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 夢を見た。

 彼が、私を、抱く夢を。

 

「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ」

 

 飛び起きて、周囲を見回して、息を吐き出す。

 生々しい感触を忘れようとするけど、脳裏にはしっかり焼き付いている。

(忘れろ。忘れるんだ!)

 とりあえず彼に会うまでに忘れよう、と決意した。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 SWEET DREAMER

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、事務所に行くと、安原さんがなんか疲れた顔をして待っていた。

「いやあ、昨日、押しの強い依頼人の方がみえまして‥‥‥」

 安原さんを疲れさせるほど押しの強い人って、と想像したが、想像しきれない。

 恐ろしい‥‥‥。

「駄目ですって断ったんですけど、よほど、せっぱ詰まっていたんでしょうねぇ。問題の品物を置いていっちゃったんですよ。しかもね、連絡先がどうにもでたらめらしくて‥‥‥」

「それって‥‥‥」

「困ったものです。今度見付けたら、きっちり締めときましょう」

 ふふ、と笑みを浮かべた安原さんは、かなり怖かった。

「実は、大体、目安がついているんですよ。世間話程度でも、いろいろ分かりますからね。ふふふふふ、僕にこんな物を押しつけたツケは高いですよ」

 切れている。

 いったいどういう依頼人だったのか。

 滅多に切れない安原の見事な壊れぶりに、麻衣は、思いきりひいた。

(誰でもいいから、早く、来て〜)

 壊れた安原と二人で居るのはものすごく嫌だ。

 しかしこういう時に限ってリンさんは居ないし、ナルもなぜか居ない。

 居なくていい時は居るくせに、とひどいことを心中で叫ぶと、叫びが届いたかのように、扉が開いた。

 そこには、いま、まさに、馬鹿、と罵った所長様が立っていた。

(‥‥‥う)

 嬉しいはずだが、嬉しくない。

 助かったはずなのに、助かってない。

(忘れる。忘れた。‥‥‥忘れた!)

 思い出すな、と念じて、もう一度見ると、そこには、どうしてか、このうえもなく物騒な雰囲気のナルが仁王立ちしていた。後ろには、憔悴しきった顔のリンさんと、なぜか、青い顔の真砂子まで居る。

(な、なにごとっっっっ)

 鬼気迫る雰囲気に怖くなって、安原さんの背中に隠れる。

 盾にした安原さんも、三人の異様な雰囲気に気が付いて、硬直していた。

「‥‥‥谷山さん、なにやったんですか?」

「えええええ、私?」

 ひどい、と思いつつも、安原さんの服を握りしめて、そっと三人を肩越しに見やる。

(‥‥‥ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ)

 怖い。怖い。怖いっっっっ。

 そこには、ナルが、ナルが、笑っているナルがっっっ。

「たた、谷山さん、駄目ですってっっっ」

 安原さんが逃げようとするけど、離してなるものか。

 腕を掴んで、ぎゅっっ、と抱き締める。

「谷山さんっっっ、やばいですって!」

「やだやだ、怖いよぉぉぉっっっ」

「だから、腕、腕‥‥‥ちょっ、しがみついたら駄目ですってば!」

「やだやだ!」

「しょ、所長、ちょ、その腕はなんなんですかっっっ!」

 安原さんが喚いてるけど、絶対に離さない!

 そう決めて安原さんの背中にひしっっっとしがみついていると、今度はリンさんのわめく声が聞こえた。

「ナル!安原さんまで巻き込むつもりですか!」

「大丈夫だ」

「その自信の根拠はどこにっっっ!」

 あ、なんか、珍しくて、面白いかも。

 リンさんが取り乱すなんて珍しい。

「麻衣!安原さんにしがみついてないで、いまのうちに、こっちにいらっしゃいませ!」

 あ、今度は真砂子だ。

「‥‥‥ええと」

 おそるおそる顔を上げると、真砂子が‥‥‥なんか、ひきつった笑いを浮かべて手招きしている。ちょっと怖い。

 さらに怖いのが、横で、ナルの腕が上がっていることと、リンさんが止めようとしていること。

 まさか、ねえ、まさか、あの暴走魔人、私たちに向かって、最終兵器を放つ所じゃないでしょうね?

「‥‥‥安原さん。一緒に逃げよう。遠くに」

「‥‥‥逃げなくても、谷山さんが、僕を離してくれれば、大丈夫です。それと命が惜しいので、そういう危険な会話はやめてください‥‥‥」

 疲れ切った安原さんがしみじみ言うけれど、安原さんを離す気にはなれなかった。だって、怖いし。でも、真砂子もリンさんも、ともかく安原さんから離れろって言うし‥‥‥。

「‥‥‥安原さん。離したら、逃げる?」

「逃げません」

 じゃあ、と離したら、安原さんは、確かに、逃げなかった。

 逃げなかったけど、どうして、どうして?

「なんで、ナルに渡すのっっっっ!」

「敵意はありません、との意です。はい」

「やだぁぁぁぁ、安原さんの馬鹿ぁ!」

 差し出された私は、ナルの前で立ち尽くす。

 だ、だれか、盾をををををを!

