‥‥‥‥‥‥‥

最初の部分にアダルト部分があるので、序章を抜いてあります。 

( )はルビをHP用に変換するとこうなるだけで、本文はルビになっています。

 

 

 

 

     

 

 

 清々しい気持ちの良い朝、朝日が登るのと同時に、春日(かすが)はるよは、気持ちよく目覚めた。 そして、慌ただしく朝食を平らげてから、今日一日の予定を、メモ帳を片手に確認した。

(‥‥‥今日は)

 はるよは、小さいけれど、夢と気持ちが一杯つまった小さなペンションを夫婦で経営している。客室は5室あるが、すべての客室が埋まっている日は、ほとんどない。

 だが、そんな小さなペンションでも、シーズンは、ともかく、目が回りそうなほどに、忙しい。特に、夏は、稼ぎ時で、忙しい。毎日、やらなくてはいけないことがいっぱいで、うっかりもののはるよはメモが手放せない。

(‥‥‥今日は、お客さまが、三名さま。女性ばかりだから‥‥‥)

 特に、いつもフォローしてくれる旦那さまが、買い出しで出掛けていて留守している時は、要注意である。

(‥‥‥お花をいつもよりたくさん生けておこうかな。朝ご飯も、野菜を多めにして‥‥‥あ、でも、野菜、足りるかしら?)

 あわあわとしつつ、はるよは野菜の在庫を確認する。

 なんとか足りそうだった。

 でも、少し、買い足しておいた方が良いだろう。

 お手伝いのまりちゃんが来たら、お願いすれば、いい。

 もしくは、酒屋の健三くんが配達に来てくれる時に、ついでに、頼んでもいい。

(‥‥‥あとは‥‥‥)

 あ、と、はるよは忘れていたことを思い出した。

 お出迎えカードを書き忘れていたのだ。

 あわあわ、と、はるよは、お出迎えカードを束ねて入れてある机の引き出しを開けた。

 そして、気持ちよく過ごして貰えますように、と、気持ちを込めて、お客さまの名前を書き出した。

────谷山さま、いらっしゃいませ。

 手書きをいちいちするのは、面倒なことではあるけれど。

 同時に、楽しいことでもある。

 お出迎えカードを書いている時、はるよは、いつも、どんなお客さまかしら、と、想像する。予想は当たったり外れたりで、なかなか、楽しい。

(‥‥‥谷山麻衣さまはどんな方かしら?)

 なんとなく、はるよは、きっと、明るい人に違いない、と、予想した。

 いや、ほとんど、確信していた。

 どうしてそんなことを思ったのかは分からないけれど。

 でも、今回の予想には、自信があった。

 そして、なぜか、待ち遠しいのに、ほんの少しだけ、本当に、ほんの少しだけ。

 不意に、日が陰った時のように。

 わけもなく。 

 意味もなく。

 微(かす)かに。

 不安を、感じた。

 

 

     ※

 

 

「こんにちはー。お世話になりますー。予約した谷山ですー」

 玄関から明るい声が聞こえて、はるよは、はっと我に返った。

 パンの仕込みに集中しすぎたようで、気が付いたら、もう、お昼だった。

 予約の時にお伺いしていた到着時間ぴったりである。

(きゃー)

 はるよは、あわあわあわあわ、と、手を洗って、ともかく、玄関に駆けつけた。

(私のどじどじどじどじーっっっ!)

 うわーん、と、泣きそうになりつつ、はるよは笑顔を浮かべた。

 とにもかくにも笑ってお出迎えは基本である。

「いらっしゃいませ。お待たせしてごめんなさい」

「気にしないで下さい。私たち、ちょっと、早めに来ちゃいましたから」

 にっこり笑う若い女の子は、とても、感じの良い子だった。

 たぶん、この子が、谷山麻衣さん、だろう。

 予想通り、とても、明るい子のようだった。

(今回の予想は大当たりね)

 だが、連れの人たちは、ちょっと、予想とは違っていた。

 と、いうか、人数が‥‥‥多い?

