに。 走っていた。 気配は、すぐ、間近まで、迫っていた。 隠すつもりのない強い気配は、上忍、しかも、とびきりのランクだと、教えてくれた。そんなクラスの忍びを相手に、イルカができることは、逃げることだけだ。途中で罠を仕掛けることなど考えるだけ無駄だ。 そして、たぶん‥‥‥いや、間違いなく、追いつかれる。 捕まる。 --------だが。 イルカは、忍。 木の葉の忍だ。 相手にとってはどうでも良いようなレベルの情けない身だが、捕まって、里の不利になるようなことだけはしたくなかった。 ようやく、里は、立ち直ったのだ。 それを揺るがす罅は、ほんの微かなものでも、許せない。 イルカは、走った。 木々の合間を走り抜ける。 そして、相手が、どう出るかを探った。 いま、イルカが持っている巻物が目当てだとは、思えない。 イルカが持っている巻物は、こんなレベルの忍びが狙う物ではない。 では、自分が、目的だろうか。 いや、ありえない。 だが。 --------だが。 イルカには、一つだけ、気がかりなことがあった。 一つだけ、弱味があった。 大切な者が居た。 里の仲間は誰も大切だ。 だが、特別が居た。 いまは‥‥‥修行の旅に出ている金色の子供が。 --------もしも。 もしもあの子狙いならば‥‥‥。 自分が取るべき道は、決まっている。 跡形もなく、消えるのだ。 あの子は哀しむだろう。 だが、生きたまま捕らえられてあの子を苦しめることだけはしたくない。 死体も残すことはできない。 あの子は、たとえ、死体でも。 きっと、取り戻そうとするだろう。 ならば、跡形もなく吹き飛んで、そのことだけは、知らせるのだ。 あの子は泣くだろう。 哀しむだろう。 だが。 --------大丈夫。 あの子には、いま、支えてくれる人たちが居る。 だから。 --------大丈夫だ。 そう思いつつ、イルカは、すべてを諦めているわけではなかった。 力の強い者は、時に、戯れにちょっかいを掛けることがある。 もし、それならば。 あるいは、なにかの間違いならば。 もしかしたら、という、可能性がある。 だから、イルカは、走っていた。 水の匂いを頼りに、目当ての物があることを願って。 --------あった! 激しい水の流れる音が響いていた。 滝だ。 しかも、水量が随分と、多い。 あるいは、この川の上流あたりで、大雨が降ったのかもしれない。 川の水は濁っていて、木が、流れている。 --------好都合だ。 イルカは、心中で、こっそりとほくそ笑んだ。 追いかけている相手に、イルカは勝つことはできない。だが、これなら、この流れならば、あるいは、逃げられるかもしれない。 相手が、水を得手としていなければ、だが。 滝に驚く振りをして、イルカは、立ち止まる。 そして、背後を振り返って、叫ぶ。 「なにが目的だ!」 所詮、イルカは追い込まれたネズミだ。 圧倒的優位に立つ相手は、ネズミをいたぶる為に、姿を現す可能性が高い。 頭の悪い奴なら、目的も、べらべら話すだろう。 イルカは、息を整えながら、待った。 深い森の中、深い闇の中から、なにものかが出てくるのを。 そして、タイミングを計っていた。 川の中へ。 水の中へ。 飛び込むためのタイミングを。 一番良いのは、追い詰められて、自棄になって、飛び込む。 と、いう、パターンだ。 ちょっとかすり傷があると、なお、いい。 たかがネズミ。 ちょっかいを掛けただけなら、死体を探すほどの手間は掛けまい。 ましてや、チャクラ量の少ない、反撃もできない中忍が、実は、水の中に潜って逃げることだけは、上忍クラスだなんて分かるわけもない。 「俺は、ろくな物は持っていない!からかっているだけなら、見逃してくれ!」 しん、と、森は静まり返っていた。 あれほど明確だった恐ろしい気配は、かき消えていた。 まるで、幻のように。 そして、不意に、耳元で、 --------‥‥‥甘い。 微かな、低い、声が、響いた。 イルカは、はっ、と、後ろを振り返る。 だが、もう、遅かった。 --------しまっっ‥‥‥。 すぐに滝に飛び込むべきだった。 いや、さっさと自爆しておくべきだった。 そう思いながらも、イルカは、首筋に、ちくり、という痛みを感じながら、意識を喪った。
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