‥‥‥‥‥‥‥

真冬の1からの続きになっています。

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     10

 

 

 

 人の話し声で、目が、覚めた。

 麻衣は、ゆっくりと身体を起こしてから、周囲を、見回す。そうして、自分が、ベース内に寝かせられていることと、すぐ間近に、黒衣の二人がいることを確認して、ほっとした。

────ここは、安全。

 大丈夫だと、確信できて、だからこそ、意識が、奇妙に、緩(ゆる)む。

 そうして、その隙間を突くようにして、ぼんやりとなにかを思った。

 いや、思い出しているような感じだ。

(‥‥‥夢を)

 視(み)た気がした。けれど、はっきりと、うまく、形を掴めない。

 だから、掴もうと手を伸ばしたが、するすると、逃げられた。けれど、掴まないで遠巻きにしていれば、また、近付いて来た。だから、麻衣は、無理に、形を作ろうとせず、ただ、ぼんやりと、意識を、漂わせて、夢の記憶が、近付いてくるのを、待った。

 逃さないように、じっと、待った。

────夢は。

────大切かもしれないから。

────なにかのヒントが現れるかもしれないから。

────あの人が。

────ジーンが。

────現れるかもしれないから。

 でも、どうしてか、はっきりとは分からないのに、違う、と、思った。

 いま、視(み)ていた夢は、ジーンの夢では、決してない、と、それだけは、確信していた。

 そして、たぶん‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥しろい?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥麻衣?」

「‥‥‥‥‥‥しろいきがする」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どうした?」

「たくさん‥‥‥はなしていた‥‥‥答えのでないことを、たくさん、でも、答えが、分からない、見つからない。きっと‥‥‥相容れない」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥谷山さん?」

「でも‥‥‥話す。話したいから‥‥‥意見を言うけれど、意味がない」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥意識が飛んでいるな」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どうしますか」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥暴走の気配はないな。しばらく様子を見て‥‥‥‥‥‥」

 麻衣は、どこからか、近くからか、遠くからか、聞こえてくる声を、確かに、聞いていた。

 大切な人の、声と、言葉を、理解していた。だが、反応することができなかった。

 そして、ただ‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥しろいきがする」

 ただ‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥どこまでもどこまでもしろいきがする」

 徐々に消えていく夢を思い出して、

「‥‥‥‥‥‥なにもかもがしろいきがする」

 思い出して、思い出して、一生懸命思い出して、それから。

「狡い人は嫌い」

 なぜか、そんなたった一言だけを、強く、思い出して、それから、

「‥‥‥‥‥‥あ、ナル、リンさん、おはよう」

 目を覚ました。

 

 

     ※

 

 