 女性三名のはずなのに、女性三名と、男性一名の、計四名だった。

(‥‥‥きゃー、どうしよう)

 急な追加は、いろいろと大変なのだ。

 特に、ご飯の仕込みが。

(‥‥‥えとえと、お肉の追加、いまから間に合うかしら〜)

 はるよは、必死に、いろいろなことを考える。

 だが、その前に、確認しなくては、と、はっと思い出した。

「‥‥‥えと、えと、ご予約の人数は、たしか‥‥‥」

「あ、すみません。後ろの人は‥‥‥」

「運転手兼荷物持ちですから。荷物を置いたら、消えますから、お気になさらず」

 はるよの問い掛けに、感じの良い女の子が答えている途中で、ちょっと派手な感じがするけれど、とびきり綺麗な女の人が、きっぱりと言い切った。

(‥‥‥に、荷物持ち‥‥‥まあ、大変。でも、助かったわ〜)

 きぱりと言われた男の人は、苦笑を浮かべている。

 だが、否定はしない。

 歓迎はしていないけれど了承済み、ということなのだろう。

 まあ、荷物持ちでも、これだけ綺麗な人に使われるなら、ある意味、本望かもしれない。

 しかし、なんだか、とっても、可哀想だった。

 荷物も、すごく、多いし、重そうだし‥‥‥。

 だが、余計なことは言わないのが、お客さん商売の鉄則である。

 男の人は、どこで泊まるのかしら、大丈夫かしら、とか、思うけれど。

(と、ともかく、お部屋に早くご案内しなくちゃ。ええと、用意していたお部屋は‥‥‥‥‥え、ええと、確か、そう、三号室!)

「じゃあ、まず、お部屋にご案内しますね。こちらです。どうぞ。あ、そこにスリッパがありますからお好きなの使ってくださいね」

「はーい」

「あと、ご夕飯なんですが‥‥‥‥‥‥」

 お客様を客室に案内しつつ、はるよはいつもの決まり文句を口にする。

 そして、抜けはないかしら、と、どきどきしながら、用意しておいた部屋にお客様をお通しして‥‥‥‥‥‥。

「あ、可愛い」

「お花も綺麗〜」

「景色が良いですわ」

 気に入って貰えたようで、ほっと、安堵の吐息を吐き出した。

 

 

     

 

 

 風が、さわり、と、吹いた。

 緑に溢れた森を抜けながら、麻衣は、その、心地よさに目を細めた。

 つい、昨日までの、都心部での、炎熱地獄と比べたら、ここは、まるで、天国のように過ごしやすい。夏になると交通の便が悪いにも関わらず、都心部から避暑の為に多くの人が訪れる理由も良く分かる。ただ、残念ながら、麻衣は、避暑の為に訪れたわけではなかった。

────条件は一つ。

 綾子たちと一緒に、森を抜けながら、依頼人の、低く、抑揚のないの声を、麻衣は、ふと、思い出す。この地へと、麻衣たちを、導いた、男性の声を。

────妻は恐がりだから‥‥‥。

 鋭い眼光、感情を滲ませない冷たい横顔、けれど、彼は、奥さんのことを話す時だけ、微(かす)かに、感情を滲ませた。

 奥さんのことが、とても大切なんだと、良く分かった。

 そして、実際に、奥さんに会って、その気持ちが良く分かった。

 気持ちの良いひだまりのような人だ、と、麻衣は思った。

 ペンションの名前を、旦那さんが、小春のひだまり、と、名付けたのが、なぜなのかも、すごく、良く分かった。本当に、名前の通りの場所なんだな、とも。

 だが、だからこそ、影が際立つのが、少し、辛い。

 にこにこと笑っている優しい人を騙しているのが、心苦しい。

 けれど、仕方のないことだ。

────条件は一つ。

────妻は怖がりだから、怖がらせないでくれ。

 依頼人の望みが、最優先されるのだから。

 だが、大丈夫だろうか、と、不安になる。

 だって。

 あの、向日葵(ひまわり)で囲まれた、ペンションに。

 影があるのは。

 人が。

 殺されたのは。

 揺るぎのない事実なのだから。

 

