‥‥‥‥‥‥‥yoru
夜、珍しいモノを見た。
●●●●●●●Night-book
読書に一区切りがついて、ナルは、リビングに顔を出した。 時刻は深夜。日付が変わるぎりぎりで、いつもならとうの昔に、うるさい小言が響いているはずだった。 だが、うるさい小言の主は顔を出さなかった。 おそらくはちょっと一眠りが長引いているのだろう、とナルは予想していた。 いつものことである。 だが、小言の主は、起きていた。 そして、酷く珍しいことに、ナルの気配にも気が付かないで、なにかの本を読んでいた。カバーが掛けられているので、なんの本なのかは不明だが。 「‥‥‥‥‥‥」 予想通りの反応を返す彼女の、予想外の姿に、ナルは眉間に皺を刻んだ。 そして、すたすたと彼女に近づくと、読んでいた本を取り上げた。 「麻衣、お茶」 「‥‥‥へ?」 「お茶」 「‥‥‥あれ‥‥‥ナル‥‥‥」 現状を理解した途端、麻衣は、取り上げられた本を素晴らしい早さで取り返した。そして、真っ赤な顔で、抱え込んでしまう。 見られたくありません。 知られたくありません、と全身が意志表示をしていた。 「‥‥‥‥‥‥」 「‥‥‥‥‥‥」 見つめ、いや、にらみ合うことしばし、麻衣が先に視線を逸らした。 「ええと、お茶‥‥‥お茶だね。いま、煎れてくる!」 そして、そのままキッチンに逃げようとするが、そんなことが赦されるわけがない。自分は好き勝手に好きなことをしているが、恋人が隠し事をするのは何一つ赦せない心の狭い博士は、麻衣の肩をがっちりと掴んでいる。 ついでに腰も。 逃げられると思うなよ、と態度と視線と無言が語っていた。 「‥‥‥それで?」 「それでって‥‥‥なにそれ」 「‥‥‥聞いてやるから話せ」 あまりにあんまりな台詞に、麻衣は目を大きく見開いた。 そして、魂の抜け出るような吐息を吐き出す。 「‥‥‥ナルって‥‥‥ナルって‥‥‥」 言葉の後ろにはなにが続くのか。 どうでも良いことだったので、ナルはそのことについては尋ねなかった。そして、麻衣が話すのを待つのにも飽きたのか、力の抜けた麻衣の腕から、本を再び取り上げて、目を通す。 「‥‥‥‥‥‥」 そこには、読んだことがある、いや、書いた覚えのある文字が連ねられていた。 ナルは、麻衣を見下ろす。 「‥‥‥‥‥‥」 麻衣は、抵抗しない。 諦めきって、下を向いている。 いや、よくよく見れば、耳が真っ赤である。 「‥‥‥ううううう、ナルの馬鹿」 呻くように漏らされた言葉に、ナルは、笑った。 鮮やかに、暖かく。 だが、声音はいつもどおり、静かに、冷ややかに、問い掛ける。 「‥‥‥読めるのか?」 「‥‥‥ちょっとだけ」 ナルは、麻衣が座っていた場所に目を向ける。 そこには分厚い辞書が置いてある。 ノートには見慣れた単語が書かれている。 「‥‥‥ほとんど読めないんだろう?」 「‥‥‥‥‥‥」 それはめくられた頁数を見れば、分かることである。 「‥‥‥い、いつか、読めるようになるもんっ」 「‥‥‥へぇ」 「‥‥‥だ、大体、難しくて分かりにくい文章を書いたナルが悪いっ。もっと分かりやすく書いてよっっっっ」 真っ赤な顔で八つ当たりをする麻衣を見下ろして、ナルは、また、笑った。 今度は、底意地の悪そうな顔で。 「‥‥‥教えてやろうか?」 「‥‥‥ふえ?」 「‥‥‥分かりたいんだろう?」 麻衣は、ナルを見上げる。 戸惑い、疑い、喜び、様々な感情を鳶色の双眸に滲ませて。 「‥‥‥えと、教えてくれるの?」 「‥‥‥麻衣が望むなら」 「‥‥‥本当に?」 「‥‥‥ああ」 「‥‥‥本当に本当に本当に?」 「‥‥‥しつこい」 「‥‥‥本当なんだ」 「‥‥‥‥‥‥」 鳶色の双眸に喜びが大きく広がった。 「‥‥‥嬉しい。すごーく嬉しい。実は、全然分からなかったの。ナルに聞こうかな、とか思ったけど、馬鹿にされるかな、と思って黙ってたの」 大喜びする麻衣の頬にキスを落として、ナルは、囁いた。 「お茶」 「うん、分かった。すぐに煎れてくるね!」 弾むような足取りでキッチンに向かった麻衣を、ナルはなんとなく見送った。 そして教えてやると約束した本に視線を向けて、微かに目元を和ませた。
end
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