 どきどきわくわくしつつ、衣都は、わたぬき屋の別館に訪れた。

 そして、昨日、親切にしてくれた滝川さんに声を、掛けた。

「こんにちは。昨日は、ありがとうございます」

「あ、ああ、こんにちは」

 滝川さんは、なんだか、困っているみたいだった。来たら行けなかったのだろうか、と、衣都も困った。おはぎの件は無かったことにして、帰ろうかな、と、迷う。

「あ、衣都さん、いらっしゃい。今日は、どうされたんですか?」

 迷っていると、安原さんがやって来て、にこにこ笑いながら、尋ねた。

 でも、迷う。

「‥‥‥衣都さん?」

 でも、こんなにたくさんのおはぎ、持って帰っても、困るし。

 証拠隠滅しようにも、食べきれないし。

「‥‥‥あの‥‥‥」

 ともかく渡すだけ渡して帰ろう、と、衣都は、重箱を安原さんに押しつけた。

「あの、お母さんが、あのあの、私が、ご迷惑を掛けて、それで、あの、お守りも貰ったし‥‥‥あのあの‥‥‥御礼にって。よかったら皆さんで食べてくださいって」

「‥‥‥え?」

「あの、たぶん、美味しいです。じゃ、じゃあ‥‥‥」

「ええと、これ、頂いても?」

「は、はい。あの、おはぎです。いろいろ入っていて‥‥‥」

「それはそれは、ありがとうございます。重かったでしょう?寒い中、ありがとうございます」

「‥‥‥いえ、あの‥‥‥じゃ、じゃあ、お邪魔しない内に‥‥‥」

 帰らなくては、帰らなくては、と、衣都は、焦る。

「寒かったでしょう?中で、暖まってから帰った方がいいですよ。いま、お茶を煎れますし」

 でも、引き留められて、帰れなくて、困る。

「‥‥‥でも、あの、お邪魔は‥‥‥」

「邪魔じゃないぞ。いまは、待機中だから、大丈夫だ」

 不意に、割り込んだ声は、なんだか、ちょっと大きな声で、驚いた。

 顔を上げると、滝川さんが、笑っていた。

「おはぎ、好物なんだ。ありがとう」

 昨日と変わりのない笑顔だった。衣都は、ほっとした。

「あ、そうなんですか。良かったです」

「いろいろと種類があるんだって?」

「あ、はい。きなことあんこと黒ごまが入ってます」

「いいねぇ。手作りおはぎなんて、久しぶりだ。ありがとな、衣都ちゃん」

 なんだか、最初、困っているように感じたのは、勘違いだった気がして来た。

 二人とも、昨日と同じで、優しくて、ちょっと暇そうだった。

────よかった。

 衣都はほっとして、それから、どきり、と、した。

 奥の部屋に視線を向けると、昨日、会わなかった人が居た。女の人だった。

 大人の、綺麗な、女の人だった。

 色素が薄くて、さらさらの髪が柔らかそうだった。優しそうだった。

「こんにちは」

 その柔らかそうな女の人は、柔らかな声を出した。

「‥‥‥こ、こんにちは」

 優しそうな、良さそうな人だった。

「谷山さん、この方が、衣都さんです」

「ああ、依頼人の娘さんですね。初めまして。私は、調査員の谷山麻衣です」

「は、初めまして。あの、七雲衣都です」

 にっこり笑った笑顔は、本当に、優しそうだった。

 けれど、でも、衣都は‥‥‥‥。

「おはぎをたくさん頂きましたよ。お母さんの手作りだそうです」

「わあ、凄い。いま、お茶を煎れますね。お茶は‥‥‥おはぎには、やっぱり、緑茶ですよね」

「そうですね」

「麻衣、きなことあんこと黒ごまがあるらしいぞ」

「わあ、楽しみ。衣都さん、寒い中、ありがとう。大変だったでしょう?」

「い、いえ‥‥‥慣れてますから」

 衣都は。

 衣都は。

 困っていた。

 笑顔の中で。

 困っていた。

 優しそうで、綺麗な人で、何一つ、悪いことはないのに。

────なんだか、近付きたくない。

 衣都は、谷山麻衣と名乗った人が、いやで、困っていた。

 綺麗な、優しそうな人なのに、眼差しを向けられると。

 色素の薄い綺麗な目を向けられると。

────なんか‥‥‥やだ‥‥‥。

 まるで、なにもかもをすべて見透かされているような感じで。

 なんだか、とても、とても、居心地が悪くて。

 帰りたくなった。

 そして、もう、ここに、近付くのはやめよう、と、なんでか、どうしてか、強く、強く、追い立てられるようにして、思った。

 

 

 

 

     11

 

 

 

 なんだか、あわあわと、女の子が帰って行った。

 大量のおはぎを置いて、あわあわあわあわ、と。

(‥‥‥なんだか、落ち着きがない子だなぁ) 

 あわあわと帰っていく女の子を見送りつつ、麻衣は、そんなことを、思った。

 そして、少し、ほっとした。

 どうしてか、なぜか、分からないけれど、よい子だと思うのに。

(‥‥‥なんだろう。苛々する?)

