‥‥‥‥‥‥‥nanatuki

 

 

 

 

     序

 

 

 

 麻衣が、不安定になっている。

 そのことに、ナルは、気が付いていた。

 日ごとに寒くなっていく気候のように、日増しに、不安定になっていることに。

 だが、ナルは、その不安の源に、手出しをすることが、できなかった。

 いや、何者もできない、と、言うべきか。

--------原真砂子の能力の消失。

 それが、麻衣の、不安定の源だった。

 能力者なら、誰でも、その可能性は抱えており、ナルでさえも例外ではない。

 そして、発生原因も解明されていない能力を、留める確実な術は、どこにもない。そして、そのことを、麻衣も、良く知っていた。だから、麻衣は、原真砂子の一件が明らかになってから、その件については、嘆きもしないし、泣きもしないし、喚いたりもしない。

 だから、より一層、不安定になっているようだった。

 だから、ナルは、思う。

(‥‥‥いっそ、泣き喚けばよいのに)

 最もダメージを受けているのは、能力が消失した原真砂子だろう。

 だが、原真砂子を大切な友人だと思っていれば、彼女が受けたダメージを思って、傷つくことも、嘆くことも、泣くことも、当然のことだった。

 ましてや、麻衣と彼女は、差違はあるが、似た傾向の、特異な、異常とまで、時には蔑視されてしまう能力を持っていた。だからこそ、ある程度、感覚が共有できるからこそ、結びつきは強かった。

 なのに、それは、唐突に消え失せた。

 それは、麻衣が考えているよりは、麻衣にとっても、深刻なダメージだ。

 だから、泣き喚けばいいのだ。

 泣き喚くことは、赦されているのだ。

 なのに、麻衣は‥‥‥。

--------泣かない。

 辛いのは、原真砂子で、まだ能力がある自分には、嘆く権利が無いと思っているようだった。

 馬鹿な話しだった。

 愚かな話しだった。

 けれど、同時に、不器用な、麻衣らしい、感情の処し方でもあった。

 だが、そんなことは長くは続かない、と、ナルは知っている。

 哀しいものは、哀しい、苦しいものは、苦しいのだ。

 ましてや、麻衣は、呆れるほど、感情豊かだ。

 うち消しても、うち消しても、溢れるだけなのだから、無意味だ。

 そんなことをしても、ただ、段々と降り積もって、苦しくなるだけだ。 

 だから、ナルは‥‥‥。

--------泣けばいい。

 強く、そう思う。

 隣にナルが居るのに、ぼんやりと心を遠くに飛ばしている姿を見ると、特に、強く、強く、強く、そう思う。

 同時に、不安でもあった。

 ここ数年、麻衣は、能力の暴走という爆弾を常に抱えている。

 心の平衡を欠くようなことは、極力避けなくてはいけないことだ。

 麻衣の能力の暴走、動植物節操なしのサイコメトリは、酷く、危険なのだから。

 けれど、ナルには、手立てがなかった。

 麻衣の心の不安の源を、取り除くことは、してやれない。

 それは、仕方のないことで、けれど、不安で、そして、なぜか、腹立たしい。

 だから、ナルは‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

 不意に、ナルに、捕まえられた。

 え、と、思っている間に、がっしりと。

「‥‥‥ふえ?」

 ぼんやりと考え事をしていたので、突然のことに、うまく対処ができなかった。

 だから、気が付いたら、なんだか、妙なことになっていた。

「‥‥‥えと‥‥‥」

 リビングのソファの上、いや、ナルの膝の上で、麻衣は‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥えーと」

 首を傾げる。

 そして、なんでこんなことに、と、思いつつ、強く抱き締められると、嬉しくて、つい、力が抜けてしまって、困っていた。ここは安全、ここが一番、と、もうすっかり覚えさせられたから、ぬくぬく安心しきってしまうので、かなり、困っていた。勿論、分かってはいるのだ。別の意味では、この腕の中は危険だということを。

 けれど、暖房が効いてはいるけれど、寒い、冬に。

 大好きな大好きな人の温もりに包まれては。

 とろとろに溶けてしまうのは仕方のないことではないだろうか。

「‥‥‥‥‥‥にゃー‥‥‥」

 そう、にゃー、と。

「‥‥‥にゃーにゃーにゃーにゃー」

 可愛く鳴く可愛い子の声で、麻衣は、はたりと我に返った。

 キッチンの辺りから、甘えるような声で鳴いているのは、春、麻衣が、公園で拾った元子猫だった。

「‥‥‥にゃーにゃーにゃーにゃー」

 あんまり鳴かない子なのに、どうしたんだろう、と、麻衣は、慌てて、ナルの膝の上から降りようとした。だが、当然のごとく、阻まれた。

「‥‥‥麻衣」

「え、だって、太郎が‥‥‥」

「‥‥‥」

 ナルは、物凄く、不愉快そうだった。

 麻衣も、ちょっと、名残惜しい。

 暖かい安心できる場所で、もう少しぬくぬくしていたい。

 だが、それはそれ、これはこれである。

「ご飯、もう無いのかも。補充してあげないと」

「‥‥‥」

「だから‥‥‥あの、すぐ、戻って来るから」

「‥‥‥」

 吐息が吐き出されて、麻衣を囲っていた腕が外された。

 そのことに、ほっとして、でも、少し、寂しく思いつつ、麻衣は、キッチンへと向かった。そして、足下にすり寄る可愛い子の頭を撫でてから、おやつを補充して‥‥‥‥‥‥。

 ふと、可愛い子を拾った時のことを、思い出した。

 満開の櫻が咲いている時を。

 懐かしく、焦がれる気持ちで。

(‥‥‥早く)

 これから、季節は、真冬に突入していく。

 櫻が咲く春はまだ遠い。

(‥‥‥早く、春が来ればいいのに)

 遠い春を思い、焦がれて、麻衣は、僅かに目を伏せる。

 そして、その時には、真砂子が願っているように真砂子のこれからの目標が決まっているように、と、祈るように願って‥‥‥‥‥‥。

 

 

    ※

 

 

 麻衣が、戻って、来ない。

 身体の奥で燻る火を感じながら、ナルは、吐息を吐き出した。

 そして、立ち上がり、キッチンへと、向かい‥‥‥。

(‥‥‥またか‥‥‥)

 キッチンで、座り込んで、餌を食べる猫を、ぼんやりと、眺めている麻衣を見つけた。

 麻衣は、ナルが近付いたことにも気が付いていないようだった。

 ただ、ただ、ただ、ただ、ぼんやりと、心をどこかに飛ばしていた。

 その姿は、酷く、危うく感じられた。

 ここ最近、さらに、酷くなっている気がした。

 だから、ナルは、迷う。

(‥‥‥置いて行くべきか)

 まもなく調査が始まろうとしていた。

 久しぶりの大がかりな調査になりそうだった。

 大がかりということは、それだけ、危険だということだった。

 そんなところに、こんな不安定な麻衣を連れ出すことは、無謀なことのように思えて仕方なかった。

 けれど、ナルは、分かってはいるのだ。

 安全だと思える場所に隔離したとしても、無意味だと。

 麻衣の能力を遮断できる場所など、どこにもない。

 ならば、まだ、いざという時には、対処の方法を持っているナルの側に居た方が、ましだと。

 けれど。

 だが。

 分かっていても。

 ナルは。

 迷った。

 不思議に思うほどに。

 幾度も。

 迷った。

 けれど、

 迷いつつも、

 ナルは、

 麻衣を‥‥‥‥‥‥。

 

 

 

 

 

 

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