sss 10

 

 

 やめておけばいいのに、と、思っても止まらないのがお約束?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 last year

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥とりあえず、今年も無事に終わって良かったですよねぇ」

 光量を落とした薄暗い部屋の片隅で、穏和な笑顔を浮かべた青年が、しみじみと呟く。その言葉に頷きながら、長身の男は、眼鏡がきらり、と、輝いたことには気付かぬ振りをした。ついでに、テーブル向かいの光景は、心臓への負担を避ける為に視界に入れていない。

「さーあ、もっと、飲めーっっっっっ!」

 だが、声は、聞こえてくる。

 まったくちっとも欠片も聞きたくないが。

「さあさあさあさあさあさあさあ、のめーっっっ!」

 聞こえてくる。

 壊れたチチオヤの叫びが聞こえてくる。

 止めるべきだった。

 いまからでも遅くないから止めるべきであろう。

 壊れたチチオヤが飲め飲めと酒を勧める相手は、飲めないわけではないが、アルコールを好んでいるわけではないのだから。

 無理強いは良くない。

 ましてや勧める酒のことごとくが度数の高い酒とあっては。

 見過ごすのは罪であろう。

--------が。

 相手が悪かった。

「これも美味いぞ、のめーっっっ!」

 壊れた酒豪のチチオヤに酒を勧められるのは、彼、である。

 度数の高さも、壊れた理由も、なにもかも承知なのは確実である。

 その上でそこに居るのも当然で、自棄になったわけでもないの当たり前だ。

 つまり、紅茶を飲むように平然と酒を飲み干していくのは、彼なりの理由があるということだ。

 それを邪魔して良いのか。

 いや、そもそも、なにを企んでいるのか。

 止めるべきなのか。

 放置しておくべきなのか。

 それとも、同乗すべきなのか。

 見ない振りをして逃げては駄目なのか。

 ここに居ない面々が羨ましくて仕方ないのは錯覚か。

 なんだか、きりきり痛むような胃をそっと押さえて、長身の男、リンは背を丸めた。その哀愁漂う肩に、安原の手が、そっと、乗せられた。

「‥‥‥リンさん、お気持ちは分かります」

 染み込むような声だった。

「‥‥‥けど、逃げては駄目です。酔い潰れた滝川さんを運べるのはあなただけなんですから」

「‥‥‥」

 安原は、所詮、越後屋だった。

 どこまでいっても越後屋だった。

 付き合って結構な量の酒を飲んでいるのに、いや、だからこそか、ますます穏やかな笑顔を浮かべながら、人を地獄に突き落とす技が冴えていた。

「それに、滝川さんが壊れた原因は‥‥‥まあ、とっても理不尽だとは思いますが、リンさんにもありますしねー。これぐらいは付き合ってあげて下さいよ。カワイイ‥‥‥いえいえ、楽しい‥‥‥いえいえ可哀想じゃないですか」

 失言連発の越後屋は、酔っているのかもしれない。

 あるいは酔った振りをして遊んでいるのかもしれない。

 リンにはその区別はできなかった。

 だが、どちらにせよ、逃げられないのは確実なのだ。

 理不尽だとは思う。

 確かに原因は作った。

 それは確かだ。

 だが、しかし、それは、仕方ないではないか。

「‥‥‥滝川さんが聞きたいというから話しただけなんですが‥‥‥」

「そーですね」

「‥‥‥どーしても、と、縋り付かれて‥‥‥仕方なく、二人の暮らしぶりを少しだけ話しただけなんですが」

「そうですね〜。あれは凄かったですよねー。リンさんの腰にしがみついてましたよね。恥ですよね。離して欲しかったんですよね。しかもあんなものを写真に取られてまどか女史に送られたら最悪ですよねー」

「‥‥‥送ろうとしたのは誰ですか」

「僕ですね。すいません。どうしても確証が欲しかったので、壊れた滝川さんを利用させて貰いました。でも、あまりにも素晴らしい光景で、目の前が涙で曇って良く見えませんでした。もったいないことです」

