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流され流され流されて、と、いうのが、正直な感想で。 これからどうなるのかさっぱりわかんない、と、いうのが、本音で。 でも、とりあえず、麻衣は、報告してみたりした。 いつものメンバーが集まったいつものお茶会で、唐突に。 突然訪れた、意外な出来事を、その結果を。 「‥‥‥えーと、ナルと、付き合うことになった‥‥‥みたい?」 報告なのに語尾が不穏な感じに疑問系なのには、理由があった。 麻衣にも、良く、流れが、把握できていないからである。 麻衣が把握しているのは、ナルがジーンの遺体を見つけて英国に帰国して、なかなか帰って来ないなーとぐれていたらいきなり帰って来て、唐突に麻衣のことを好きだとか実は一目惚れだとかありえないことを言い出して、ありえないと思っているのに思い切り流されちゃった‥‥‥ということだけなのである。 それは、麻衣的には、ありえないことだった。 実は夢でした、と、言われたら、納得してしまうほどに。 (‥‥‥だって、ほんと、そんなのありえないし!) なにせ相手はあのナルだ。 ほんと、いまでも、全然、信じられない。 だが、そう思っていることは、麻衣は、決して、口には出さなかった。 そんなことを言ったら、そのことをうっかりナルに聞かれたら、どうなるかが、分かっているからだ。 (‥‥‥ぅぅぅぅ) 聞かれてしまった時のことを思い出して、麻衣は、心中で、唸った。 そして、ぐぐぐっ、と、叫びたいのを堪えて、動揺が治まってから顔を上げて‥‥‥驚いた。 「‥‥‥うん、まあ、そんなことだと思ってたのよね」 「まあなぁ。んなことだとは思ったけどな」 「うまく纏まって良かったです」 「‥‥‥面白くないけど、ナルが選んだことですもの。仕方ないですわ」 「よかったどす」 なぜか、周囲は、生暖かい眼差しで麻衣を見ていた。 しかも少しも驚いていない。 まるで、さも、当たり前のことを聞いたかのような感じだった。 (‥‥‥な、なんでっっっ!) 反対されたいわけでは決してない。 邪魔されたいわけでも決してない。 だが、たくさん驚くだろうと思っていたのに、少しも驚いてくれないのはなんだか‥‥‥微妙な気持ちになる。 「‥‥‥驚かないんだね」 「だって、ばればれだったわよ。ナルの態度が」 「そうだなぁ。麻衣は、特別だったよなぁ」 「麻衣は気付いてませんでしたけどね。にぶにぶでしたわ。私が、何度、叫んでも、分かってくださらなかったし。ほんと、にぶにぶですわ」 にぶにぶ、と、言われた麻衣は、がーん、と、ショックを受けていた。 いろんなことが今更だが衝撃だった。 麻衣は、自分のことを鈍いと思ったことはなかった。 けれど、今更ながらに、いままでのことを思い返すと‥‥‥。 確かに、ナルは、ナルなりに、意思表示をしていたような気がしないでもなかった。 ご飯を奢ってくれたし、誘拐を心配して対策もしてくれたし‥‥‥。 だが、あの鉄壁の無表情でそれをやられたら‥‥‥。 (‥‥‥普通は気付けないよ〜。うん、絶対、無理。だから、私が、鈍いわけじゃない!‥‥‥と、思うんだけどな〜) 仲間たちの言葉にいろいろとショックを受けた麻衣は、心中で必死に反論した。 そして、また、いろいろと思い出して、一杯一杯だった。 だから‥‥‥気付くのが、遅れた。 「お、ナル、麻衣と付き合うことになったんだってな。大事にしろよ」 「そうよ、ナル。優しくするのよ」 「仏頂面も少しは改めろよ」 「‥‥‥滝川さん、あんまり調子に乗らない方が‥‥‥」 「良かったどす」 「悔しいですけど、ナルが幸せなら、諦めますわ」 ナルが、いつのまにか近くにいて。 仲間たちが、ナルに話しかけていることに。 「‥‥‥付き合う?‥‥いや、それ以前の話だ。麻衣の側にいることを許して貰っているだけだ」 麻衣が、気付いた時は、遅かった。 