 顔を見ていると、話をしていると、奇妙に、落ち着かなかった。

 だから、正直、早々に帰ってくれて、ほっとした。

「‥‥‥あー。まずったな。最初、誰だこれ、と、顔に出ただろうしな」

「仕方有りませんよ。本当に、知らないんですから」

「まーなー。しかも、それ、言うわけにはいかんしなぁ」

「そうですね。怖がりの方ですし、余計に、怯えるだけで、なにも良いことはないですしね」

「‥‥‥しかし、悪いことしたな。折角、おはぎを持ってきてくれたのに」

「きっと、また、いらっしゃいますよ」

「だといいけどな」

 落ち込んでいる滝川には悪いが、麻衣は、来ない方がいい、と、強く、強く、強く、思った。

 会いたくない、とも。

 だが、どうしてそんなことを思うのかは分からなかった。

 少し、不思議だった。

「‥‥‥麻衣、おはぎ食わないのか?美味いぞ」

 そして、大量のおはぎを前にしても、食欲が沸かないのが不思議だった。

 美味しそうだった。とても。手作りのおはぎなんて本当に久しぶりだ。

 なのに、手が伸びない。

「‥‥‥なんか、食欲なくて」

 食べたくない、と、麻衣は、視線を逸らす。

 そして、しまった、と、思った。

 滝川も安原も、なんだか、深刻そうな顔になってしまった。それと、どうして、こんな時に来るかな、という、タイミングで、顔を出したナルも、眉間に皺を寄せている。

「‥‥‥あ、あの‥‥‥でも‥‥‥一個ぐらいは‥‥‥」

「麻衣、無理しなくていいんだぞ」

「そうですよ、谷山さん。無理は駄目です」

「‥‥‥だ、大丈夫‥‥‥」

「麻衣、もうちょっと、寝て来い。顔色悪いぞ」

「いまのうちだけですよ、ゆっくりできるのは。資料が揃ったら、また、大忙しなんですから‥‥」

「‥‥‥え、と、ほんと、大丈夫‥‥‥」

 しまった、しまった、私の馬鹿ーっっっ、と、心中で絶叫しつつ、麻衣は、手近なおはぎをつまもうとして‥‥‥‥‥‥。

────ぐちゃ。

「‥‥‥あ‥‥‥」

 つまもうとしたのに、力加減がうまくできなくて、潰(つぶ)してしまった。

「‥‥‥‥‥‥麻衣」

「‥‥‥‥‥‥谷山さん」

「‥‥‥‥‥‥馬鹿だな」

 麻衣は、流石に、反論できなかった。

 かくして、麻衣は、起きたばかりだというのに、布団に、逆戻りさせられた。

 

 

     ※

 

 

「‥‥‥‥‥‥しかし、暇だな」

 あうあうあう、と、呻きつつ、連れられていく麻衣を見送ってから、滝川は、ぼやいた。

 緑茶を片手に、おはぎをつまみつつ、欠伸をかみ殺しながら。

「‥‥‥‥‥‥なんかやることないか、少年」

「僕にもありませんよ。暇です。でも、仕方ないですし、勝手に動くと怒られるので、なにもしません。やりたいならお一人でどうぞ」

「‥‥‥‥‥‥」

「その後の雷もご自分で全部引き受けてくださいね。僕はなにも聞かなかったことにします」

 容赦のない安原の言葉に、滝川は、ぐっ、と、黙った。

 反論も、しなかった。なぜなら、滝川は、分かっていたからだ。

 待機になった理由も、分かっているし、納得しているからだ

────不用意に動くのは、危険過ぎる、と。

 たかが一回近くまで様子を見に行っただけで、メンバーは、ほぼ、全滅。気持ち悪くて、動けなくなった。麻衣と滝川は、倒れた。さらに、滝川などは、記憶まで、ぶっ飛んだ。

 そんな所に近い場所で、迂闊に、不用意に、ふらふら出歩くのは、馬鹿である。

 そして、決して、馬鹿ではない博士様が、そんなことをするわけもなく、ただいま、絶賛、不幸な男をこき使って、情報集め中なのである。だから、動くのは、却下なのである。

だが、それでも、そこまで分かっていても、滝川は、なんだか、落ち着かなかった。

 待機と言われて、ごねるのは、無駄なことだ。

 他のメンバーが合流するまでの我慢だ。後少しだ。

 そう分かっているのに。

「‥‥‥‥‥‥分かっている。分かっているが、それでも、なんか、落ち着かないんだ」

「‥‥‥珍しいですね。そんなこと言い出すなんて」

「動きたくて、動きたくて、わきわきするような感じだ。落ち着かない。なんだろうな、ああ、居心地が悪いってのに似てる」

 滝川自身も、その感覚は、うまく、言葉には、表せなかった。

 ただ‥‥‥。

「雪かきでもするのは‥‥‥馬鹿か」

「所長の絶対零度攻撃はお一人で受けて下さいよ」

 落ち着かない。奇妙に、落ち着かない。

 それは、居心地が悪い感覚と似ていて。でも、なんだか、違って。

 だが、いまは、それ以上は、なにも、分からなくて、言うだけ無駄で。

「‥‥‥」

 暇だ、と、また、ぼやきかけた滝川は、緑茶と一緒におはぎを呑み込んで、溜息と愚痴を呑み込んだ。そして、

「‥‥‥風呂でも入るか」

「あ、それはいいですね。ここのお風呂は見事ですしね」

 別館に備え付けの見事な露天風呂を思い出して、腰を上げた。

 

 

 

     12

 

 

 