「‥‥‥気が済むまで見物していたくせに‥‥‥」

「手出しするのが恐かったんですよ。‥‥‥それに、ちゃんと、最後は助けて差し上げたじゃないですか」

「‥‥‥二時間放置されましたけどね」

「自力で逃げられなかった人が文句を言うのは間違っていると思いますけどね」

「‥‥‥金縛り掛けられたのは迂闊でした」

「無駄に力がありますよね。滝川さん。災難でしたね」

「‥‥‥ええ、本当に」

「あのままだったら気力体力が続く限りくっついてましたよ。次はお望みどおり放置しますので、堪能して下さい」

「‥‥‥文句を言ってすみませんでした」

「いえいえ、そんなこと少しも気にしてませんから、ささ、もう一杯、どうぞ。ぐぐっと飲み干して下さいね」

「‥‥‥これを飲み干せと言いますか」

「はははははは、度数がちょっと高めなんですが、リンさんなら大丈夫ですよ」

「‥‥‥飲み干さないと許さないと言うことですか」

「まさか。そんな恐ろしいこと言いませんって」

「‥‥‥言わないだけなんですね」

「酔ってますね。そんな後ろ向きにいじけないでくださいよ。ますます苛めたくなるじゃないですか」

 リンは、ますます穏やかに笑う安原の隣に座ってることを後悔しつつ、喉が焼けるように度数の高い酒を飲み干した。度数が幾つなのかものすごく気になったが、聞いたら最後の気がしたので、ただ、黙って。

「‥‥‥うーん、つまんないですねー。滝川さんなら、ここで、ぎゃーぎゃー騒いでくれるのになー」

「‥‥‥‥‥‥」

 つまんないな、と、呟いて、視線が外れたことに感謝しながら、リンは、ほっと安堵の息を吐き出す。そして、うっかりと、向かいを見てしまった。

「‥‥‥」

 目が合ってしまった。

 うるうる眼差しとぶち当たってしまった。

「‥‥‥ひどいんだよ」

 そして、壊れたチチオヤは壊れた涙腺を放置しながら、うっかりと視線を合わせたリンに助けを求めるような悲痛な声を吐き出した。

「‥‥‥かわいーかわいーまいを‥‥‥こ、こいつが‥‥‥」

 酔っていた。

 間違いなく滝川は酔っていた。

 しかしそれだけではなく壊れていた。

 ますます壊れていた。

 近寄りたくない、と、リンは思った。

 関わりたくない、と、心底思った。

 だが、壊れて酔っ払ったある意味素敵に無敵な滝川は、思わず逃げようとしたリンを、その場に縫いつけた。気迫というか気というか‥‥‥無駄に力があるということは性質が悪いという実例である。しかも酔っ払っているから加減ができていない。

 そして、リンは、中途半端に理性が残っていた。

 縛りを返して逃げることは可能だが、そんなことをしたら、見事に壊れている酔っぱらいが、どうなるか分からないと考える程度には素面だった。

「‥‥‥ううううう‥‥‥まい、なんて、かわいそうなんだ‥‥‥」

「可哀想なわけがないだろう。なにを聞いているんだ、おまえは」

 リンは、肩を、びくり、と、震わせた。

 そして、なんだかとってもお怒りの青年が、泣く滝川を睨みつけるのを見てしまった。冷たい眼差しではなく、燃え上がるような怒りの眼差しを、つい、うっかり、見てしまったのだ。

「きっちりと残すことなく可愛がっていると言っているだろうが。少し放置しておくと寂しがってろくなことを考えないから、ろくなことを考えないように構い倒しているし、粗忽者のくせに外に出たがるから、休みの日は、外に出なくても良いようにしてやっているし、仕事中だというのに、寂しがるから、相手もしてやっている。‥‥‥そのどこが可哀想なんだ」

「まいー、なんて、かわいそうなんだー。こんなぜつりんかんちがいやろうにつかまってなんてなんてあわれなんだーっっっっっっ!」

「‥‥‥リン」

「‥‥‥は、はい」

「この馬鹿はなにを言っているんだ」

「‥‥‥」

「話が通じないぞ」

 なんとかしろ、と、語る眼差しの真意をリンは理解していた。

 わめく言葉の中で意味の分からない言葉があったから説明しろと言っているのだ。

「‥‥‥錯乱してらっしゃいますので、私にも分かりかねます」

 嘘である。

 リンには分かった。

 分かりたくないが分かった。

 けど、そんなの説明したくない、と、思いきり逃げた。

 だが、素敵な壊れた酔っぱらいは、そんなリンに、捨てられた子犬のような眼差しを向けて、叫んだ。

「なに言ってるんだ!おまえさんだって、あれは酷いって言っていたじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!百万歩譲って、付き合うのは、仕方ない!まいがそれでいーなら仕方ないさ!でも、でも、次の日に動けなくなるまで、セックスするような鬼畜なんか、どぶに流してしまいてぇーっっっっっっ!」