「は?」 「へ?」 「え?」 「正しくは、麻衣に本当に好きになって貰うまで、側にいて努力することを許して貰っているだけだ。だから、付き合っているわけではない」 ナルは、なぜか、そのことだけには、赤裸々になってしまったナルは。 話さなくて良いことまで、いつもの無口が嘘のように、赤裸々に語った。 「なななななな、なる、なる、なる‥‥‥すすす、すとっぷーっっっ!」 麻衣は、悲鳴のような声を上げて、ナルの言葉を遮った。 ナルは、ぴたり、と、口を閉ざしてくれた。 だが、もう、遅かった。 ものすごく遅かった。 「‥‥‥どういうことよ?」 「‥‥‥どういうことだ?」 「‥‥‥どういうことなんですの!」 疑惑と興味と様々な気持ちの篭もった眼差しを向けられて、麻衣は、真剣に泣きたかった。 そして、麻衣自身も良く分かっていないことを、延々と説明させられることになって‥‥‥八つ当たりだと分かっているけれど、妙なアドバイスをしたまどかさんが、感謝しているけれどちょっとだけ恨めしいと思った。 そして、これからが、少し不安だった。
とにもかくにも、かくして、勘違いと誤解から始まった鈍感一目惚れ物語りは。 騒がしく、賑やかに、その後の緊急で深刻な展開の欠片(かけら)も滲ませず、第二幕を開けたのである。
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「‥‥‥どういうことよ?」 「‥‥‥どういうことだ?」 「‥‥‥どういうことなんですの!」 煩かった。 静かであるべきなのに渋谷サイキックリサーチの事務所内は、実に、煩かった。 だが、ナルは、なにも言わず、沈黙を保った。 それは、麻衣が、必死にストップと頼んだからであったし、同時に、ナルのご機嫌が最高に良かったからでもある。 「‥‥‥あの‥‥‥あのね、私も、良く、わかんないんだよ〜」 「分からないってどういうことよ。詳しく話しなさい」 「きりきり吐き出して下さいませ!」 いままで味わったことのない最悪に不調な日々から一転して、ナルの体調と仕事の進み具合はかなり良い感じだった。いままでの不調がまるで嘘のように、なにもかもが、とんとん拍子に進んでいた。 日本支部の存続も楽勝でもぎ取ったし。 まどかと日本支部所長を交代することも、スムーズに終わった。 そして、なによりも、麻衣から、本当に好きになるまで側にいる権利を得ていたし、本当に好きにさせる手応えと勝算も十二分に感じていた。 そもそも、そんな許可を出す時点で、麻衣が、ナルに好意を抱いているのは確実だった。谷山麻衣という人間は、打算と流れだけで、そんなことを許す甘さは持っていない、と、ナルは良く知っている。良くも悪くも彼女は、正直で真面目で残酷なまでに純粋なのだ。 「‥‥‥えと、あの、ナルがね、いきなり帰って来て‥‥‥その、玄関でね、あの、あの‥‥‥初めて会ったときに‥‥‥ひ‥‥‥ひ‥‥‥ひ‥‥‥ひとめぼれしたって言い出して‥‥‥」 「はあ?」 「なんですって!」 「おおう、そう来たか」 「‥‥‥で、わわわ、私が側にいないと‥‥‥仕事が進まなくて困るって、それで‥‥‥いまは、返事は保留でいいから‥‥‥側に居させて欲しいって‥‥‥」 「へぇぇぇ」 「‥‥‥のろけなんですの、結局は」 「やるなぁ、ナル坊」 「んで、も、どうしよう〜、と、思ったんだけど‥‥‥でもでも‥‥‥ナルが居ないとご飯が美味しくないし寂しいし‥‥‥良くわかんないけど、私も息苦しいし‥‥‥好きなのかなぁって‥‥‥でも、いまは、よく、わかんなくて、ぐるぐるしてて‥‥‥正直に話したら‥‥‥それでもいいって‥‥‥それで‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「猶予期間を少しやるって言われて‥‥‥でも、そんなの悪いからって思ったんだけど‥‥‥寝れないし‥‥‥仕事も進まなくて困るって言うし‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥そうよね、分かっていたわ。