 立ち上る蒸気の向こうは、一面の白。

 重い灰色の空からは、小さな白が、降っている。

 その美しいが、冷たく寒い光景を見つめながら、麻衣は、ただ、感嘆の吐息を吐き出した。

 ほどよい熱さに浸かりながら。

「‥‥‥なんか、すごいんですけど‥‥‥」

 麻衣は、雪景色を眺めることの出来る露天風呂に居た。

 そして、一足先にこの眺めを満喫した滝川が絶賛して薦めるだけはある、と、納得しながら、見事な綺麗な眺めをぼんやりと見やっていた。

「‥‥‥‥‥‥」

 音はなく、静かで、美しい時間だけが、過ぎていく。とても贅沢な時間だった。

 しかも、今回、調査に参加している女性は麻衣だけで、貸し切りだった。

 雪を眺める露天風呂を貸し切りなんて、金額を考えるだけで、びくびくしてしまう。

 けれど‥‥‥。

(‥‥‥綺麗だし、温泉も気持ちいいし、でも‥‥‥)

 お湯に浸かりながら、麻衣は、つまんない、と、思った。

 凄いね、綺麗だね、豪華だね、と、言い合う相手が居ないのはつまらない、と。

(‥‥‥綾子、早く、来ないかな)

 お姉さんみたいなお母さんみたいな存在の到着を、麻衣は、とてもとても強く待ち侘びた。

 いますぐに会いたい、と、駆け出したくなるような気持ちも少しあった。

 それは、つまりは、麻衣が、いま、不安定だという証でもあった。

 だから、麻衣は、自分に、言い聞かせた。

────不安定になっている。

────注意しなくては。

────みんなに。

────迷惑が掛かる。

 繰り返し、繰り返し。

 けれど、繰り返せば、繰り返すほど、不安になる気がした。

────どうしたら。

────いいんだろう。

────最近は暴走していないけれど。

────今回はちょっとやばい気がする。

 湯に浸かりながら、麻衣は、ぼんやりと考える。だが、考えても、考えても、答えなど、出ない。

 むしろ、考えれば考えるほど、気分が滅入ってきたので、麻衣は、別のことを考えてみたりもした。今日の昼、出会った少女のこと、その少女に対して感じた珍しい気持ちなどを。

────どうして。

────嫌だと思ったんだろう。

────よい子だと思うのに。

────やっぱり。

────いまも。

────会いたくない。

 けれど、別のことも、疑問が溢れるばかりで、答えなど、出なかった。

 だから、いま、結論を出すことは、仕方なく、諦めて、麻衣は、のたのたと湯から上がった。

 そして‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥」

────ぺったん。

 固まった。

「‥‥‥‥‥‥」

────ぺったん。

「‥‥‥‥‥‥」

 なにか白い物が、動くのを、麻衣は、うっかりと、視(み)た。

 いや、現在進行形で、視(み)ていた。

────ぺったん。

────ぺったん。

────ぺったん。

 視(み)ていた。

────ぺったん。

────ぺったん。

────ぺったん。

 視(み)ていた。

────ぺったん。

 まずい、やばい、と、思ったのだけど。

────ぺったん。

 動けなかった。驚き過ぎて。

────ぺったん。

 だから、視(み)ていた。助けを求めもせずに、ただ、視(み)ていた。

────ぺったん。

 蒸気が立ち込める中、床を、飛ぶ、白い、小さな、生き物を。

────ぺったん。

 麻衣は、なんだか、夢を見ている心地だった。

 もしかしたら、まだ、眠っているのかも、とも、思った。

 だって、蛙だ。それは、間違いなく、蛙だった。

 白いけれど、蛙だった。しかも、その蛙は。

────びよぉん。

 と、呆然と見ている麻衣の前で、大きく跳んだ。

 そして、露天風呂の湯船を飛び越して、雪景色の中へと、飛び込んでいった。

 ありえなかった。なんだか、馬鹿馬鹿しいほどに、ありえなかった。

 けれど、麻衣は、分かっていた。いや、分かってしまった。

「‥‥‥さむさむさむさむさむさむさむ‥‥‥」

 暖かなお湯の中に、潜り込んでしまうほどに、寒さを訴える全身が、寒さではない寒さに震える背筋が、教えてくれている。それは、けっして、夢ではなく、だが、現実ではなく、麻衣は、普通の人は、たぶん、視(み)ることができないものを、視(み)たのだと。

 そして、それは、調査の進展上はよいことで、だが、麻衣的には、かなり、無かったことにしたいことだった。なぜなら、麻衣には、分かっているからだ。この件では、こってりと、叱られるだろうということが。

「‥‥‥うううううう」

 だって、麻衣は、忘れていたのだ。今回はやばいから絶対にいつでも持ち歩くように、と、渡された、お守りの存在を。しかも、今回は、お風呂だから、という、言い逃れは赦(ゆる)されない。

