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 彼は、酷く、驚いていた。

 顔には、まったく、表れていなかったが、とても、驚いていた。

 そんな彼を、ソレは、胡散臭そうな目で、見ていた。

 そんな目で、初対面の人間に見られるのは、ほとんど、初めての経験だった。

 そのことにも、彼は、少し、驚いていた。

 だが、その驚きと比べたら、そんなことは、ささやかなことだった。

────これは、なんだ?

 彼を驚かせているのは、少女だった。

 少なくとも、彼には、ごくごく普通の少女に見えた。

 周囲を囲む、友人であろう少女達と、なにも変わらないように見えた。

 良くも悪くも、周囲に溶け込んでいる。

 なのに。

────これは、なんだ?

 少女は、彼に、強い、強い、驚きを与え続けた。

 少女だけが、光り輝いている、という、わけの分からない現象を、引き起こしながら。

────これは、なんだ?

 最初の驚きが、少し治まると、彼は、少女に、強い興味を覚えた。

 情報収集がてら話しをして、興味はさらに強まった。

 彼が、極東の島国に訪れているのは、喪われた片割れの遺体を探す為だった。

 他のことに、関わっている暇などなかった。

 そう、分かっていた。

 だが、彼は、その、強い強い興味を、抑えられなかった。

 だから、彼は、少女と出会うきっかけとなった調査が終わってからも、谷山麻衣という名の少女を、手元に置いて、観察することにした。

 それが、新たな驚きと、混乱を、引き起こすとも、知らずに。

 

 

     ※

 

 

 彼は、驚いていた。

 顔には、あまり出さなかったが、驚愕と言っても良いほど、驚いていた。

 なにがどうなったのか、どうしてそうなったのか、さっぱり、理解できなかった。

 だが、それは、すでに、決定事項だった。

「谷山麻衣をアルバイトとして雇うことにした」

 その言葉を聞いた時、彼は、最初、谷山麻衣とは、誰だろうか、と、思った。

 それほどに、その決定事項は、突拍子もないことだった。

 本当に、彼、リンには、どうしてそんなことになったのかが、理解できなかった。

 だが、リンは、ナルの眼差しを見て、悟っていた。

 それは、もう、決定事項なのだと。

(‥‥‥谷山麻衣、彼女を、アルバイトとして、雇う‥‥‥)

 リンは、しばし、そのことについて考えた。

 日本人全般に対する不快感がある為、不愉快なことだと、思いはする。

 だが、ナルが決めたことを覆すほどのことではないように思われた。

 つまりは、多大な労力を使って、阻止するほどのことではない、と、リンは結論づけた。

「‥‥‥分かりました。では、手続きや、連絡など‥‥‥」

「必要ない。すでに終わっている」

「は?」

「明日から出勤予定だ」

「‥‥‥」

 物凄い早業だった。

 まったく、気付かなかった。

「それと、谷山麻衣のちょう‥‥‥いや、教育は、僕がする」

 リンは、また、驚いた。

 ついでに、動揺していた。

(‥‥‥最初に、なんと言うつもりだったんですかっっ)

 ナルが言い間違えそうになった言葉が、リンは、とてもとてもとても気になった。

 だが、尋ねることは、しなかった。

 尋ねても答えてくれることはないだろうと分かっていたし、万が一にも、答えが返ってくることも、物凄く嫌な予感がしたので‥‥‥避けたかったからだ。

「‥‥‥分かりました」

 そして、嫌な予感がする、と、思いつつも、リンは頷いて、了承した。

 簡単に言えば、投げた。

 もっと、はっきりと言えば、理解不可能な事柄から、逃げた。

(‥‥‥たぶん、ナルには、なにか考えが‥‥‥あるに違いない)

 そして、リンは、さらに、いろいろと付け足して、自らの心の平安だけを、取り戻し、追求はせず、嫌な予感についても、気のせいで終わらせた。

(‥‥‥そのうち、確定したら、また、話してくれるだろう)

