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死にネタなのでご注意下さい。勿論、復活するし、ハッピーエンドです。

( )はルビをHP用に変換するとこうなるだけで、本文はルビになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────その瞬間、すべてが、喪われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 麻衣が、死んだ。

 高校卒業を間近に控えた初春、ナルの目の前で、死んだ。

 それはあまりにも突然のことだった。

 そしてあまりにも良くあることだった。

 泥酔した男が、車の操作を誤って、歩道に突っ込んでくるなんてことは、あってはならないことだが、良く聞く話だった。

 そして、その結果、麻衣は、死んだ。

 ナルの手は届かず、類い希な能力も、意味が無く、目の前で、死んだ。

 そして、その容赦の無い現実は、予想外の衝撃をナルに与えた。

 ナルは、知らなかった。

 その現実を突き付けられるまでは、脳天気に笑っている麻衣が、ナルの心の奥底にまで、入り込んでいるとは、想像もしていなかった。

 麻衣は、ナルにとっては、その時、手のかかる部下以外の何者でもなかった。

 その死は、消滅は、一時の哀しみを齎(もた)らすことはあっても、ナルの本質、根幹に、影響など与えるはずがなかった。少なくとも、ナルは、そう思っていたし、そうあるべきだと思っていた。

 そして、いまも、どうしてだろう、と、諦め悪く、思っていた。

 どうして、麻衣は、死して、すべてになってしまったのだろうかと。

 死は、絶対的な境で、超えられないもので、諦めなくてはいけなくて。

 そんなことは、ナルは、良く知っていて、理解していた。

────なのに。

────それでも。

────分かっていても。

 ナルは、その、侵してはならない領域へと、足を踏み入れずにはいられなかった。

 麻衣が、いま、ナルの、すべてだから。

 進まずにはいられなかった。

 それが、破滅へと進む道のりだと分かっていても。

────どうしても。

 

 

      ※

 

 

 麻衣が、死んでから、ナルは、あらゆる降霊術を試した。

 かつてナルの母国で降霊術が流行ったのは、他にも様々な理由があるにせよ、その根本に、もう二度と会えない大切な人に会いたいという気持ちがあったからだったことは、間違いが無かった。

 その狂おしい願いを、かつてのナルは理解しなかった。

 大抵が紛い物の降霊術に足繁く通う者の気持ちなど、データーとしては必要としても、理解する必要性を感じていなかった。

 だが、麻衣が死んでから、ナルは、騙されていると半ば理解しつつ、なにかの痕跡を求めて彷徨わずには居られなかった者たちの気持ちを思い知らされた。

 そして、絶対的な確信も得られないし、取り戻すこともできないのだと理解しつつ、降霊術を繰り返した。だが、信頼できるはずの能力者たちは、ナルの希望を叶えることはできなかった。

 麻衣は、死んだ。

 そして、その魂さえも、ナルの元には残らなかったのだ。

 そして、それからも、麻衣が死んでから、三年という決して短くはない月日を、ナルは、降霊術に費やしたが、麻衣は、結局、欠片(かけら)も掠ることはなかった。

 同時に、ナルの片割れであるジーンも、現れることが無くなっていた。

 その意味する所を、ナルは考えずにはいられなかった。

 そして、その繰り返しの思考は、ナルの心に、深い陰りを落とした。

(‥‥‥‥あるいは、麻衣は)

 ジーンは彷徨っている存在だった。

 どうしてか、光ある方角へと行けない、だが、行かなくてはいけない存在だった。

 ジーン自身の力で行けないのなら、なんらかの手助けが必要だった。

 彷徨っている存在を、親しい存在が導くことは、よくあることだった。

(‥‥‥‥あるいは、麻衣は、ジーンと‥‥‥‥)

 確定できない仮定は、本当なら、ある意味で、素晴らしいことだった。

 死者は戻れない。どう足掻いても。

 ならば、行くべき場所に行くことこそが最善であった。

 少なくとも、不安定な存在として、こちらに残るよりは、遙かにましなはずだった。

 だが、それらすべてを理解した上で、ナルは、激しい憤(いきどお)りを感じずにはいられなかった。

 それは、麻衣を助けられなかった自分への怒りであり、麻衣を奪った状況すべてに関する怒りであり、麻衣を得たかもしれないジーンへの怒りであり、つまりは、ナルは、すべてに憤(いきどお)っていた。

 だから、ナルは、ある決断を下すことに、あまり抵抗を感じなかった。

 それが、罪深いことだと分かっていても。

 世界への裏切りであったとしても。

 構わなかった。

 

 

      ※

 

 