 女性陣不足の不安を補うため、滝川は、わざわざ、完全防水仕様で、くれたのだ。

 首から掛けれるように、お守り袋に長い紐まで付けて。

「‥‥‥ううううううう」

 いま、この瞬間まで、そのことを、すっかり忘れていた麻衣は、本当に、自分は、ぼんやりしているというかうっかりしているというか、と、大反省中だった。

────だが、麻衣は、間違っていた。

────そう、とことんまで、間違っていた。

 麻衣が、いま、為すべき事は、護符も持たないで、裸という不安定な状態で反省することでは決して無く、すばやく、湯から上がり、安全な場所に移動することだった。

 けれど、麻衣は、それには、気が付かず、それからも、しばらく、そこで、反省しつづけ‥‥‥。

 湯あたりする寸前で、なんとか、お風呂から上がって‥‥‥。

 勿論、こってり、しっかり、じっくりと、怒られた。

 

 

     ※

 

 

「‥‥‥それで?」

 暖かいはずの室内で、氷点下の嵐が、吹き荒れていた。

 滝川は、その寒さに耐えつつも、直撃を受けている麻衣を可哀想だとは思いつつも、止めようとはしなかった。

「‥‥‥えと‥‥‥そのまま、雪の中に、こう、びよおん、と」

 麻衣は、隠し事をしなかった。だから、滝川は、麻衣が、うっかりと護符を外してお風呂に入ってしまったことを知っているからだ。

「‥‥‥すごい跳躍だった。んで、そのまま雪の中に‥‥‥」

「つまり、その間、見ていたんだな。動けなかったのか?」

「‥‥‥そういうわけでは‥‥‥ないと‥‥‥思う」

 語尾が小さくなっていく麻衣は、反省している。けれど、反省だけでは、素直にすべてを話すだけでは、意味がない、と、滝川は思う。だから、可哀想だとは思うが、こってりと絞られている麻衣に、決して、助け船は出さなかった。

「‥‥‥次から‥‥‥気を付けます」

「無理だな」

「‥‥‥無理って‥‥‥」

「麻衣、自分が、次から、気を付けることができると思うか?」

「‥‥‥‥‥‥」

「いまのおまえでは無理だ。しばらく、おまえは、ベースで寝泊まりするしかないな」

「‥‥‥ベースで寝泊まり‥‥‥」

「いまのおまえには、見張り役が必要だ。松崎さんが来るまで、我慢しろ」

「‥‥‥うううう」

 妥当な判断だ、と、滝川は思った。唸っている麻衣は可哀想だが、仕方のないことだ、とも。

 なぜなら‥‥‥。

────滝川も。

────ナルも。

────他の仲間たちも。

────みんな。

────あの冬の調査の時のような思いはしたくないのだから。

 朝、目が覚めたら、麻衣がどこにも居なくて。探しても、探しても、どこにも居なくて。

 もう駄目かも、と、泣きたくなった、あんな気持ちは、本当に、もう二度と、味わいたくない。

 だから、ナルの判断と警戒は、正しい、と、思った。

 それに、滝川には、気になることがある。

 違うとは、思いたいのだが‥‥。

(‥‥‥‥‥‥白い蛙‥‥‥)

 麻衣は気が付いていないようだが、白は、特別な色だ。

(‥‥‥‥‥‥まさかな)

 考えたくはないが、だが、奇妙に、不安が、高まる色だ。

 だから、いつもより、さらに、注意するのは、当然のことだ、とも、思った。

 なにせ、白とは、白い生き物とは‥‥‥。

 昔から‥‥‥。

 

 

 

 

     13

 

 

 

「‥‥‥真砂子ちゃんが、居ないのは、かなり、痛いな」

 夜、男陣の寝泊まりする場所、と、決めた一室で、滝川は、深い吐息を吐き出した。

「‥‥‥そうですね。いろいろと困りますね」

「明日の昼、様子を見に行くらしいが‥‥‥正直、不安だな。できたら麻衣は置いて行きたいが‥‥‥置いて行くのもやばいしな」

「‥‥‥そうですね。いまの谷山さんでは、かなり、不安ですね。なんか、ぼうっとしているというか‥‥‥」

「‥‥‥綾子が早く来てくれるといいんだが」

 溜息ばかりをつく滝川を見ながら、安原は、昨夜も似たような話しをしたな、と、苦笑混じりに思った。冬の調査だからだろうが、滝川は、今回は、いつもよりかなり心配性になっているようだった。それには、冬だからというのもあるだろうが、視(み)ることができなくなった仲間の件もかなり影響しているようだった。

 麻衣もその件は気にしているようだが、安原からすれば、滝川も、その件で、かなりダメージを受けているような感じがした。気持ちは分かるが‥‥‥いや、正直、安原には、実感が無い。