 そのせいで、後々まで、胃が痛くなるとは、知らずに。

 

 

     ※

 

 

 彼女は、いまさらだが、迷っていた。

 なんだかとっても気になる人とまた会えることは、たぶん、うきうきすることだった。

 しかも定期的に会えることを確約されるなんて、すごい、良いこと‥‥‥のはずだった。さらには、ちょっとびっくりするような高額のアルバイトも込み込みだなんて‥‥‥ものすごーく喜ぶべき幸運である。

 だが、彼女、麻衣は、知っている。

 同年代の少女たちよりは苦労をして来ているので、身に染みて。

────うまい話には、裏がある、と。

(‥‥‥でもなぁ、私なんか騙してもなぁ‥‥‥)

 渋谷駅前のざわめきの中で、麻衣は、迷いつつも、歩く。

 そして、指示された通りの道を辿り、これから通うであろうバイト先を目指す。

 的確な指示を貰ったので、道に迷うことは、無かった。

(‥‥‥うーん、なーんか、やな予感が‥‥‥するような?)

 そして、麻衣は、約束した時間より三十分早く、目的地に辿り着き、目的の事務所が入っているだろうビルを見上げた。

 真新しい感じがするビルには、赤煉瓦風のタイルが貼り付けてあった。

 一階のテナントには、ブティックや喫茶店が入っていて、小さな中庭のような場所には、噴水まであって‥‥‥ごくごく普通に明るくお洒落で、ものすごく、意外だった。心霊調査をしている怪しい事務所が、入っているようなビルには、とてもとても見えなかった。

 麻衣は、異和感を感じながらも、エスカレーターで上に上がって、さらに、異和感を強めた。

 上は、下とは違って、とても静かだった。なんだか、高級感のある静けさで、ますますなんだか、間違っている気がした。

 けれど、同時に、麻衣は、納得もしてしまっていた。

 心霊調査をしている怪しい事務所には、ここは、似合わない。

 だが、彼、麗しい外見をした、事務所の所長には、似合っている気がした。

(‥‥‥‥‥‥あれ、どきどきする?)

 彼のことを思いだした途端、胸が、ざわめいた。

 ざわざわと、まるで、胸騒ぎがするように。

(‥‥‥‥‥‥え、私、すごく、緊張‥‥‥じゃなくて、嬉しいの?)

 彼に関わることになると、麻衣は、なんだか、自分が、わからなくなってしまうことが、たまにあった。それの一番最たるものは、傍若無人な彼に、優しく笑いかけて貰う夢を見たことだろう。

────夢は、心の底の願いが現れるという。

 だから、麻衣は、その夢を、自分が彼に好意を寄せているのだ、と、解釈した。

 けれど、なんだか、たまーに。

 なんとなく、なにかが、納得しないような、戸惑うことが、ある。

 たとえば、いま、感じているどきどきのように。

 判断に困るというか。

 なんかへんだなー、と、思うのだが。

(‥‥‥ま、いいか。なんとかなるでしょ)

 麻衣は、その、奇妙な引っかかりも、胸騒ぎも、すべて、持ち前の前向きな姿勢で、綺麗に、流した。

(やばそうなら、逃げればいいし!それに恋って、きっと、こんなもんなんだろうし!)

 ずっと後になってから、逃げ出せないようになってから、後悔するとも知らずに。

 

 

 

 

 

────かくして、誤解と錯覚と奇妙なお話しは。

────微妙な感じに始まったのである。

 

 

 

 

 

     

 

 