あんたが、そんな、手玉に取れるような子じゃないと言うことはね」 「‥‥‥ええ、分かってましたわ。でも、ちょっと疑いましたわ」 「俺は、疑ってないぞ。麻衣には無理だ」 「ええ?なに?なんの話し?」 「いいのよ、分からなくて。あんたは、そのままでいいのよ。と、いうか、頑張りなさい」 「なに?なにを頑張るの!」 「‥‥‥羨ましいですけど、哀れですわね」 「は?なに?なにがっっ!」 「‥‥‥道は一直線だな。頑張れよ、麻衣」 「ぼーさんまでぇっっっ!」 麻衣の泣きが入った段階で、ナルは、助け船を出した。 いや、正確には、話しを逸らした。 「麻衣、お茶」 「‥‥‥は、はーい」 麻衣は、動揺しつつも、良く躾られた犬のように疑うことなく反射的に返事をして、給湯室に向かう。そういった麻衣の素直さが、ナルは、とても、好ましいと思った。 「‥‥‥うまく話しを逸らしたわね」 「ナル坊、ちょっとはフォローしておけよ」 「‥‥‥策士ですわね」 そして、賢しい奴らの小言は鬱陶しいと思った。 麻衣が気付いていないことを、彼らは、気が付いているようだった。 麻衣に選択肢を与えているようでいて、実は、まったく、選択肢が無いことに。 いや、ナルに、選択肢など与えるつもりがないことに。 そして、道は、整えられ、逃げ道も封鎖していることに。 「‥‥‥ところでナル坊、麻衣が、頷いたら、即押し倒すのだけはやめてやれよ」 「ムードは大切よ。ムードは」 「‥‥‥驚いて泣きますわよ」 だが、賢しい奴らでも、当然だが、すべてが分かっているわけではないようだった。 そのことにナルは微かに安堵しつつ、生ぬるさを嗤った。勿論、心中で。 麻衣が頷いたら? そうしたら、為すべき事は決まっている。 付き合いなどという面倒で回り道なことをするつもりはない。 用意してある婚姻届けをすぐに提出するに決まっている。 麻衣が居ないと、ナルは、まともに生きていくのも難しいのだ。 必要不可欠な存在ならば、早めに手に入れてしまうのが、当たり前で当然の対処の仕方だ。 「今日は、みんな、紅茶ね。‥‥‥なんか、ふらふらして、他のは無理」 「それで十分よ」 「十二分だ」 「構いませんわ」 「ありがとさんです」 「お疲れさまです。配るの手伝いますね」 ふらふらと給湯室から出てきた麻衣を、ナルは、ちらりと見やる。 混乱しきっている麻衣は、ナルと目が合うと、頬を赤くさせた。 そういった素直な所が好ましいとナルは思う。 そして、さっさと頷けばよいのに、と、強く思った。 同時に、さっさと頷くように仕向けるにはどうしたら良いだろうか、と、思考を巡らせながら‥‥‥。 「麻衣、隣に」 「‥‥‥は‥‥‥はひ」 敢えて離れた所に座ろうとする麻衣を、呼び寄せた。 麻衣は、少し戸惑いつつも、やはり、良く躾られた犬のように、従順に、ナルの指示に従った。 そんな麻衣の素直さに、ナルは、満足して、小さく笑った。
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ナルの隣に座るのは、実は、いつものことで、麻衣は、ある意味慣れていた。 だが、みんなの前でわざわざ呼ばれて隣に座るのは、いつものことではないし、物凄く恥ずかしかった。けれど、いまさら移動すると、ナルのご機嫌を損ねそうで怖いし、そもそも、座るべき席がない。だから、麻衣は、気恥ずかしさに耐えつつ、ともかく、大人しくしているしかなかった。 「‥‥‥それで、これからはどうするんだ?しばらくはこちらに居るのか?」 「ああ、そのつもりだ。年単位の話しの予定だが、確定ではない」 「たまにはあちらに帰るんでしょ?」 「‥‥‥必要であれば」 「クリスマスぐらいは帰りなさいよ。