 

     ※

 

 

────大丈夫かしら。

 気持ちの良い緑の森を抜けながら、綾子は、妹分二人を、なんだかざわざわする気持ちを抱えながら、見守っていた。 

 そもそも今回の調査の話を聞いた時から、綾子は、不安だった。

 仕方がないことではあるとはいえ、麻衣をナルから引き離すこと、つまりは、自分が預かることについては、正直、自信が持てなかった。

 補助として真砂子が付いていてくれるし、周囲には、緑が溢れてはいる。

 その緑の奥に、心強い味方が存在することも感じることができた。

 そういった、綾子にとっての好条件が整っているからこそ、ナルは、綾子に麻衣を預けたのだと分かってはいるが、勿論、全力を尽くすつもりではいるが、それでも、どうしても、やはり、不安だった。

 そして、その不安は、調査場所に足を踏み入れてから、余計に、増した気がした。

 調査場所となった小さなペンションは、可愛らしい造りをしていた。

 周囲を向日葵(ひまわり)で囲まれ、パステル調にペイントされた建物の、中も、外も、裏事情を知っていなければ、可愛らしい、で、終わってしまう程度のものだった。

 特になにかいやな感じもしなかった。

 だが、なんだか。

 なんだか。

 こう、ざわざわする感じがした。

 だが、どうしてざわざわするのかは、良く、分からない。

 最初は、気のせいかな、と、思ったぐらい、ささやかなものだった。

 だが、外に出て、その違いが、良く分かった。

 確かに、あの場所は、ざわざわするなにかがあるのだと。

 問題は、そのざわめきが、自分が対処できるものか、否か、である。

────大丈夫かしら。

 いや、自分だけならいいのだ。

 たぶん、なんとかなるだろう。

 問題は、麻衣だ。

 麻衣の暴走を止めるぐらいの余力を保ち続けていられるかがどうかが問題なのだ。

────大丈夫かしら。

 迷い、惑いながらも、綾子は、歩いた。

 内心の迷いは、決して、表には、出さずに。

 だが、深い緑を抜けて、小さなコテージを見つけると、ほっと息を吐き出さずにはいられなかった。ましてや、その前に、うろうろと徘徊する親馬鹿を見つけては、安堵せずにはいられなかった。

「ぼーさん!」

「お、やっと来たか。待ちくたびれたぞー」

 心配で心配で堪らなかった、無事に愛娘と出会えて嬉しい、と、全身で叫ぶ親馬鹿は、いつもは、非常にうっとうしい存在である。

 馬鹿だなぁ、と、思ったりしてしまうことも多々ある。

 だが、実は、自分が、そんな親馬鹿を、意外と頼りにしていると気が付かされて、綾子は、なんだか、気恥ずかしくなった。

 心底安堵していることは、本当に、本当に、認めたくない。

 だが、やっぱり、ほっとしたことは、誤魔化せない。

「麻衣、大丈夫か?心配したんだぞー」

「大丈夫だってば。綾子も真砂子も居るし」

「‥‥‥そーなんだけどなー」

 親馬鹿全開男は、情けない顔をしていた。

 本当に、情けない顔だ。

 問題のペンションに行く寸前も、そんな顔をしていたわね、と、綾子は思い出す。

 当初、荷物持ちなどという不審な男は、一緒にペンションに行く予定ではなかった。

 だが、この目の前の男は、直前になって、やっぱり心配だ、と、わめきだしたのだ。

 せめて、麻衣たちが寝泊まりする場所をこの目で見て、確認しなくては安心できない、と‥‥‥それはもう凄い大騒ぎだったのだ。

(‥‥‥‥‥‥)

