‥‥‥‥‥‥‥春宵の章
1
暖かな日差しが、通り一杯に、満ちていた。 暖かくなるほんの少し前は、尋常じゃないほど冷え込んだが、その寒さが越えたら、一気に、春が、訪れていた。 まだまだ風は冷たいが、それでも、ほんの少し前のように、首を竦めるほどではなく、なによりも、日差しが暖かいのが、気持ちよくて、麻衣は、ご機嫌だった。 「暖かいねー」 「‥‥‥暴れるな」 「暴れてないもん。ちょっと、スキップしたかっただけだもん」 「‥‥‥転ぶぞ」 「大丈夫!」 しかも、暖かい日差しとセットで、大好きな人が一緒なので、麻衣は、最高に幸せだった。さらには、本日は、デートなので、もう、怖いぐらい、幸せだった。 デートとは言っても、いこーるで買い出しなのだが、それは、まあ、大好きな人がナルである限りは、仕方のないことである。 どちらにせよ、春、である。 どちらにせよ、デート、である。 そして、お天気は最高に良し、と、なれば、歌い踊りたくなるのも当然である。 勿論、そんなことをしたら、即座に、強制帰宅させられてしまうので、我慢、我慢、であるが。 しかし、それにしても、暖かい。 ぽかぽかぬくぬくコートが要らないのではと思うほどである。 「暖かいねー」 「‥‥‥」 すぐ側で吐き出される吐息を聞きながら、麻衣は、また、スキップしそうになった。だが、首根っこを、掴まれて、阻止された。 「‥‥‥少しは落ち着け」 こんな掴み方をされた方が、転ぶと思うけどな、と、麻衣は思ったりもした。 だが、ここでうっかり反論してご機嫌を損ねるのは嫌なので、よい子のお返事を返す。 「はーい。気を付けます」 勿論、ちゃんと、気を付けるつもりである。 だが、暖かくて幸せで、やっぱり、うきうきするので。 また、スキップしそうだなぁ、とは、しつこく思ったりもする。 だって、春、である。 だって、ぽかぽか、である。 だって、デート、である。 「‥‥‥‥‥‥麻衣」 「はあい?」 だが、そろそろ気を引き締めないといけないだろう。 大好きな人の眉間の縦皺が、これ以上、深くならない内に。 (‥‥‥ひきしめひきしめひきしめひきしめ) だから、呪文のように心中で唱えてみる。 (‥‥‥ひきしめひきしめひきしめひきしめ‥‥‥しめひき‥‥‥あえ?) だが、やっぱり、浮かれているせいか、どうにも、妙な具合になってしまう。 「‥‥‥手」 気を引き締めるのは難しいかも、と、悩む麻衣の前に、手が、差し出された。 「‥‥‥て?」 「抱えられて強制連行されたくなければ大人しく手を出せ」 「‥‥‥‥‥‥」 どうやら危険地帯に入りかけているようである、と、麻衣はようやく気が付いた。そして、あわあわ、と、手を、差し出す。そうして、あわあわしている内に、大好きな人と、がっちりと、手を組んでいた。 大きな暖かい手に包まれて、なんだか、もっと、幸せになってしまった。 「‥‥‥えーと」 「それで、次は、どこに行くんだ?」 「‥‥‥えーと」 なんか跳ねて得したような気がするけどいいのかなぁ、と、思いつつ、麻衣は、とりあえず、次の目的地を探す。もうそろそろ間近にあるはずなのだ。 麻衣の記憶違いでなければ。 「‥‥‥えーと、えーと、えーと」 ここで道に迷いましたなんて、絶対に、言いたくないので、麻衣は、周囲を必死に見回す。脳味噌もフル回転させる。どうしてお買い物などで、こんなに必死にならなければいけないんだろう、と、ちょっとは思いもするが、それについては、考えないようにして、ともかく、探す。 そして、やっと、見つけた。 暖かな春の日差しの下、通りのお店はどこも華やかだった。 けれど、その中に、一際華やかなお店がある。 小さいけれど、うんと、可愛くて、華やかな、お店が。 麻衣が探していたお店が。 「あった。ナル、あそこ」 空いている方の手で指し示せば、ふうん、と、気のない返事が返る。 当然だろう。 彼にとっては、非常に、無意味な場所だ。 けれど、そちらに向かって歩き出してくれる。 彼にとって、無意味で無駄な場所に、付き合ってくれるつもりなのが、いまさらだけど、とても、嬉しかった。 なんだか、また、跳ねてしまいそうだった。 勿論、そんなことはしないけど。 そして、もう一つ、絶対に、忘れてはいけないことがある。 出不精を極めている大好きな人が、お買い物に付き合ってくれている、その理由が。 「‥‥‥麻衣、分かっていると思うが、迂闊に触るなよ」 堅く厳しい声を聞きながら、麻衣は、うん、と、頷いた。 そして、今度こそ、気を引き締めて、小さな花屋へと足を踏み入れた。
