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 誰も居ない侘びしい場所で、主が、座り込んでいた。その姿を、景麒は、ただ、少し離れた場所から、見守ることしかできなかった。

 なんと声を掛ければ主の気が少しでも休まるのか。

 景麒には、分からないからだ。

 ただ、主は、きっと、お一人になりたいのだろう、と、いうことは、分かっていた。誰も居ない誰も来ないこんな場所に来られたのだから、だから、本当は、その願いを尊重すべきなのだと分かっていた。

 けれど、景麒は、どうしても、そこから動けなかった。

 気が利いた言葉の一つも言えないのに。

 近付くことも、立ち去る配慮をすることもできず、ただ、立ち尽くしていた。

 そうして、主が、心を痛める原因を作った者を、思い出す。

 その者は、景麒にとっては‥‥‥‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

--------王の側近くに、また、海客が増えたようだ。

 そんな噂を耳にしたのは、去年の春過ぎの頃だった。

--------王は、随分と、その者に、心を許してるようだ。

 景麒は、最初、その噂をまったく信じていなかった。

 そもそもそんな者が間近に居れば、景麒が知らないわけがない。

 主とは、景麒は、毎日、顔を会わせている。

 主は、以前と、なんら、変わりがない。

 好ましく、頼もしく、王としての職務に、真摯に向き合ってくれている。

 だから、くだらない噂など、信じなかった。

 けれど、だから‥‥‥。

 だから、景麒は。

 驚いた。

「‥‥‥また、陽子さまったら、そんなことを」

「だって、仕方ないだろう、本当のことだ」

 景麒は、重要な書類を届けに主の元を訪れ、明るい笑い声を聞いた。

 それが、主が仲間と呼ぶ人々のものであれば、景麒は、まったく、驚かなかっただろう。だが‥‥‥。

「駄目ですよ。そんなことじゃ、また、鈴さまに叱られますわ」

「‥‥‥春‥‥‥勘弁してくれ」

 その声は、景麒が、まったく、知らない声だった。

--------誰だ?

 奇妙な、焦りにも似た感情が、足下からはい上がるのを景麒は感じた。

 それは、嫌な予感、と、良く似ていた。

「主上!」

 景麒は、礼儀も忘れて、唐突に、扉を、開けた。

 途端、部屋の中に居た主と娘は、きょとん、と、した顔で‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

 そういえば、あの時は、散々に笑われたな、と、景麒は苦笑した。

 いま思えば、あの時の予感は、当たっていたとも、いえるが。

 けれど、あの時は、笑い話にされてしまった。

『‥‥‥台輔は、陽子さまのことが、本当に、お好きなのですねぇ』

 明るく笑いながら、とんでもないことを言われて、景麒は、あの時、とてもとても困った。女官のはずなのに、物言いが、物腰が、景麒の知る女官の範疇には治まらなかった。

 ひどく大らかで剛胆な印象を受けた。

 物怖じしない、と、言うべきかもしれない。

 どちらにせよ、ひどく、変わった人で。

 景麒は、内心、困惑して、厄介なことになったな、と、思った。

 ただでさえ主の周りには、変わった人物が多い。

 これ以上、変わった人物が増えて、主に影響を与えてはたまらない、と。

 それと同時に、ひやり、ともした。

 鈴と祥瓊たちならば、良いのだ。

 彼女たちは、主が王であることを知らずに、近付いた者たちだ。

 王であると知った後の態度も、見ている。

 最初は戸惑ったが、いまは、主の得難い貴重な仲間であり臣下であると、景麒も思っている。

 だが、彼女、春は。

 主が王であると知っていた。

 勿論、最初から。

 そして、あまりにも、急速に、主の心を掴んでいった。

『陽子さま、今日は、どんな髪型に致します?』

 優雅に微笑みながら、当たり前のように。

 だから、景麒は‥‥‥‥‥‥。

 彼女が‥‥‥。

 彼女が‥‥‥。

 彼女が‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥景麒、そこに居るんだろう?」

 景麒の唯一の主に、必要とされて、気安く接して貰っていた彼女が。

「‥‥‥‥‥‥ここに、来てくれないか?」

 いつも、主から、笑顔を引き出していた、彼女が。

--------嫌いだった。

 そして、いまは、主を泣かせる彼女が、憎かった。裏切りの代償として死んだことが当然だと思うほどに。

 だって、当然だろう。

 彼女は、景麒がどうしてもできないことを軽々とこなし。

 なのに、その全てを捨てて。

 景麒の大切な唯一の主を裏切ったのだから。

 

 

 

 

 

                               

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