‥‥‥‥‥‥‥tamago-namae
嵐はいつも唐突に‥‥‥。
呼び名
ぱたぱたぱた、と軽やかな音がする。 てしてしてし、と軽やかな音がする。 深い森の奥、闇の王は、ゆっくりと目覚めた。 そして、楽しそうにくるくる回る小さな白い物体を発見して‥‥‥。 「‥‥‥‥‥‥」 彼は、固まった。 珍しいことに。 とてもとても珍しいことに、驚いていた。 しかし長年動かされることのなかった顔の筋肉は、やはり、ほとんど、動かなかった。お陰で彼は、かろうじて、威厳を保つことに成功した。 ただし、目の前で、てしてし歩く小さな物体には、欠片も意味のない威厳であったが。 「あ、おきたー」 きゃーい、と喜びの声を上げて、小さな天使は、闇の王にタックルをかました。 無謀、無防備、危険、見ている者が居たら、色々と小言を言いたくなるような、威勢の良いタックルであった。 だが、そこには、心配性の保護者たちは存在しない。居るのは、ぱったり、ぱったり、と尻尾を揺らす黒い獣だけであった。 そして、黒い獣は、小さな天使がなにをしても闇の王が怒らないと分かっているので、止めようともしない。 「おはよー」 「‥‥‥おはよう」 満面の笑みにつられて、彼は、挨拶を返した。 そして、小さな生き物をそっと抱き締めて、幻ではないことを確認した。 --------夢でもない。 彼の腕の中に居るのは、この間、出会ったばかりの小さな雛。唐突に現れ、あっさりと帰っていったはずの、生き物だった。 大きくなったら会いに来る約束は交わしたものの‥‥‥。 どう見ても、ほとんど変わっていない。 --------雛のままである。 「‥‥‥なにかあったのか?」 「なにか?」 「また実を取りに来たのか?」 出会ったのは、この場所に実った木の実を、小さな天使が無謀にも取りに来た為であった。あれからほとんど時間は過ぎていないが、もしかしたら、食い尽くしてしまったのかもしれない、と彼は思った。食い意地が張っていることは、良く分かっている。 だが、問いかけに、小さな天使は、目を瞬いて、否定した。 「くぷぷのみはいらないよ。たーくさんもらったから、しばらくは、だいじょーぶ。ありがとー」 「ならば、なぜ?」 「あーちゃんとけーきつくったー」 「‥‥‥」 「いっしょにたべよー」 「‥‥‥」 「たくさんみをもらったから、おれいー」 彼は、しばらく、黙っていた。 そして、吐息を吐き出す。 なにを言っても無駄だ、と、諦めたのである。
※
「おいしーい?」 「甘い」 「うん。あまくて、おいしーね」 微妙に答えをごまかされたことに気が付かず、小さな天使はご機嫌だった。 しかし、久しぶりに甘い食べ物を食した闇の王は微妙に不機嫌だった。 だが、不機嫌さを表に出すほど大人げなくはなく、とりあえず、二人の間には、穏やかな空気が満ちていた。 「あのね、こないだ、おうちにかえったらね、いっぱい、おこられた」 「だろうな」 「だから、ここにきたのはないしょなの〜」 「そうか」 「たーちゃんないちゃうからいったらだめだよ?」 「‥‥‥分かった」 泣くたーちゃんとやらが誰なのか、彼には、分からなかった。 だが、とりあえず、頷く。 分かったら、脅すか、抹殺するか、しておこう、と決めて。 目の前の小さな生き物は、彼のものだ。 少なくとも、彼と対となる宿命を担っている。 それを分かっていて邪魔するような奴は、抹殺しても構わないだろう。 --------などと、目の前の男が物騒なことを考えているとも知らず、小さな天使は、黙々と小さなケーキを平らげた。 そして、食べ終えて‥‥‥微妙な顔をした。 足らないのだろう。 「‥‥‥食べるか?」 彼は、一口食べただけのケーキを指し示す。 だが、迷っているようだが、頷かない。 「‥‥‥それ、くーちゃんの」
穏やかな室内に、冷たい風が吹き抜けた。
彼は、とてもとても嫌そうな顔で、問い掛けた。 「‥‥‥くーちゃんとやらは‥‥‥誰のことだ」 「くーちゃん」 小さな人差し指は、間違うことなく彼を示した。 「くろいからくーちゃん」 「やめろ」 「じゃあ、やーちゃん」 「‥‥‥なぜ」 「やみのおうさまー」 彼は、しばし、考えることを放棄した。 その間に、小さな頭で、小さな天使は、色々と考える。だが、思いつくまま名前を連ねて、すべて、却下された。 あまりにも無情に素気なく却下されつづけている内に、天使の声は、段々と元気が無くなっていく。そのことに気が付いて、彼は、ほんの少し慌てて、名乗った。 「ナル」 正式名称はもっと長い。 だが真名は、まだ、早すぎる。 知れば、危険も伴うだろう。 だから、彼は、かつて、片割れがてきとーに縮めた名前を名乗った。 そして、はたり、と気が付く。 「‥‥‥おまえの名は?」 「マイ!」 「‥‥‥それは愛称だろう。真名は?」 自分は真名を名乗っていないくせに、真名を知りたがる狡い男に、マイは満面の笑みを返す。 「マイ!」 彼は、すっぱりと諦めた。 忘れたか、知らないのか、どちらかだろうと納得したのだ。 そして、さりげなく、マイの前に、ケーキを移動した。 「たくさん食べないと早く大きくなれないから、マイが食べろ」 「‥‥‥でも」 「大きくなって貰わないと困る」 「‥‥‥こまるの?」 「ああ。困る」 「‥‥‥そっかー。でも、マイ、もう、おおきいよ?」 「‥‥‥」 「マイはね、もう、おとななんだから!」 「‥‥‥そうか。だが、もっと大きくならないと困る」 「そうなの?」 「そうだ」 そうなんだ、とマイは納得した。 そして、貰ったケーキをぺろりと平らげて、ここでしか実らない珍しい木の実を剥いて貰って、小さく切り分けて貰って、たくさんたくさん食べた。 「‥‥‥おなかいっぱい。もうたべられない」 未だに山積みの木の実を見て、マイは、哀しそうに嘆いた。 滅多に食べられないものであると分かっているのである。 「また食べに来ればいい」 「‥‥‥また?」 「来たい時に来ればいい」 「‥‥‥」 マイは、しばし、考え込んでいた。 『マイ、絶対に絶対に絶対に、あの森に行ったら駄目だぞ〜』 約束したから、どうしよう、とマイは、困った。 今日はケーキを運ばなくてはいけないから特別だけど、いつもは、どうだろう? ケーキごときで約束が無効になったと知ったら、保護者たちが号泣するとも知らず、マイは、うんうん、唸って、悩んだ。 「‥‥‥たーちゃん、泣くかなぁ」 「ならば、今度は、そのたーちゃんとやらも連れてこい」 「‥‥‥たーちゃんも」 「僕が直々に説得してやろう」 翻訳すれば、直々に脅してやろう、だった。 だが、マイにそんなことは分からない。 「うん、わかった〜」 そして、小さな天使はにっぱり笑って、近い未来、保護者たちを凍土地帯に案内することを約束したのだった。
--------穏やかな会話の中の、不穏な言葉に、黒い獣は気付いていた。 しかし、獣にも、獣の小さな主にも、まったく害が及ばない話だったので、黒い獣は、あっさりと聞き流し、欠伸を一つ漏らした。 保護者たちの姑息な隠し事がばれるまで、あと少し。 けれど、とりあえず、本日も、闇の王の居城は、平和だった。
end
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