 谷山麻衣が、死んだ。

 正確には、基本的な社会のルールさえ守れない屑によって、殺された。

 その時のことを思うと、リンの心は、いつも、揺れた。

 押さえきれない憤(いきどお)りが沸いて、息苦しくて、加害者に対する害意が、溢れた。

 呪い殺してやろうか、と、リンは、幾度も考えた。

 そして、それは、当然為すべきことのようにさえ思われた。

 だが、リンは、結局、谷山麻衣という、希少な宝石のような存在を殺した、愚かな男を、呪い殺すことはしない道を選んだ。

 それは、これ以上の哀しみを、彼女に与えたくなかったからだった。

 決して加害者に対する手加減ではなかった。

 実際、リンは、あと一歩の所まで、準備を進めた。

 苦しみ抜いて死ぬべきだと、いまも、思っている。

 だが、

(‥‥‥‥きっと、誰よりも、彼女が悲しむ)

 そう思ってしまえば、私的な復讐、などという愚かな行為には、手を染めることができなかった。そして、狂おしい一年が過ぎ、ぶり返しの二年が過ぎ、諦めの三年目を迎える頃には、リンの気持ちは、揺り返しの波はあるものの、緩(ゆる)やかに凪いでいった。

 忘却は、忌むべきものだと考える者が多いが、リンは、月日の齎(もた)らす感情の薄れを、むしろ、有り難く受け止めた。そして、同じ恩恵を、彼が受けられることを期待していた。

 けれど、また、同時に、畏れてもいた。

 月日が齎(もた)らす忘却の恩恵は、彼、ナルには、与えられないのでは、と。

 麻衣が死んでから、ナルは、変わった。

 彼が、喪った彼女の欠片(かけら)を得ようとして、執拗に、降霊術を繰り返すなど、正直、リンには、予想も想像もできなかった。悲しむだろうことは分かっていた。だが、彼女の死を、ナルは、冷静に受け止められるだろうと思っていたのだ。

 けれど、リンの予想は外れた。

 そして、いまも、外れ続けていた。 

 できればそのままなにもかもが外れていて欲しい、と、リンは思っている。

 リンは、嫌な予感を、いま、感じていた。

 彼の、彼女に対する執着が、向かってはならない方向へと向くのではないか、と。

────リンは、彼女の居なくなった事務所内を見渡した。

 彼女が居なくなってからも、彼女の机はそのままそこにあった。

 私物もそのままにしてある。

 いつ戻ってきても、あれらがすべて夢だと言われても、何一つ不都合はなかった。

 むしろ誰もがそんな馬鹿げた夢を望んでいる。

────勿論、リンも。

 だが、その夢は、決して、叶えてはいけない、あまりにも高い代償を必要とする夢だった。だから、決して、その道を進むことを望んではいけないのだ。

 けれど、それが禁忌で、危ういと分かっていても、リンは、ナルに、望んではいけない、と、告げることができずにいた。なぜなら、そんな綺麗事を、絶対の正しい事として、彼に、語れるほど、リンは、愚かにはなれなかったからである。

 

 

     

 

 

 麻衣が死んでから、五年を、ナルは、日本で過ごした。

 そして、その後は、イギリスに帰国して、本来在(あ)るべき場所で、周囲が望んでいる通り、研究を進めることに力を注いだ。その姿は、周囲の者たちに、深い安堵を与えた。

 誰もが、彼は、彼女の死を乗り越えたのだと、信じた。

 だが、ナルは、周囲の思惑を欺き、唯一人、唯一つの道を、探していた。

 そして、麻衣が死んで、十年後、皮肉にも、麻衣の命日の前日、ナルは、探していた最後のピースを、古い、いまにも崩れそうな教会の地下で見つけた。

 最後のピース、黒々としたソレは、世間一般的には、畏怖され畏れられる存在だった。

 封じられ忘れ去られたまま消え失せることこそが、最も最善たることだった。

 だが、麻衣を奪われてから、残酷な神に対して憤(いきどお)りを抱き続けていたナルにとって、その存在は、もはや、畏怖するものでも、畏れるものでも、厄介なものでもなかった。

 それに、そもそも、今更なことでもあった。

 古びた、いまにも崩れそうな教会の、薄暗い地下で、ナルは、一人、酷薄な笑みを浮かべた。そして、ナルと一緒に、黒々とした存在を見つめている存在に、視線をちらりと向けた。

────醜い。

 ナルの隣に居る存在は、醜かった。

 薄汚れて、黒々としており、穢(けが)れていた。

 見る目がある者が見れば、即座に、それは悪しき存在だと、抹消しようと動くだろう。

 だが、その醜い生き物は、ナルにとっては、ある意味、とても大切な存在だった。

 道具であり、道しるべであり、そして、唯一つの希望を叶える為の、相棒ですらあった。ただし、その相棒は、かつての相棒、片割れとはかけ離れており、ナルが、道を踏み外す瞬間を、いまかいまかと舌なめずりして待っているような、ろくでもない存在でもあった。