 そう思って、今度は、すぐ間近に居るリンさんにしがみつこうとしたら、腰ががっしりと掴まれて、なんか、なんかっっっっっっ。

「やだ、やだ、やだ!リンさん、助けて!」

 助けを求めているのに、リンさんは、安原さんの所に行ってしまった。

 なんか変な物を受け取って話してるしっっっ。

 あ、真砂子も行っちゃった!

「真砂子の裏切り者〜!」

「あら、だって、お邪魔ですもの」

 ほほほほほほ、と笑う真砂子は、確か、確か、ナルが好きだったはず!

 なのに、なのに〜。

「‥‥‥切れたナルには近づきたくありませんわ」

 心中の嘆きは、漏れていたらしい。

 真砂子は、深々と吐息を吐き出した。

 

「‥‥‥ああ、やはり、これのせいですか」

「ええ。おそらくは」

 

 リンさんと安原さんは、私が、じたばた暴れているのに、見向きもしてくれない。ねえ、ねえってば!この異常事態に、どうしてそんなに普通で居られるのっっっ!

「うわーん。ぼーさんっっっっっ、助けて〜」

 最後の砦のぼーさんを呼んでみる。

 びくっっっ、と私の腰を後ろから掴んだ手が震えた。

(有効?)

「‥‥‥はーなーせーっっっぼーさんに言い付けてやるぅぅぅぅぅ!」

「麻衣、それ、やめた方がよろしいですわよ」

「嫌だっっ!こんな理不尽なこと許せない〜。もう、早く、離してよ〜」

「‥‥‥忠告は致しましたわよ」

「真砂子の馬鹿!ぼーさんっっっっっ!助けて〜!」

 そこに、タイミング良く現れるのが、正義の味方というものだ。

 神様は、私を見捨てていなかった。

「麻衣!どうしたっっっ‥‥‥‥‥‥ぐえっっっ」

 でも、どうして、ぐえっ、なの?

 後ろ見れないから分からないよぉぉぉぉぉぉぉ。

 大体、どうして、ナルが私の腰を掴んでるの?

 これも夢なの?

 夢なら、夢なら‥‥‥。

「うわーん、ジーン、早く、助けてよぉぉ!」

 叫ぶと、真砂子が、顔をひきつらせていた。

 安原さんも、リンさんも。

 安原さんは、なんか、拝んでいるし!

「‥‥‥地雷ですわね」

「‥‥‥地雷ですねぇ。谷山さん、成仏してください」

 もうなにがなんだか分からなくて、だくだく泣いていたら、すうっっ、と冷えるような声が後ろから聞こえた。

「リン。壊せ」

「‥‥‥データーは」

「必要ない」

「では」

 リンさんが、なんかけったいな形をした物を、持ち上げた。

 それは、ともかく変なの、としか言いようがないもので、笑いながら寝ているおなかがでばったおじさんの金ぴか像なの。しかもね、普通、像にするなら貫禄とかあるじゃない?ないの。まったく、これっぽちも。

 緩みきった口元といい、なんか、えろえろ親父って感じ。

 なんであんな像作ったんだろう‥‥‥。

 

------------くしゃん。

 

 壊れ方まで、なんか、変だった。

 なんか、ねえ、床に落ちた時に、動いた気がするし。

(‥‥‥気のせい?)

 気のせいにしておこう。うん。

「‥‥‥ま、麻衣ぃぃぃぃぃぃ!」

 どこからか変な声が聞こえてくるけど、無視‥‥‥って、これ、もしかして、ぼーさんの声なんじゃ‥‥‥。

「ぼーさん!」

「‥‥‥麻衣、不甲斐ないお父さんを‥‥‥許してくれぇぇぇぇ」

「ちょ、ぼーさん‥‥‥」

 声が、なんか、段々遠くなる。

 もしかして逃げた、と思ったら、聞き慣れた綾子の声がした。

「なに、馬鹿なこと言ってるのよ!ほら、行くわよ!」

「‥‥‥麻衣ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 ぼーさんの声はどんどんと遠くなった。

 そして、私は、ついに、諦めた。

 もー、どうでもいいって感じ。

 でも、逃げようとしなくなったら、掴まえていた腕の力が緩んだ。

 ちょっとお腹苦しかったから、助かったけど。

 でも、でも、まだ、どうしても後ろは見れない。

 だって、間近で見たらっっっっ。

「‥‥‥所長。後始末はどうします?」

「リン。徹底的に始末を」

「はい、分かりました」

 リンさんも安原さんもうなづいて、くしゃん、と壊れた欠片を集めて、ひとまとめにしてしまう。真砂子も、なんか納得してるみたいだけど。

「‥‥‥あの‥‥‥真砂子、説明してほしいなぁ」

 真砂子は、視線をさまよわせた。

 そして、なぜか、顔を赤くした。

「‥‥‥麻衣、変な夢を見ませんでしたか?」

 

 

 

 

 ぷっちん。

 

 

 

 

 

 視界が真っ白に染まった。

 へなへな体中の力が抜け落ちる。

「‥‥‥見たようですわね」

 な、なぜ、それをををををををををを、と叫んで逃げたいが、逃げられない。

「‥‥‥あの像が原因ですわ」

「へ?」

「‥‥‥無節操に悪夢を振りまく呪いの像、といえば分かりますかしら」

 分かる。

 分かる。

 すっごく良く分かる。

 じゃあ、あの夢は、私の願望じゃないんだねっっっっ。

 喜んでいたら、後ろから、笑い声が。

 しかも、しかも、ひくーい、笑い声が。

「‥‥‥安原さん。その像を持ち込んだ人物の割り出しを」

「はい!いますぐに!」

 直立不動の姿勢を取った安原さんは、荷物を纏めて、飛び出した。

 あ、リンさんまで!