 彼は、日々、ソレを、観察していた。

 観察しているとは、分からないように注意しながらも。

 ソレ、谷山麻衣は、実に、毎日、賑やかだった。

 良く喋って、良く怒って、良く笑った。

 毎日、毎日、毎日、それは、繰り返された。

 代わり映え無く、たまに波はあっても、変わることなく、繰り返された。

 そう、まるで、それが、ずっと続くかのような錯覚を引き起こすほどに、繰り返されて、そして、そのことに、ナルは、うっかりと馴染んでいた。

 だが、変化は、唐突に、訪れた。

 変わらずにずっと続くことなどあり得ない、と、示すように。

「ナル、おはよう」

 祝日、朝から、出勤の少女は、笑った。

 ただ、それだけだった。

 端から見れば、変化など、なにもなかった。

 いつもどおりの日常だった。

 だが、変化は、まざまざと現れていた。

「‥‥‥‥‥‥」

 挨拶に無言で返した彼を、少女は、少し膨れた顔で見つめる。

 それも、また、いつものことだった。

 少女が、周囲から浮き上がるように、光り輝いていることさえも。

 だが、変化は、確実に、現れていた。

「ナル、挨拶は基本でしょ!挨拶して、返されないと、寂しいし、失礼だよ!」

「‥‥‥‥‥‥おはよう」

 黙っていると、ぎゃんぎゃん騒ぐことは、分かっていた。

 だから、騒ぎを縮める為に、彼は、妥協した。

 そう、ただ、それだけだったのに。

「おはよう、ナル」

 少女は、勝利を勝ち得て、嬉しそうに、笑った。

 そして、また、変化が起きたことを、ナルに、示した。

 周囲から浮き上がるように輝きながら、なぜか、背後に、大輪の白い花を群れ咲かせて。

 ナルは、驚いた。

 表情には、まったく出ていなかったが、とても、驚いていた。

 そして、改めて、麻衣に対する興味を募らせた。

 その気持ちは、極端に纏めて説明すると、いろいろと実験したくて、たまらない、と、いうことだった。

 だが、ナルは、その強い欲求を、その時は、ぐっと堪えた。

 ナルは、知っていた。少女は、とても、逃げ足が早くて、臆病だということを。

 もう少し、慣れて、懐くまでは、我慢すべきだ、とも、分かっていた。

 だから、我慢した。

 ものすごく、苦労して。

 そのすぐ後に、格好の口実が沸き上がることも知らずに。

 

 

     ※

 

 

 少女、谷山麻衣が、潜在的な能力者であることが、ある調査の途中で、判明した。

 そして、調査終了後、ナルの実験によって、ほぼ確定した。

 そのことを知った時、リンは、喜んだ。

 表情には出さなかったが、とても、喜んでいた。

 物凄く、物凄く、それこそ、踊り出したいほど、喜んでいた。

 なぜなら、これで、やっと、理由が、判明したからだ。

 ナルの、奇妙な行動のすべてに。

 ナルは、ここ最近、本当に、やば‥‥‥いや、少し、おかしかった。

 少女のことが、とことん、気になるらしく、気が付くと、いつも、少女を見ていた。

 しかも、凄い、目つきで。

 だが、少女がその目つきにうっかり気が付いて、驚いて怯えると、少女には、気が付かれないように見るようになったが‥‥‥リンは、人目としてカウントされていないらしく、リンが見ている時は、そのあや‥‥‥いや、少し、おかしい行動をやめてくれなかった。

 だから、リンは、知りたくないのに、見たくないのに、知って、見続けていた。

 ものすごい危ない目つきで、少女を、見つめる彼を。

 それは、とてもとても‥‥‥心臓に悪いことだった。

 彼が、少女を見つめるということだけでも、心臓に悪いのに、あの目つきは、本当に、やばいというか、危ないというか、なにをするつもりなんですか、と、少女を保護したくなるというか‥‥‥ともかく、やばかったのだ。

 だが、もう、これで、理由は判明した。

 少女、谷山麻衣は、能力者だった。

 これは、大きい。

 少なくとも、彼にとっては、重要度が高いことだ。

 注目する理由に値する。

(‥‥‥きっと、ナルは、かなり早い段階から、それに気が付いていたに違いない。だからこそ‥‥‥彼女を‥‥‥)