※
春。 一足早い、満開の春が、小さなお店の中に広がっていた。 「うわあ、可愛い〜」 小さな花のブーケなどを見つけて、麻衣は、はしゃいだ。 だが、勿論、迂闊に触ったりはしない。 それに、今日は、お目当てがあるのだ。 ナルの機嫌が悪くなる前にゲットしなければ、なんの為にここに来たのか、分からない。 「‥‥‥えーと」 麻衣は、小さな店内をぐるりと見回す。 やっぱり、可愛かった。 --------いや、そうではなく。 自分で自分に突っ込みを入れつつ。麻衣は、初めて足を踏み入れた小さな花屋さんの可愛さに、くらくらしていた。実は、この店は、前々から、可愛いなー、と、思って、眺めていたのだ。通りに面した硝子越しのディスプレイがともかく可愛くて、いつか、入ってみたいな、と、狙っていたのである。 けれど、花を買う機会など、なかなか無いから、なかなか入れなくて、残念だったのだ。だから、いまは、大満足である。 --------いや、そうではなく。 また、自分に突っ込みを入れつつ、麻衣は、目当てのものを探す。 そろそろシーズンだから、けっこう目立つ位置に‥‥‥。 位置に‥‥‥。 あ、と、麻衣は思った。 あ、よくない兆しだ、と。 注意力が散漫して、なんだか、なにもかもが、ぼやけていくのは。 よくない兆しなのだ。 そうやって、自覚できるようになったのは、ここ最近の、訓練のお陰で、だから、もうちょっと頑張れば、みんなに迷惑を掛けないように‥‥‥。 --------そうじゃなくて‥‥‥。 ふわふわとふわふわと漂っていってしまいそうな意識を麻衣は必死につなぎ止める。待って、待って、と、掴む。 (‥‥‥めいわくはたくさんかけたくない) ここ最近、一年ぐらい前からの、たくさんの騒動が脳裏を過ぎっていく。 ともかく、麻衣は、たくさん、みんなに、迷惑を掛けた。 最初は、羽根枕。 次に、桃の木。 次に、向日葵。 ついこないだは、ちいさなくまのぬいぐるみ。 それらから、動植物節操なしの上に変則的過ぎるサイコメトリが発動したりして、しかも、他の能力が微妙にプラスミックスされて、ともかく、ともかく、ともかく、迷惑を掛けまくった。 (‥‥‥めいわくはかけたくない) だから、一人で出歩いたりしないようになって。 ちょっと窮屈だけど、でも、迷惑を掛けたくなくて、頑張っていて。 だから、ナルが、お買い物に付き合ってくれるようになって。 いいのかな、と、思いつつも、幸せで。 けれど。 でも。 そんなことより。 それよりも。 大切なのは。 考えなくてはいけないのは。 (‥‥‥めいわくをかけたくない) その気持ち。 この兆し。 伝えなくては。 でも。 分かっているのに。 どうしても。 どうしてか。 視線が。 意識が。 吸い寄せられていく。 (‥‥‥めいわくをかけたくない) 止まらない。 止められない。 どうしても。 どうしてか。 目が吸い寄せられていく。 綺麗な、桜色に。 綺麗な、桜色に。 小さな桜色の折り鶴に。 違うのに。 今日、ここに、来たのは、この鶴の為じゃないのに。 (‥‥‥はな‥‥‥を‥‥‥) ここには、花を、可愛い、綺麗な、小さな、赤い花を。 プレゼントを、買いに、来たのに。 (‥‥‥めいわくはかけたくない) また、迷惑を掛けるのは、いや。 心配を掛けるのは、いや。 いや。 いや。 いや。 (‥‥‥‥‥‥だれか‥‥‥‥‥‥たすけ‥‥‥) 泣きわめきたいような気持ちで、麻衣は、足掻いた。 なにか、なにか、なにかに。 吸い込まれそうになりながら、足掻いた。 たくさんの。 鶴が。 ざわめくのを。 聞きながら。 (‥‥‥‥‥‥鶴は、一個、だけだったのに‥‥‥) 不思議に、思いながら、哀しく思いながら、意識を、手放した。 |
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