 勿論、いままであった能力、しかも仕事にしていたことを喪うのは、辛いと思う。

 けれど、安原は、でも、それは、彼女が、望んでいたことではないか、と、思いもする。

 視(み)ることのできない、だからこその幸福を享受している、同年代の少女たちを、羨んでいるような、そんな、素振りも、微かにあったのだ。だから‥‥‥。

「‥‥‥真砂子ちゃん、どうしているかね」

 そんな、この世の終わりのような顔で、案じなくてもいいのではないか、と、思う。

「‥‥‥きっと、元気にしてらっしゃいますよ」

「‥‥‥そうだな」

 肯定の答えを返しているが、滝川は、まったく、そんなことは思っていない、と、安原には、はっきりと、明確に分かった。滝川は、それほどに、呆れるほど、分かりやすい、暗い顔をしていた。

「‥‥‥そんなに‥‥‥」

 その暗い顔を見ていたら、視(み)えなくなるということに関して、詳しく、聞きたくなった。

 好奇心からだけではなく、それは、知っておくべきことのようにも思われた。

「‥‥‥そんなに、悲観することですか?僕には、最初から、視(み)ることができないので、良く分からないのですが」

 滝川は、軽く、目を見張った。そして、ああ、ああ、そうだな、と、ぼやくように呟いた。

「‥‥‥そうだな。少年には‥‥‥最初から、視(み)えないから、あの、不便さは分からないよな。いや、そうだな。普通はそうで、視(み)たいと思っている奴は、少ないだろうな。あの、衣都ちゃんだっけ?あの子も、視(み)たくないって叫んでいたんだろ?」

「‥‥‥まあ、確かに。ただ、あの衣都さんは、極端な例だと思いますが」

 かなり怖がりの少女を思いだして、安原は、苦笑する。彼女は、かなりの例外だ。

「僕は‥‥‥そうですね。こういったことに慣れてしまって、いまの役割が気に入っているのですが、視(み)ることができれば、と、思わないでもないですね」

「‥‥‥そっか」

「でも、正直、視(み)ることができるのは、しんどいことだな、とも、思ってます。視(み)るというよりは、感じる、ですかね。所長も、谷山さんも、原さんも、視(み)ることで、余計な荷物を背負わされている気がします。特に、能力に振り回されている谷山さんを見ていると‥‥‥大変そうだなぁと思います。だからですかね。たまに、視(み)えたらいいけど、視(み)えない方が、幸せなことなのかもな‥‥‥そんなことを思うこともあります」

「‥‥‥ああ、麻衣に関しては、俺も、そう、思う。麻衣の能力は、強すぎるし、生死に関わるからな」

 滝川は、吐息を、吐き出す。

「‥‥‥でも、真砂子ちゃんは、きついだろうな。麻衣は、すぐに順応するだろうが、真砂子ちゃんは、きつい。小さい頃から、視(み)えていたのに、視(み)えなくなるのは‥‥‥本当に、きついんだ。慣れるまで、諦めるまでは、しんどいもんだ。そうだな、まるで、あれは、失明するような感じだ」

「‥‥‥‥‥‥失明、ですか」

「ああ、そんな感じだ。まあ、なんというか、こればかりは、持ってみないと分からない感じかもしれない。ただ、五感っていうだろ?霊感は、第六感って言い方もする。つまりな、あって当たり前の感覚で、それが無くなるというのは、本当に、五感の一つが、無くなるぐらいの感覚なんだ。‥‥‥俺なんかも、途中で、視(み)えなくなった口だが、最初は、普通に歩くのもきつかったな。どこをどう歩いていいのか、確信が持てなくて‥‥‥本当に、困ったな」

 苦笑混じりの言葉には、けれど、かなりの重みがあって、安原は、驚いた。

 大変だとは思っていた。思っていたが。

「‥‥‥そこまで、ですか」

「頭では、分かっているんだ。無いのが普通で、十二分に暮らしていけると。むしろ、嫌なものを視(み)なくて済むようになった、と、思ってもいるんだが、もう、なんというか、当たり前になっていて、当たり前ではないことが、どうしたらいいのか分からないんだ。‥‥‥そうだな、ああ、マラソン選手とかみたいな感じかな。普通の人は、あんなに早くたくさん走れないだろう?けど、選手は走れる。だが‥‥‥故障すれば、もう、走れない。そんな感じだな」

「‥‥‥故障、ですか」

「ああ、そんな感じだ。走れなくても歩ける。歩けるなら、日常生活には支障がない。けど、そう聞くと、不運な感じがするだろ?普通に戻っただけなのに、とても不便な感じがしないか?」