 リンは、心の安定の為の材料を得て、ほっとしていた。

 そして、その材料を元に、ナルの過去のおかしな行動にも理由をつけた。

 そして、さらに、ほっとしたのだが‥‥‥。

 それでは、理由の付けられないことがあることからは、目をそらした。

 たとえば、ナルの興味は、心霊現象であって、実は、能力者には、あまり興味がないこととか。他にもぞろぞろ能力者が居るのに、そちらには、ほとんど興味を持っていないこととか。

「‥‥‥麻衣、実験に付き合え」

「えー、またー」

 さらには、能力を計る為という口実ができてからというもの、ナルが、麻衣を所長室に呼びつける回数が、異常に多くなったこととか、その、計測回数は、明らかに、おかしいこととか。

 そういうことからは、とことん、目をそらした。

 それは、ある意味、賢い対処法ではあった。

 だが、胃には、優しくなかった。

「ほら、早くしろ」

「はーい」

 所長室へつれこ‥‥‥いやいや、呼ばれていく、少女を見送って、リンは、なんだか、ここ最近、胃が痛むような気がすることを、不思議に思っていた。

────そんな彼は、知らなかった。

────ストレスで胃に穴が空く、一月前カウントが始まったことに。

 

 

     ※

 

 

 実は、自分も、不思議ちゃんだった。

 と、いうことが、ある日、唐突に、判明して、麻衣は、びっくりした。

 しかも、そのことが判明しても、協力者の面々は、あまり、驚いていなかった。

 やっぱりねー、だよなー、という、物凄く、簡単に、そして、歓迎された。

 そのことにも、麻衣は、実は、驚いた。

 だって、普通は、こう、いろいろと、薄暗い葛藤とかを抱えて、ぐるぐるすものではっっっ、と、なにかに、誰かに、訴えたい気持ちだった。

 けれど、苦労は少ない方が良いので、その件については、環境と運に恵まれた、ということで、麻衣は、疑問も戸惑いも、さらさらと流した。

 だが、流せないこともある。

 なんだか、身の危険を、感じるのだ。

 ひしひしひしひしひし、と。

「‥‥‥麻衣、実験に付き合え」

「えー、またー」

 事務所に着いた途端、また、呼ばれて、麻衣は、実は、うんざりしている。

 ほとんど毎日の日課になっている実験と、聞き取りに、飽き飽きしている。

 必要だということは、懇々と諭されて理解したが、毎日毎日毎日毎日、根ほり葉ほりなにもかも聞き出されることにも、飽き飽きしている。

 さらには、毎日、体温は測らないといけないし。

 分かっているけど、毎月、生理についても報告しなくちゃいけないし。

 もーいやー、という、感じである。

 ただし、実験に付き合ったり、資料を提出すると出される、特別手当は美味しいので、ま、いいか、と、思ってもいるが。でも、やっぱり、なんか、納得いかないというか、身の危険を、ひしひしひしひしひしひしと感じるのだ。

「ほら、早くしろ」

「はーい」

 特に、あの、眼差しを思い出すと、背筋が、ぞくぞくする気がした。あの、なんというか、もう、怖い、というか、取って食われそうな眼差しは、ほんとーに、怖かった。

 思い出すと、所長室に向かう足が重くなる気がした。

 だが‥‥‥。

 相手は、ナルで。

 なんだか、もう、実験台の上に乗せられたモルモットの気分にもなるのだが、でも、根っこの所は、信用していて、だから‥‥‥。

 溜息一つついて、麻衣は、諦めた。

 ただ、一個だけ、やっぱり、納得いかないことはある。

 毎日聞き取りの為長時間二人きりになることに。

 真砂子が、無駄に、嫉妬して、意地悪を言うことには。

 ものすごく、納得がいかなかった。

(‥‥‥そんな羨むようなものが、どこにっっっっ!)

 麻衣は、心中で、がおーっっっ、と、吠えつつ、今日も、所長室に足を踏み入れた。

 そして、少しも、気付いていなかった。

 そんな麻衣を、心配そうに見つめる眼差しがあることには。

 本当に少しも欠片も気付かなかった。

 

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