麻衣を連れて」 「‥‥‥‥‥‥」 「それぐらいの甲斐性はあるでしょ」 「‥‥‥‥‥‥」 「麻衣、喜ぶわよ」 「‥‥‥考えておく」 居心地が悪いなぁ、と、麻衣はしみじみ思う。 そして、ナルとみんなの会話には、まったく付いていけないし、混ざりたくなかった。 なにもかもが心臓に悪すぎた。 (‥‥‥もう、どうしたらいいんだろう) 正直、ナルの側は、居心地が良い。 とても暖かくて気持ちよくてずっと居たいと思う。 でも、麻衣は、まだ、頷けなかった。 だって、分からないのだ。 ────ナルのことは好き。 でも、それが、どういう好きに区分けするべきなのかが。 以前は、恋愛的な好きだと思っていた。けれど、それは違うと分かって、勘違いだと判明してしまって、だから、もう、いまの気持ちがどんな気持ちか、自分で、はっきりと判断するのが、難しくなっていた。 どきどきするけど。 前もしていた。 暖かくて気持ちよいけど。 前もそうだった。 でも、その気持ちは違うと言うのなら、いまも、違うということで。 でも、じゃあ、好きってどんな感じなのか。 (‥‥‥わかんない) 誰に聞いても無駄なことだけは分かっていて。 自分で決めるしかないことも分かっていて。 でも、その自分が信用できないから、麻衣は、途方に暮れていた。 だから、ナルの隣に居るのは、いまは、居心地が悪かった。 二人きりならいいけど、真砂子が居るから。 笑って許してくれているけれど、その綺麗な強い眼差しで、なにもかもを、迷いも、戸惑いも、なにもかも見抜かれてしまいそうで、怖い。 ────カララララン。 だから、麻衣は、ほっとした。 来客を知らせる音を聞いて、本当に、ほっとした。 待ちかねていたと言ってもいい。 けれど、でも、どうしてか、麻衣は、すぐに、立ち上がることができなかった。 「‥‥‥あの、こちらは、渋谷サイキックリサーチですよね?」 依頼人になるかもしれない人が、戸惑いがちに問い掛けているのに。 すぐに、答えることさえ、できなかった。
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来客を告げる音が鳴り響いた。 線の細い女性が、扉を開いて、中を覗き込む。 それを視界の端で納めながら、ナルは、麻衣を見ていた。 光り輝いているからではなく、見ていると心地よいからでもなく、その反応を観察する為に。 「‥‥‥‥‥‥あ、お客さんだ」 麻衣は、小さく呟いて、立ち上がろうとした。 だが、立ち上がれなかった。 「‥‥‥‥‥‥あれ?」 たぶん、本人は分かっていないだろうが、全身が強ばっていた。 麻衣は、動けない。動かないのではなくて動けないのだと、ナルには、分かった。 「‥‥‥安原さん」 「はい、了解しました」 すべてを語らずとも即座に察する賢い青年は、さっと立ち上がった。 「こんにちは。こちらは渋谷サイキックリサーチで間違いありません。ご相談ですか?」 安原が応対している間に、来客用のソファに陣取っていた面々が、立ち上がる。 そして、安原が案内した依頼人に、席を譲る。 「あの‥‥‥」 「どうぞどうぞ、お座り下さい。俺らは、たまたま用事で立ち寄っただけですから、お気になさらず」 「少年、私がお茶を煎れるわ」 「よろしくお願いします」 見事な連携ぶりで、彼らは、動けない麻衣の代わりを果たした。 そんな彼らを、麻衣は、泣きそうな顔で見ているが、それでも、やはり、動けずにいた。 ────これは、当たりだな。 麻衣のその態度で、ナルは、持ち込まれた依頼が、厄介で本物であることを、ほぼ確信する。麻衣は相変わらず自分の能力に対する認識が甘いので気付いていないようだが、麻衣のこういったことへの勘は、外れたことがない。 「‥‥‥ナル」 「気にするな。後で説明する。隣に座っていろ。─── 安原さん」 「はい。ファイルですね。どうぞ」 「どうも」 なにも言わずとも察して差し出されたファイルを受け取り、ナルは、困惑している依頼人を見やった。そして、隣の麻衣の様子に注意しながらも、話しを切り出した。