 確かに、と、安原は思った。選手の故障とかは、不運な出来事として、捉えられることが多い。

 だが、そう言われれば、確かに、普通になるだけ、とも、言える。勿論、それまで積み重ねていた努力が無に帰するのは、悔しいだろうし、可哀想だとも思うのだが。

「‥‥‥それに、真砂子ちゃんは‥‥‥真砂子ちゃんが、きつい、と、思うのは、真砂子ちゃんには、たぶん‥‥‥逃げ道が無いと思うからだな。麻衣は、視(み)えない時期が長かったから、順応するのも早いだろうし、そういったこととは関わり合いのない友人も多い。けどな、真砂子ちゃんには、そういった友達は居ないだろうし‥‥‥ご両親も、視(み)えない真砂子ちゃんに対する、なんというか、気遣いができる感じじゃないしなぁ‥‥‥話しを聞く限りだと。そうすると、真砂子ちゃんには、ほんと、逃げ道がないんだ。‥‥‥一番、仲の良かった、いや、綾子に聞くと、麻衣が、ほんと、初めての友達‥‥‥みたいだな。なのに、真砂子ちゃんは、麻衣には、会えない。会うとお互い辛いからな。‥‥‥だから、本当に、本当に、逃げ道がないんだ。そう思うと、心配で、たまらん。それに、真砂子ちゃんは‥‥‥それだけを誇りにしている気がして‥‥‥‥真砂子ちゃんの良いところは、それだけではないと‥‥‥分かっているのに、信じていないような気がする所が、怖いな」

 それは、安原にも、良く、分かった。彼女は、強いけれど、脆(もろ)い、と。

 必死に頑張っていて、それは良いことだけど、張りつめていて、怖い、と。

「‥‥‥なんか、僕、ものすごく、心配になってきました」

 彼女の生真面目さは、分かっているつもりだった。

 そして、分かっていて、大丈夫だと、安原は、思っていた。

 だが、いまは、なにもかもが、いまいち、自信が持てない。

────彼女は。

────あの時も。

────あの時も。

────笑っていたけれど。

────無理をさせていたのではないだろうか。

「‥‥‥なんか、すごく、心配です」

「‥‥‥おいおい」

「‥‥‥実は、週一程度で、お会いしているんですが、元気そうだから、大丈夫かと、つい、楽観視していたのですが‥‥‥」

「‥‥‥いつのまにそんな仲に」

「や、だって。ほら、僕は、元々、視(み)えない人ですから。能力関係のことは、気にしないで居られるのが、らくちんかなー、と、アタック中なんです」

 いままで秘密にしていたことをあっさりと暴露しつつ、安原は、笑いながら、でも、本当に、本気で、不安だった。

「‥‥‥でも、無理をさせていたのかもしれません。所詮、僕は、関係者ですし」

 そう言葉に出すと、余計に、そんな気がした。

 真剣に、本当に、不安で、安原は‥‥‥ぞっとした。

 ずっと見ていたから、安原は、知っている。

 彼女の、恐ろしいほどに純粋で、思い詰めてしまう性格を。

 だが‥‥‥‥。

「‥‥‥前言撤回だ」

「‥‥‥‥え?」」

「真砂子ちゃんは大丈夫だな」

「‥‥‥‥滝川さん?」

「いつも余裕たっぷりの憎たらしい越後屋が、年相応の顔をするほど、気にして構っているんだ。‥‥‥真砂子ちゃんも、頼もしいだろうよ」

「‥‥‥‥‥‥」

「黙っていたのはむかつくが、ほっとした」

 言葉通り、滝川は、少し安堵したようだった。

けれど、安原は、なんだか、余計に、不安になった。

だから、安原は‥‥‥。

(‥‥‥明日になったら、こっそりと連絡を‥‥‥)

 しよう、と、決めて‥‥‥‥‥‥。

 

 

 

     14

 

 

 

 機材の積まれたベースの片隅で、麻衣は、少しだけ、困っていた。

 良く寝たはずなのに、瞼は重く、睡魔が、来い来い、と、呼んでいる。

 だから、寝たい。ものすごく、眠い。

 けれど、麻衣の目の前では、ばっちりと目を開けた二人が、仕事をしている。

 なんだか、眠るのは、悪い気がした。それと、今更だが、寝相とかも、気になる。

 だが、そんなことを言えるような立場ではないことは、確かである。

 けれど、しかし、それに‥‥‥。

「寝ろ」

 うううう、と、困っていると、落ち着いた、確固とした声が、飛んで来た。

「‥‥‥お茶、とか‥‥‥」

「必要ない」

「‥‥‥」

「寝ろ。眠いんだろうが」

 今度は少し呆れたような声が響いて、それから、椅子を動かす音がした。

「‥‥‥どうした?」

 そして、いつもより優しい気がするナルが、麻衣の間近にやって来て、頭を撫でた。子供扱いはやめようよ、と、言いたいのに、あまりにも心地よくて、麻衣は、文句も言えずに、うっとりとした。