 ああああああ、真砂子まで!

 どうして、なんで、と思っている間に、事務所内は静まり返っていた。

「‥‥‥原さんの説明には抜けている箇所がある。あのふざけた像が見せるのは、主に、性的な夢だ」

「へ?」

「‥‥‥おまえは誰が相手だった?」

 絶句して硬直していると、腰から腕が外れた。

 逃げる絶好のチャンスだけど、立てなかった。

 へなへなと崩れるようにして床に座り込んで、ナルを見上げる。

 ナルは、なんか、もう、悪魔様って感じ。

 あ、大魔王か。

 背中に暗雲見える気がするし。

「‥‥‥麻衣?」

「そ、そんなもん答える必要ないしっっっ」

 特にナルには、絶対に、答えたくない。

「必要は、あるな」

「な、な、なんでっっっっっっ」

「僕の気が晴れる」

「‥‥‥‥‥‥」

 待て。

 どうして、どうして、どうしてっっっっ。

「お子さまだからと、我慢してやっていたのに‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 ナルがぼやくようにあの像を罵る言葉が聞こえた。

 それって、放送禁止用語ってやつでは‥‥‥。

(‥‥‥い、いまのうち‥‥‥)

 良く分からないけど、なんか、やばそう。

 いまなら、逃げられそうだし。

 ともかく、逃げてから、考えよう。

 けど、けど、怖くて動けないっっっっ。

「‥‥‥安原さんか?」

 怖い。怖い。怖い。

「‥‥‥リンか?」

 良く分からないけど、怖い。

「‥‥‥それとも、ジーンか?」

 ひぃぃぃぃぃぃぃ、どうして、こんなに怖いのっっっっ。

 答えられなくて、かたかた震えていると、ナルが顔を覗き込んだ。

「‥‥‥まさか、ぼーさんか?」

「な、なななななな、なんで、そんなこと聞くのっっっ」

「それは、勿論‥‥‥」

 ナルは、にっ、と笑った。

 悪魔、悪魔、悪魔の微笑みだ!

「‥‥‥麻衣?」

 私の、お世辞にも性能がいいとはいえない脳味噌は、そこで、ぷつん、と焼き切れた。逆切れした、ともいう。

 なんで、なんで、私が、こんな怖い思いしなくちゃいけないのさっっっ。

 ナルなんか大嫌いだあっっっっっっっ!

 その思いを込めて、私は、叫んだ。

「ナルだよっっっ!」

 なんか文句あるか。

 くそうへなちょこ像め!

 私が踏みつけてやりたかった!

 

 

‥‥‥‥‥‥その後、像を持ち込んだ人は、精神的にも肉体的にも追いつめられて逃げるように入院したらしい。なんか、ねえ、リンさんも安原さんも真砂子も、容赦なしで報復したらしいけど、内容は教えてくれない。ちなみに、ナルは、ナルは、なにをしたか教えてやろうか、とあの悪魔の微笑みを浮かべて聞いて来た。

 もちろん、私は、断った。

 断ったはずなのにっっっっ。

「‥‥‥ちょ、こ、腰、腰、はなしてぇぇ」

 大きな寝台の上で、私は、叫ぶ。

 でも、ナルは、離してくれない。

「聞きたくないのか?」

「聞きたくないっっっ」

「聞かせてやろう」

「だから、聞きたくないってば!」

 覆い被さってくるナルは、夢と同じ、でも、これは夢じゃない。

 ぶち切れたナルは、あれから、教えてくれた。

 ナルが見た夢の相手は、私だったと。

 その夢を見たら、我慢が限界を越えた‥‥‥らしい。

 けど、それって、絶対に、私のせいじゃないのにっっっ。

 なのに、ナルは、私に、責任を取らせたのだ。

 本当に嫌なのか、と聞かれたら、困る。

 困るけど、ぶち切れたナルは、開き直って、手強くて、しつこくて、腰が、腰が、腰がっっ!

「やだやだっっ!もうやだっっっっっ!もう腰に力が入らないんだよっっっ!」

「我侭だな」

「どこがだっっっっっっっ!」

 叫ぶ私にキスするナルは、夢と同じ。

 でも、夢より、ずっと、悪魔だった。

 夢見て、きゃあきゃあ言っていた自分が、とてもとても羨ましい。

 

 でも、夢より、優しいから。

 でも、夢より、暖かいから。

 

 仕方ないので、私は、目を閉じた‥‥‥‥‥‥。

 

 

 

 

 

                              END

 

 

 

                    

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