‥‥‥‥‥‥‥スノーシルバー
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--------がたん‥‥‥。 不意に、体全体に軽い衝撃を受けて、麻衣は目を覚ました。 そして、なにがどうなってこの状況なのか分からなくて、混乱した。 「‥‥‥目が覚めたのか」 すぐ間近には、綺麗で優しくて大好きな、ナルが居た。 麻衣は、そのナルの腕の中に居た。 そして、目元を優しく、拭われていた。 それは、いい。 それは、構わない。 嬉しいし。 いつものことだとも言えた。 だが、状況がいつもと違う。 --------がたん‥‥‥。 そこは、ナルと麻衣と可愛いにゃんこが一緒に住んでいるマンションではなかった。 そして、ナルと麻衣二人きりでもなかった。 「‥‥‥どうした?」 優しいとしか言いようがない声を聞きながら、麻衣は、必死にいまの状況を把握する。 眠る前のことを思い出す。 ぼんやりとした意識を必死にかき集めて、思い出す。 --------がたん‥‥‥。 また、軽く、体が揺れた。 車の中だからだ。 どうして車に乗っているのかというと‥‥‥。 --------調査。 そう、いまは、調査場所に赴く途中だった。 だから、車の中で。 だから、ナルと麻衣の他に、運転席にリンさんが居て、助手席には綾子が居る。 それは、当然のことで。 でも、当然のことだと納得しきるのは難しいことで。 「‥‥‥麻衣、どうした?」 誰も、なにかを言ったりはしない。 綾子なら率先してからかいそうなのになにも言わない。 だが、だからこそ、余計に、恥ずかしい。 「ななななななななな、なる‥‥‥」 ともかく、居心地が良い腕の中から出て、膝の上から下りなくては、と、麻衣は慌てる。 だが、ほっそりとした見た目に関わらず、ナルの腕の力は強い。 麻衣が多少あわあわしたぐらいでは、揺らぎもしない。 「はなはなはなはなはなはな‥‥‥はなして‥‥‥」 「‥‥‥」 ごくごく当たり前のことを麻衣は嘆願した。 だが、返ってきたのは、仕方のない奴だ、とでも言うような吐息だった。 「気分は?」 そして、また、目元を優しい指が拭っていく。 どうしてそんなことをするのか分からなくて、麻衣は、さらに、混乱する。 「あ、あの?ナル?」 ナルがおかしくなったぁ、と、麻衣は、泣きたくなった。 ナルは、優しい。 けれど、公私混同はしないし、仕事の時は厳しくて、そもそも、どうして、膝の上で腕の中で目元を拭われているのか。 「落ち着け。‥‥‥なにを泣く?」 しかも、さらに分からないことを言われて、本当に、なきそう‥‥‥。 (‥‥‥泣く?) 麻衣は、自分の目元に手を当てた。 濡れた感触がした。 麻衣は、泣いていた。 涙を、流していた。 「え?‥‥‥あれ?‥‥‥」 びっくりした。 本当に、びっくりした。 なにがなんだか分からなくて、どうして泣いているのか分からなかった。 「なにがあった?」 「え?」 「なにか視たのか?」 --------ゆめ。 眠っている間のことを聞かれているのだと、麻衣は理解した。 そして語るべきなにかがあったように思った。 --------ゆめはしろい。 けれど、出てこない。 言葉が。 記憶が。 どうしても、出てこない。 ただ‥‥‥。 「しろい‥‥‥ゆめを‥‥‥視た気が‥‥‥するような‥‥‥」 漠然とした白さだけを、麻衣は、覚えていた。 そして、なんとなく、なんとなく、なんとなくな気持ちだけを感じた。 「しろくてきれいで‥‥‥うれしいようなかなしいような‥‥‥」 けれど、それも、ふわふわとふわふわとあっと言うまに消えていく。 掌から水がこぼれ落ちていくように、留めることができない。 それが、とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 とてもとても哀しくて。 麻衣は、また、少し、泣いた。 どうして泣くのか分からないままに、少しだけ。 そして‥‥‥。
※
--------がたん‥‥‥。 車が、揺れた。 灰色の重そうな雲を、硝子越しに眺めながら、麻衣は、雪が降りそうだ、と、思った。 雪は降るだろうか。 降ったら大変だけど、降ったらいいな、と、思う。 綺麗だから。 とてもとても綺麗だから。 「そうだね。とても綺麗だろうね」 間近から優しい声が響いた。 柔らかくて暖かい声だった。 「でも、雪は冷たいから、気を付けないとね」 そうだね、と、麻衣はうなづいた。 いや、うなづこうとして、気が付いた。 体が、動かなかった。 酷く、とても、重かった。 体中に、とてもとても重くて厚い殻を被せられたみたいだった。 「大丈夫。目が覚めたら、いつものように動けるよ。これは、夢だから」 優しい声が、慌てる麻衣を宥めてくれた。 どこまでも優しくて暖かい声だった。 大好きだと思った。 「ありがとう。僕も麻衣が大好きだよ」 嬉しかった。 ほこほこ体の奥が暖かくなるみたいだった。 それで、気が付いた。 すごく、寒かったことに。 「そう、雪が降る時は、寒いんだよ。雪も冷たいよ。だから、雪が降る時は、ナルの側を離れたら駄目だよ。分かった?」 うん、と、麻衣は、頷いた。 今度は、ちゃんと、頷くことができた。 そうしたら、頭を、撫でてくれた。 優しく、優しく、頭を、撫でてくれた。 「おやすみ」 そして、頬に優しくキスしてくれた。 おやすみの親愛のキスを。 嬉しかった。 でも‥‥‥。 目を閉じた途端に、なにもかもが、遠のいて‥‥‥。
※
--------がたん‥‥‥。 車が大きく揺れた。 麻衣は、ぼんやりと目を覚ました。 そうして、硝子越しに外を見て、そろそろだ、と、思った。 「‥‥‥麻衣、起きたのか」 優しい大好きな人の声が間近に聞こえて、麻衣は、うん、と、頷いた。 そして、少し、戸惑った。 けれど、どうして、戸惑ったのか、思い出せなかった。 ただ‥‥‥。 --------ゆきが。 窓の外の灰色の雲が気になった。 --------ゆきがふりそうだ。 「‥‥‥麻衣?」 「雪、降るかな」 「雪?‥‥‥雪が見たいのか?」 「うん。‥‥‥見れたらいいな。しろくてきれいで大好きなの」 「そうか‥‥‥」 優しい手が、頭を撫でてくれた。 それが嬉しくて、同時に、なにかを思い出し掛けた。 『‥‥‥忘れないでね』 そう言われた気がするけれど、なにを忘れたら駄目だったのかを思い出せない。 けれど、いまは、大丈夫な気がした。 だから、麻衣は、もう一度、目を閉じた。 「‥‥‥麻衣、寝た?」 「ああ」 「‥‥‥本当に連れて行っても大丈夫なの?」 夢現、綾子がなにかをとても心配そうに尋ねていた。 ナルは、なんだか、不機嫌な気がした。 けれど、それがなぜかは良く分からなくて、ただ、次に目が覚める時は。 --------ナルの機嫌が良くなっていますように。 そうして、できれば。 --------雪が降っているといいな。 と、思った。
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