 情けない姿を思い出して、綾子は、自分が情けなくなった。

 そんな情けない男の姿を見て、安堵した自分を叩(はた)きたいぐらいである。

「そこの親馬鹿!いつまでじゃれているのよ!」

 だが、勿論、綾子は、自分を叩(はた)いたりはしない。

「心配なら、とっとと片付けることを優先しなさいよね!」

 苛立ちを込めて、鬱憤晴らしも含んで、綾子は、ばしーん、と、力を込めて、滝川の背中を叩(はた)いた。

 

 

     ※

 

 

 小さなコテージの中は、機材で埋まっていた。

 そしてその真ん中には、えらそうにふんぞり返っているナルが居た。

 いつもの光景を見て、麻衣は、ほっとした。

 なんだか肩が軽くなったようだった。

 それで、思っていたより、緊張していたことを知った。

 ナルたちと別行動をしている時に一緒に居る二人を信じていないわけではない。

 綾子も真砂子も、麻衣より遙かに上の能力と経験値を持っているプロだ。

 特に、加護ある森の中では、綾子は無敵と言ってもいい。

 なにより、麻衣は、ナルを信じていた。

 常に、先を考えて判断を下して来たナルの判断を信じていた。

 ナルが、別行動を取った方が良い、と、判断したのならば、たぶん、それが、現在の最善なのだろうと。

 けれど、でも、やはり、離れることは、不安で。

 いつもの光景の中で、いつものようにみんなと一緒だと‥‥‥。

────ほっとする。

 場所はいつもとは違うけれど、木の壁は、遙か昔の湖の側での記憶を引きずり起こして、少し辛いけれど、それでも、ほっとする。

「麻衣、お茶」

「はーい」

 いつもの台詞もほっとする。

 一緒に居られるのは一時のことで、また、すぐに、別行動になると分かってはいるけれども。

「‥‥‥では、報告を」

 皆に飲み物を配り終わると、ナルは、いつものようにさらりと告げた。

 そして、その言葉の後には、なぜか、みんなの視線は、麻衣へと向いた。

「え?」

「なにか異変は感じたか?」

「え?私が、一番なの?」

 麻衣は、戸惑った。

 別に順番などどうでもよいことなのだが、なんとなく、麻衣は、一番後に自分は話すのだ、と、思っていたので。

 だが、そう思っていたのは麻衣だけだったようで、皆は、なんだか、あたりまえのことを聞かれて呆れているような感じだった。

「‥‥‥話を聞いている途中で、居眠りをしたあげくに暴走する危険性が高い奴は、一番始めに決まっているだろうが」

 容赦のない返答を貰って、麻衣は、ひどい、と、思った。

 だが、反論は、できなかった。

 まさしく、ナルの言うとおりのことを、何度かしてしまっている麻衣には、反論する資格など、欠片も無かった。

 だが、しかし‥‥‥。

「納得したら、報告を」

 困ったことに、麻衣には、話すことなどなにもないのである。

 特にいやな感じも変な感じもしなかったし。

 行きたくない場所も無かった。

 ただ、優しそうな人に隠し事をする後ろめたさがあるだけで。

 そんなこと、話しても、意味がないことで。

 あうー、困ったな、と、思いつつも、麻衣は、正直に、語った。

「‥‥‥えと、特になにも感じませんでした。ただ、奥さんに隠し事をするのは後ろめたいな〜ぐらいで」

 どきどきしつつ、麻衣は、語った。

 途端、部屋中に溜息が落ちて、麻衣は、なんだか、切なかった。 

 

 

     

 

 