 だが、それは、仕方なく、当然のことであった。

 それは、悪しき性(さが)を持つ、と、定められて、生まれた、悪魔、なのだから。

 しかも位を持つある意味気高い高位悪魔でさえなく、腐った死肉を好んで啜るような、最下層の悪魔である。品性など求める方が、神に背いている。

「よくやった。あとで肉を食わせてやる」

 方々に手を回して手に入れた使い魔に、ナルは、報酬をちらつかせた。

 黒々とした醜い生き物は、得られる褒美を思って、汚く涎を垂らした。

 そして、禍々しく赤い目玉を、ぎょろぎょろと、いまにも目玉が飛び出しそうな勢いで動かして、喜びを現した。

「だから、大人しく下がっていろ。邪魔をする者が居たら、足止めをしておけ」

 目の前に餌をちらつかせた命令に、ソレは、喜々として従った。

 耳障りな甲高い鳴き声を立てて、入り口へと向かった。

 それを見送ってから、ナルは、改めて、地下室の奥へと視線を向けた。

 そこは、薄暗い地下というだけでは説明できないほど、黒々としていた。

 漆黒、という、言葉が、良く似合っていた。

(‥‥‥大物だな)

 この五年、ナルは、周囲の隙をついて、こういった存在との接触を、度々繰り返していた。最初は、こういった存在を見つけるだけでも苦労していたが、自らと同じ悪しき存在を見つけることだけが上手い下位悪魔を手に入れてからは、効率的に、遭遇することに成功していた。

 そして、片端から‥‥‥。

────なにが望みだ。

「おまえを狩りに来た」

────おまえなどになにができる。

 黒々とした部屋の奥から響く嘲笑は、ある意味、正しかった。

 ナルには、悪魔狩りの才能は無い。

 神への恨みに固まった心では、神の恩恵も当てにできない。

 そもそも、本職の悪魔祓いであっても、悪魔を祓うことはできても狩ることはできない。

 だが、ナルには、自信があった。そして、実績もあった。

「おまえで、約束の九十九匹だ。数に足らない小物を入れたら、百三十二匹目だ」

 ナルの言葉に、黒々とした存在は、明らかに、動揺した。

 ぶるり、と、重く淀んだ空気が、揺れた。

 まさか、そんな、馬鹿な、と、動揺しているのだとナルには分かった。

 気持ちは良く分かる。そして、運が悪い奴だ、とも、思った。

 これだけの大物なら、他の人間なら、僅かな威嚇だけで追い払うことも簡単だっただろう。

────だが、ナルは、別格だった。

 いや、正確には、悪魔たちの頂点に立つとも言える存在と取引をした人間だけは、別格だった。そして、そんな珍しい存在に見つかる確率は、海に小石を投げて魚にあたる確率より低い。

 つまり、ナルの目の前に居るソレは、本当に、最悪に、運が悪かった。

 動揺して、動けなくなるのも、当然なほどに。

 ナルは、その、動揺し動けなくなっている運が悪い黒い生き物に、戸惑うことなく近寄った。

 反撃も予想して、だが一切気にせず、ずかずかと。

 ソレは、ナルのあまりにもの無防備ぶりにさらに動揺して警戒して動けないようだった。愚かなことだった。

(馬鹿な奴だ)

 所詮、ナルは、人間だった。

 即座の反撃は有効だった。

 だが、人間と侮り黒い生き物はその機会を逸し、取引をした人間だと畏れてさらに最後の機会を喪った。哀れなほどの愚かさだった。だが、その愚かさを哀れみつつも、ナルは、容赦の欠片(かけら)も持たずに、与えられた短剣を取り出して、ソレに、突き刺した。

────ひぃ‥‥‥‥‥‥っっ!