「‥‥‥なにが悪いんだ。可愛がってやっていると言っているだろうが。次の日も動けない麻衣の世話はちゃんと看ている。第一、動けなくするのは、休みの日だけだ。他の日は我慢している」

「いばるなっっっ!んなことっっっ!」

「麻衣もそれでいいと言っている。文句を言われたことはないぞ」

「それは、動けないだけ時は、おまえが側に居てくれるからだっっっ!」

「なら、良いだろう」

「よくないわっっっっ!もっと大事にしろっっっっっ!んな時だけ構うだけの恋人は最悪だっっっ!美味いもの食わせて楽しい所に連れて行って遠慮して欲しいと言えないものを先回りして買ってやって、いつでもどこでも側にいて、べろべろに甘やかせっっっ!麻衣は、麻衣は、麻衣は、いままで大変だったんだから!もっともっと幸せにならなくちゃ‥‥‥だめなんだーっっっっっっっっっっ!なのに、こんな、性欲だけの変態に捕まって‥‥‥うわーんっっっっっ!」

「‥‥‥変態とはどういうことだ」

「変態!おまえなんかへんたいのきちくだ!」

「‥‥‥麻衣が言ったのか」

「まいがんなこと言うわけないだろ!んなもん、おまえを見ていれば分かるわっっっっ!このむっつりすけべ!こないだの調査の時だって、麻衣が、ちょーっっと爽やか系の男と話しただけで、押し倒しやがって!しかもてめえ、縛っただろ!痣が残ってたぞ!この束縛系のへんたいおとこっっっっっ!」

 リンは、知らない内に、注がれていた酒を飲み干した。

 空になったらまた注がれて、また、飲み干した。

 そうして、どうして自分がここに居るのかと、これはきっと夢に違いない、と、思いながら、飲み干した。

「認めろよなっっっ!おまえがまいにひどいことするのは、自信がないからだ!麻衣のせいにすんなっっっ!おまえは麻衣を閉じ込めて、誰にも見せたくないんだっっっっ!取られるとか心変わりするとか思ってるんだ!まい‥‥‥麻衣が、あんなにあんなにおまえのことを大切にしてるのに‥‥‥信じないで、ひどいことしてるんだ‥‥‥おまえなんか‥‥‥海に流してやりてぇ‥‥‥。麻衣は、可愛いのに。デートに連れてってやれよ。すんげえ喜ぶんだからさ。近場のひなびた水族館でも、どこでも、喜ぶんだからさ。たまには‥‥‥連れてってやれよ。んで、花でも、指輪でも、ぬいぐるみでも買ってやれよ。かあいそうじゃないか‥‥‥。そりゃ、なあ、周りに合わせる必要はないさ。でもさ、友達とかが、恋人と遊びに行ったり、プレゼントを貰ったりして、喜んでいるのを見ればさ、羨ましいと思うのが人間だろ?‥‥‥可愛がってやれよー。たまには譲歩してやれよ。んでもって、俺を、安心させてくれよ。幸せになって良かったな、って、思わせてくれよ。‥‥‥かあいーかあいーまいをひとりじめ‥‥‥なんだから‥‥‥いちばんなんだから‥‥‥それぐらい‥‥‥それぐらい‥‥‥」