 最近は、変わった職業があるのね、と、はるよは思った。

「すんごい重い機材とか運ばされるから‥‥‥もー、体力だけは付いちゃって」

「大変ねぇ」

「あ、でも、良いことも、勿論、ありますよ。予想とは違う思いがけない発見もあったりするし‥‥‥」

 心地よいのどかな午後、はるよは、長期滞在中のお客さまとお茶をしていた。

 そして、観光に出掛けるわけでもなく、ただゆったりと時間を過ごすわけでもなく、大きな荷物を運んだりして、なんだか変わった不思議な動き方をするお客様の仕事内容を知った。

 ここへは、遊びに来たのではなくて、仕事で来たということも。

 こんな所に仕事で、と、はるよは最初は戸惑った。

 だが、話を聞いて、納得した。

 同時に、なんだか、楽しそう、とも、思った。

 土地土地の、気候、歴史、などなどを調べるというお仕事は、大変そうだけど、なんだか、わくわくする感じだと思った。きっと、予想とは違う意外な事柄を発見するということは、珍しい宝物を見つける感じなのだろう。

『掘り出し物を見つけた時は、本当に、楽しいよ』

 そして、それは、きっと、はるよの夫が、大好きな骨董の掘り出し物を見つけた時に感じる喜びと、相通じるものがあるのだろう。

 はるよには、その喜びを実感することはできないが、楽しそうに話す言葉を聞くのは楽しい。特に、夫の話す異国の地での話は、とても、楽しくて‥‥‥。

『はるよ、次は、おまえの好きな‥‥‥』

 優しい夫を思い出して、はるよは、少し、寂しくなった。

 にぎやかで明るいお客様が居てくれて、充実していて、幸せだけど。

 やはり、一番側に居て欲しい人が居ないのは、寂しい。

 仕方のないことではあるが。

 海外に出向いているのは、仕事で。

 骨董の買い付けには、ある程度、時間が掛かるものなのだから。

 特に、今回は、地方にも赴くと言っていたし‥‥‥。

「そういえば、はるよさんの旦那さんはどんな方なんですか?」

「え?」

「ご夫婦でペンションを経営しているって聞いてたんですけど‥‥‥って、もしかして、聞いたら無神経なことでしたら‥‥‥」

 夫のことを考えていた時に、夫のことを聞かれて、はるよは驚いた。

 なんだか、心の中を見透かされた気がして、どきり、と、した。

「いえいえいえ、大丈夫よ。主人は、いまは、商品の買い付けに出掛けているだけですから」

「そうなんですか、良かったです。‥‥‥はるよさん、ご主人のこと話すとき、すごく、嬉しそうですね。ご主人のこと、大好きなんですね」

 大好き。

 そのあまりにも直球な物言いに、はるよは恥ずかしさを覚えた。

 確かに、大好きだ。

 勿論、誰よりも、愛している。

 だが、はるよは、そういった言葉は、なかなか口には出せなかった。

 恥ずかしくて。

 だが、はるよの目の前に居る少女は、ごくごく当たり前のこととして話していた。

 そして、はるよが、あわあわしているのを、不思議そうに見ている。

(さ、最近の、若い子は‥‥‥す、素直なのね〜)