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咄嗟に、身体が、うまく、動かなかった。 そんなことは珍しくて、驚いた。 疲れているのだろうか、もしかして熱があるのかも、と、麻衣は、自分の不調の原因を探る。 だが、どの答えも、外れだった。 体調は悪くない。熱もない。 けれど‥‥‥寒かった。 とてもとてもとても寒くて、堪らない感じだった。 だが、みんなは、普通の顔をしていて、そんなことを感じているのは麻衣だけのようで‥‥‥いや、真砂子だけは、周囲とは少し違う反応を返していた。 真砂子は、依頼人の手元をじっと見ていた。 青ざめた顔で。 その反応で、麻衣は、この依頼人が持ち込んだなにかが、本物だということを、ほとんど、確信した。真砂子の視(み)る力は、時折、当てにならないこともあるが、大抵は、外さない。 でも、どうして、いま、ここで、なんだろう、と、思った。 ここは調査場所じゃないのに。 それとも、依頼人になにかが憑いているのだろうか。 ────分からない。 ────ただ、寒い。 寒くて寒くて怖くて寒くて狭くて寒くて息苦しくて、隣に座っているナルに、縋(すが)り付いてしまいそうなほどに、寒かった。 でも、そんなことできるわけもないから、麻衣は、ただ、じっと耐えた。 そして、耐える麻衣の前で、ひらりと白いなにかが舞って、麻衣は、その寒さの原因を、知った。 「‥‥‥これ、もしかして、手編みですか?」 「お分かりになりますか?」 「ええ、少し。レースは、少し、囓ったので。とは言っても、ほんと、少しですが。‥‥‥ご自分で作られたとか?」 「まさか。‥‥‥少しはできますが、こんなのは無理です。これは、友人が、私の為に作ってくれたものなんです。一年、いえ、本人は一年ぐらいと言ってましたが、きっと、二年ぐらいは掛かっていると思います」 綾子と依頼人の間で交わされる言葉をなんとなく聞きながら、麻衣の目は、白いひらりとした物に釘付けだった。白いレース、所々にきらきら光る貴石(いし)を散りばめた、ひらひらのそれは、綺麗なはずなのに、ひどく、寒かった。 「‥‥‥手作りのベールなんて素敵ね。しかも、すごく上手だわ」 「ええ、とても素敵で、私も、凄く気に入っていて。大事にしていたのに、こんなことになって‥‥‥ほんと、どうしようかと。困っていたら、主人が、こちらのことを聞いてきて、なんとかしてくれるかも、と‥‥‥」 「最終的には、これをどうされたいんですか?」 「大事な物です。もしかしたら友人の形見になるかもしれない物です。お祓いとかして頂いて‥‥‥また、大切に持っていたいと思っています」 「こちらにお預けになった段階で、完全な状態での返却の保証は出来かねます。それでも、よろしいですか?」 「‥‥‥最善は尽くして頂けますか」 「当然です」 「では、よろしくお願いします。あと、これを作ってくれた彼女には、できたらなにも知らせないで、というのは、ほんと、よろしくお願いします。彼女に知らせるぐらいなら‥‥‥これが無くなっても構いません」 「‥‥‥分かりました」 綾子と依頼人とナルの声が、響いていた。 けれど、麻衣は、それを、頭の片隅で理解しながらも、ほとんど、聞いていなかった。 その余裕が無かった。 ────寒い。 ただ、寒くて。 ────寒い。 寒すぎて。 ────寒い。 ただ、その、寒さを堪えるだけで。 ────寒い。 精一杯で。 ────寒い。 ────こわい。 ────狭い。 助けを求めることさえできずに。 声を上げることもできずに。 ただ。 ────寒い。 暗い狭い穴の中に。 墜ちた。
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