 ナルの手は、優しい。いつだってどんな時だって、優しい。

 優しくて、心地よくて、だから、つい、本音が、漏れる。

「‥‥‥寝たくない」

「なぜ?」

「‥‥‥わたし‥‥‥ちょっと不安定だし‥‥‥寝たら‥‥‥夢を視(み)そうで、こわい。また、みんなに、迷惑を掛けそうだし‥‥‥だから‥‥‥寝たくない」

 馬鹿なことを言っている、と、麻衣は分かっていた。

 人は眠らずには居られないのだから、こんなことは、言うだけ無駄だ、と。

 けれど、そう分かっていても、言わずには、足掻かずには、居られなかった。

「‥‥‥馬鹿な奴だ。なんの為に、ここで寝かせていると思っているんだ?」

「‥‥‥でも」

「大丈夫だ。いままでも大丈夫だっただろう?」

「‥‥‥でも、迷惑が‥‥‥」

「本当の迷惑は、ここで眠らずに、目の届かない所でうたた寝をすることだろうな。おまえは、寝汚いから」

「‥‥‥」 

 ひどい、と、麻衣は思った。だが、その通りで、反論できなかった。

「だから、いまの内に、寝ておけ。うたた寝をしないように」

 うう、と、唸りつつ、麻衣は、でも、でも、と、心中で繰り返す。

 だが、穏やかな声と、優しい手の、恐ろしいほどの心地よさには、逆らえない。

「‥‥‥大丈夫だ。僕が、側にいる」

 本当に弱っている時だけ、とことん優しい罪作りな人の声を聞きながら、麻衣は‥‥‥ゆっくりと、夢の中へと、沈んだ。白い、白い、白い、降り積もった雪の中へと、埋もれるように。

 抗うことも赦(ゆる)されずに、引きずり込まれていく。

────こわいよ。

 その、常とは違う、夢へと引きずり込まれていく感覚に、麻衣は、声を上げた。

 いや、声を上げたつもりだった。

 だが、その声は、どこにも届かなかった。

 すぐ、間近にいるはずの、ナルにさえも。

 そして、麻衣は‥‥‥‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

 麻衣は、白い世界の中で、立ち尽くしていた。

 どこまでも、どこまでも、どこまでも、ただ、白い、世界を見渡していた。

────ああ。

 そして、眠ってしまったのか、と、吐息を吐き出した。

 眠らずにいられればいいのに、と、麻衣は、思う。

 そうすれば、ここには来ずに済むのに、と。

 だが、それは、願うだけ無意味なことだとも、分かってはいる。

 そして、逃げるだけでは、ここから、逃れることは、できないことも。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 声を掛けられて、麻衣は、振り返る。

 そして、そこに、白い人を見出す。

 白い人は、麻衣に、話しかける。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 麻衣は、その言葉に、言葉を返す。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 言葉が、行き交う。とても多くの言葉が。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 だが、どこまでも、平行線だった。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 麻衣は、疲れていた。麻衣は、分かっていた。

 白い人とは、どこまでも、相容れないのだと。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 でも、麻衣は、諦めなかった。

 駄目だろうと、絶望しつつも、微(かす)かに期待していた。

 そして、早く、と、祈っていた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」    

 早く、誰か、気が付いて。早く、誰か、止めて。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」  

 これ以上、凍える前に。これ以上、哀しいことが増える前に、と。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥また、花が咲いた」

 けれど、麻衣の願いなど、叶うわけもなく、また、哀しいことは、増えた。

 麻衣は、聞きたくない言葉を聞きながら、泣きたくなった。

 そして、どうして、と、誰かに、叫びたい。

 けれど、誰に叫んでも無意味なことは、分かっている。

 哀しくて、哀しくて、哀しくて、たまらないけれど。

 なにもかもが、いまは、もう、無意味だ。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 それでも、せめて、と、麻衣は、話す。

 平行線を辿っていくばかりだと分かっているのに。

 ただ、必死に。

「‥‥‥‥‥‥裏切りには、報いを与えるべきだと思う」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 ただ、必死に。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 けれど、麻衣は、分かっているのだ。なにもかもが、無意味だということを。

 だから、麻衣は、早く、目覚めたい、と、祈るように願う。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 けれど、まだ、目覚めは、遠く。

 不安ばかりが、ただ、増えていくだけだった。

 

 

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