 ぐさり、と、重い肉の感触が、短剣越しに伝わった。

 そして、次の瞬間、肉の感触は消え失せた。

 それは、黒々とした生き物が逃げた為ではなく、短剣に吸収された為だった。

 ナルは、九十九匹の悪魔を狩るという約束を果たした短剣の刀身を、見た。

 つい先程まで、それは、役割とは裏腹に、眩しいほどに輝いていた。

 だが、いま、それは、約束を果たした証に、黒々と染まっていた。

「‥‥‥これで、やっと」

 薄暗い地下室で、ナルは、笑みを浮かべた。

 同時に、使い魔の、耳障りな甲高い悲鳴が、響いた。

 さらに、同時に、階段を駆け下りてくる足音も、響いた。

 それは、非常事態を、告げる、音、だった。

 だが、ナルは、欠片(かけら)も、動揺しなかった。

 もはや、動揺する必要性が、無かったからだ。

 けれど、階段を駆け下りた者たちは、そうではなかった。

 ナルを見つけた途端、なにを手にしているのかを、見た途端、激しく動揺して、叫んだ。

「‥‥‥ナル!」

「おまえ、なにやってるんだ!」

「あきまへん!」

 遠い異国の地で出会った、懐かしいとも言える者たちが、そこには、勢揃いしていた。

 薄暗い地下室で出会いたくはない者たちだった。

 だが、そんな感傷は、ささいなことだった。

 もはや、ナルには、なにもかもが、意味が無かった。

 願いを果たしたからには、体面も、世間体も、なにもかもが、どうでもよかった。

 この十年、被り続けていた仮面を、ナルは、もう、被ることはしなかった。

 取り繕う素振りさえ見せなかった。

「おまえ、なにをやっているのか、分かっているのか!」

「ナル、それを、いますぐ、捨てなさい!」

 必死に叫ぶ者たちを、ナルは、嗤(わら)った。

「おまえ達と一緒にされたくはないな。僕は、忘れない」

 驚き動揺する者たちに、ナルは、冷ややかな眼差しを向けた。

 いや、いっそ、憎悪の眼差しと言った方が正しい眼差しを、時間の恩恵を受けた者たちに向けた。

「どれだけ時間が経とうと、忘れない。許したりはしない。僕から、麻衣を奪ったすべてを!」

「麻衣が、泣くぞ!」

 叫んだナルに、麻衣の父親代わりだった男が、叫び返した。

 だが、その言葉は、予想範囲内過ぎた。

 そんなことは、ナルは、分かっていた。そして、それが、どうした、とも、思っていた。そんなことは幾度も考えたのだ。だが、それでも、駄目だったのだ。

「それで構わない」

 冷たく言い切り、ナルは、黒々と染まった短剣を、その鋭い刃を、自分に向けた。

 そして、戸惑うことなく、教えられた通り、自らの心臓を、突き刺した。

 かつての仲間たちの悲鳴が、響き渡った。

 その叫びを聞きながら、駆け寄る姿を視覚に入れながら、ナルは、さまざまなことを知覚していた。痛みは驚くほど少なく、感覚は、痛いほどに澄んでいた。

 遙か遙か遠くから響く、子供が泣く声を、聞くことも出来ていた。

 知っていたが、会ったことのない、子供の声を。

『‥‥‥‥‥‥お父さんっっっ!お父さんっっっ!』

 それがなにを意味する声なのか、ナルは、知っていた。

 それは、あの男が、麻衣を殺した男が、死んだことを告げる声だった。

『‥‥‥‥‥‥お父さん!死なないで!お父さん!』

 ナルは、知っていた。あの男が、麻衣を殺した後、深く後悔しつづけたことを。

 毎年毎年毎年麻衣の墓を訪れていたことを。

 結婚し、子供が生まれ、その子供を、妻を、大切にしていることも。

 悔い改め、幸せの中でも、罪を背負い、忘れずに、生きていることも。

 だが、ナルは、心を変えなかった。許さなかった。十年の月日が、どれだけ周囲を変えようとも、ナルの心は、欠片(かけら)も揺らがず、変わらなかった。

────変えられなかった。

 だから、ナルは、満足した。

 なにも知らぬ子供の、悲痛な声に哀れみを抱きつつも、満足した。

 麻衣を殺した男が、苦しみ抜いて死んだことを。

 ナルの願いの巻き添えとして、ナルが狩った悪魔共々、贄とされたことを。

 心底から、喜んだ。

 そして‥‥‥‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

 その瞬間は、唐突に、訪れた。

 ナルは、懐かしい、渋谷の交差点に立っていた。

 少し肌寒い風が吹いていた。

 そして、十年前、喪われた存在が、ナルから少し離れた所に、立っていた。

 ナルは、何一つ迷わずに、求め続けた存在に、駆け寄り、手を伸ばし、抱き締めた。

 そして、衝撃から守るために、抱き込んだ。

 やがて訪れる運命のすべてを、ナルは、分かっていた。

 穢(けが)れた存在と取引したナルは、もう二度と、麻衣には、会えない。

 だが、それでも、ナルは、満足だった。

 この一瞬の為に、すべてを、捨てても、後悔は無かった。

 なぜなら、麻衣は、ナルの、すべて、だから。

 後悔など、するはずがなかった。 

 

 

 

 

 

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