 はるよは、なんだか、自分が、物凄い年寄りになった気になった。

「はるよさん?」

「え、いえ‥‥‥な、なんでもないのよ」

「そうですか?なら、いいんですけど。‥‥‥あ、それで、旦那さんは、どんな方なんですか?」

「‥‥‥‥‥‥」

 はるよは、なんだか、どきどきした。

 夫のことを語ることなんて、当たり前のことなのに。

 なんだか、ものすごく、久しぶりな気がした。

「‥‥‥ちょっと取っつきにくいけど、でも、すごく優しい人、かな?」

「どこで出会ったんですか?お見合いですか?それとも恋愛?」

「父のお友達のご紹介で、お見合いしたの」

 昔の、ささやかなことを語りながら、はるよは、なんだか、楽しかった。

 けれど、なんだか、寂しかった。

『はるよ、身体を冷やさないように気を付けなさい』

 少し、口うるさい所もあるけれど、優しい人に、会いたかった。

 遠く、遠くに居るのだから、そんなこと、無理だと分かっているけれど。

 いますぐに、帰って来てくれないだろうか、と、願ってはいけないことを願う。

『はるよは、怖がりだな』

 気を付けなくては、と、はるよは思った。

 年上の夫は、とても、優しくて。

 はるよの我が儘を最大限叶えようとするから。

 絶対に、口に、出さないように気を付けないと。

 ああ、でも、会いたい。

 帰って来て欲しい。

 そして、なにもかもが夢だと言って欲しい。

 なにもかも。

 なにもかも。

 なにもかもが。

 嘘だと。

 

 

     ※

 

 

 気が付くと、窓の外が、暗かった。

 はるよは、厨房で、え、と、声を上げた。

 そうして、周囲を、見回した。

 お気に入りの時計は、そろそろ夕食の時間だと教えてくれていた。

(‥‥‥じゅ、準備をっっっ!)

 はるよは、慌てた。

 同時に、怖れた。

(‥‥‥か、カーテンを閉めなければ!)

 はるよは厨房を飛び出した。

 そして、家中のカーテンを、慌てて、閉めた。

 夜が訪れる前に、本当に、暗くなる前に、閉めなくてはいけないわけがあった。

 それは、決して、誰にも、言えないことだけれども。

 誰にも、その不安は、源は、言えないけれど。

 閉めなくてはならなかった。

 どうしても。

 どうあっても。

 どうしても。

 だって‥‥‥居るから。

 外には、暗闇の中には、居るから。

 覗いているから。

 黒く暗いじっとりとした眼差しで。

 こちらを、見て、いるから。

「はるよさん?どうしたんですか?」

「え?」

「物凄い慌てているみたいだから‥‥‥」

 はるよが振り向くと、家の中に、不思議そうな顔をした女の子が立っていた。

 どうして、と、はるよは思った。

 けれど、すぐに、思い出した。

 お客様だ。

 谷山麻衣さんだ。

「‥‥‥あの、な、なんでもないの‥‥‥カーテンを閉めなくてはいけなくて」

「カーテン?‥‥‥ああ、もう、暗いですもんね」

「ええ、そう、暗いから。だから、閉めないと」

 動揺している、と、はるよは分かっていた。

 怪しまれていないかしら、と、どきどきした。

 だが、谷山さんは、特に、なにかを言ったりはしなかった。

 気付かなかった。

 変だとは、気付かれなかった。

(ああ‥‥‥よかった‥‥‥)

 はるよは、心底、安堵した。

 そして、哀しく、切なく、苦しく、なった。

 早く、と、願った。

 早く、早く、大切な人に会いたい、と。

 だが、はるよには、自信が無かった。

 すべてを隠し通す自信が。

 大切な優しい人は、はるよの嘘を見抜く名人だ。

 だから‥‥‥会いたいのに、怖い。

 外に。

 家の外に。

 向日葵(ひまわり)畑の下に。

 埋めたモノを、見つけられてしまうのではないかと、怖れてしまう。

(‥‥‥ああ、神様)

 それを埋めた時を、思い出したくもないのに思い出しながら、はるよは、神様に許しを乞うた。だが、勿論、許されるわけがないことは分かっていた。

 なぜなら、はるよは、罪を犯したからだ。

 決して、それを、望んだわけではない。

 だが、結果的に、はるよは罪を犯して、隠蔽した。

 そして、そのことは、誰も知らないはずだった。

 そのまま、隠し通せるはずだった。

 だが、報いは、現れた。

(‥‥‥ああ、誰か)

 外に広がる恐ろしい光景を見た時のことを思い出して、はるよは、ぶるり、と、背筋を震わせた。そうして、どうしてこんなことになってしまったのだろうか、どうしたら一番良かったのだろうか、と、いまさらなことをぼんやりと考えた。

 

 

 

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