 ごちん。

 がちゃ。

 痛い音をさせて、滝川は、潰れた。

 テーブルに頭を打って、ついでに、手に持っていたグラスも倒した。

 無様な姿だった。

 情けない姿だった。

--------けれど、リンは、強い、と、思った。

 理性も常識も吹っ飛んで、底の底で、本音の奥で、それでも、大切な少女の幸せだけを望む姿は‥‥‥無様で情けなくて、けれど、胸を打つなにかがあった。

「‥‥‥ほんとうに、お父さんなんですねー」

 そして、それは、手強い越後屋も一緒のようだった。

「‥‥‥そうですね」

「感動だなー。やっぱ、僕、滝川さん好きだなー」

「‥‥‥そうですね」

「あ、じゃあ、リンさんと僕はライバルなんですね」

「‥‥‥そう‥‥‥違います」

 やっぱり、安原は越後屋だった。

 なんだか、なにかがものすごく台無しにされた気がした。

 けれど、最悪で夢にしたい年末の飲み会は、無駄ではなかった気がした。

 少なくとも、なんだか考え込んでいる無意識に鬼畜な青年には。

 彼が優しくないわけではない。

 優しい可愛い少女を愛していないわけでもない。

 ただ、その愛し方が少しずれていて、周りに心配を掛けていることだけは分かって貰えた‥‥‥と、思いたい。

「さーて、そろそろ、お開きにしますか。リンさん、滝川さんをよろしくお願いいたしますね。僕、お会計してきますー」

「‥‥‥分かりました」

 リンは、頷いて、潰れた滝川に近付いて、肩を叩く。

「滝川さん、起きて下さい。帰りますよ」

「‥‥‥むー」

「しっかりして下さい。こんな姿を谷山さんが見たら心配しますよ」

「‥‥‥むー」

 娘効果で、滝川は、むっくりと起き上がった。

「‥‥‥まい?」

「‥‥‥麻衣?」

 しかしその一言は余計だったかもしれない。

「そうか。帰らないと、心配するな。迎えに行かないと」

「‥‥‥今日は、松崎さんの所に泊まる予定では」

「迎えに行かないと、寂しがるからな」

「‥‥‥いえ、ですから、今日は」

「ぼーさんに心配掛けないように可愛がらないとな」

「‥‥‥酔ってますね」

「四六時中側に置いてもいいんだな。我慢する必要はなかったんだ。連れて行かないとな。ルエラが喜ぶな。まどかに頼まないと」

「‥‥‥」

 なんかやばい。

 ものすごくやばい気がした。

 しかし、酔っぱらいは、話を聞いてくれない。

「‥‥‥迎えに行かないと」

「ま、待って下さい!ともかく、今日は、もう、遅いですから、明日にしましょう!アルコールが抜けてからにしましょう!」

「‥‥‥迎えに行って、可愛がってやらないとな。明日から、しばらく休みだしな。抱き潰してやらないと寂しがるからな」

 確かに休みではある。

 だって、明日は、年の始まりだ。

 着物を着て初詣に行くのだと、楽しそうに話していた。

 けれど、いま、その、優しい少女のささやかな楽しみが、消えようとしている。

 ここで、酔っぱらいの暴走を見逃したら、駄目だ。

「‥‥‥行かせません」

 リンは、腹をくくって、酔っているように見えない酔っぱらいの行く手に立ち塞がった。むーむー唸る酔っぱらい親父を合間に挟んで。

「‥‥‥邪魔をするのか」

「‥‥‥彼女の幸せの為です」

「僕の邪魔をするとは良い度胸だ」

「とりあえずアルコールを抜いて下さい」

「麻衣の幸せは僕が決める。麻衣は僕のものだ」

「‥‥‥とりあえず、話は後です。明日です。いまは無駄です」

「無駄かどうかは僕が決める」

「‥‥‥‥‥‥まーいー‥‥‥かーいーなー」

 睨み合う黒づくめは真剣だった。

 真ん中の酔っぱらいは幸せそうに潰れていた。

 そして、ただ一人、素面に近い越後屋は、戻って来ていたが、声を掛けることもなく、声を掛けるつもりもなく、にげようかなーとかとか考えていた。

「あなたは身勝手過ぎます」

「おまえは根暗過ぎる」

「‥‥‥まーいー」

 ぶわりと吹き上がる殺気と、合間に、なぜか、ばちばちと青白い光が混じる。

 やばかった。

 危険だった。

 近寄りたくなかった。

 けれど、素面に近い安原は分かっていた。

 この暴走を止めなければ、明日、一番、責められるのは己だと。

 そして、久しぶりの楽しいお出かけに浮かれている大切な娘さんの中で、己の株が大暴落することも。

『‥‥‥麻衣と一緒に着物を着ますの。お揃いですのよ』

 好きな人の幸せな笑顔を守ってこそ、男。

 安原は、腹を括って、暴走危険地帯に、突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、どうなったかは、定かではない。

 ただ、年明けの楽しいお出かけは、決行された。

‥‥‥背の高い男がちょっと焦げていたとか。

‥‥‥見目麗しい青年の眉間の皺が深かったとか。

‥‥‥頭がいたーい、と、長髪の男が唸っていたとか。

‥‥‥穏和な笑顔を浮かべた青年がよたっていたとか。

 色々色々を見ないようにすれば、つつがなく、とりあえずは、いつもどおりの一年が始まる晴れ晴れしい一日だったことだけは、確かで、めでたいことである‥‥‥と言え無くもない‥‥‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    end

                               

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