それは、いまも、胸を苛む、思い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 れ形

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな部屋で、一人、カカシは、封じを施された巻物を見ていた。

 中になにが書かれているのかカカシは知らない。

 ずっと、ずっと、大切に保管していながら、一度たりとて、開けて見たことは無かった。見たくなかった訳ではない。知りたくなかった訳でもない。

 だが、知ることは‥‥‥辛かった。

 大切な大切な大切な誰よりも大切な人がくれた物であるからなおさらに。

 暴いて。

 留めを刺されるのが。

 恐ろしかった。

 けれど、もう、この巻物を受け取ってから、随分と時間が経った。

 受け取った時は、中を見たら、なにをしでかすか分からなかったが、いまなら、どんな内容であっても‥‥‥とりあえずは対処できる自信もついた。

 だから、封じを解くことにした。

 カカシは生きている。

 いつまでも過去に留まることはできないのだから。

 それが、良く、分かったから。

 過去に決着を着けることにしたのである。

 けれど、そう決めても、迷いは無くならず。

 カカシは‥‥‥随分と長い間、巻物と見つめ合っていた。

 いや、呼ぶ声を、無視していると言うべきか。

 カカシには聞こえる。

 素気ない巻物から。

 大切な大切な愛しい人の声が。

『‥‥‥カカシさん』

 聞こえる。

 カカシは、呼ぶ声に背を押されるようにして、巻物を紐解いた。

 巻物はいともたやすく開いた。

 そして、ぼふん、と、煙が沸き上がる。

「‥‥‥カカシさん」

 煙が消えた後には、黒髪に黒目、真横に引かれた一文字傷を持つ、愛しい人が立っていた。憂いを含んだ眼差しで、カカシを見ている。

 だが、それは、本物じゃない。

 けれど、ただの、偽物でもない。

 本物ではないけれど、それは、カカシがいまも心の底から愛している海野イルカの一部であることは確かだった。

「‥‥‥イルカ先生‥‥‥」

 あの頃のままのイルカに、カカシはふらふらと近寄った。

 そうして、戸惑うイルカをきつく抱き締める。

「‥‥‥随分と‥‥‥老けましたね」

 暖かく優しい人が紡ぐ言葉を聞きながら、カカシは、ゆったりと笑う。

「‥‥‥年、取りましたからね。当然ですよ。でも、イルカ先生は、ぴちぴちのまんまですね〜」

「‥‥‥」

「‥‥‥ま、当然ですけどね」

 笑いながら、カカシは、イルカの目を覗き込む。

 顔は笑っている。

 だが、まったく笑っていない目で。

「‥‥‥怒ってます?」

 そんなカカシに気が付いたのか、分かっていたのか、イルカは、恐る恐ると訊ねる。

「当然でしょ」

「‥‥‥」

「特別な日だから、どうしても、先生に早く逢いたくて必死に任務終わらせて帰って来たのに、先生、里に居ないんだもん。しかもこんな巻物一つ残して‥‥‥俺を置いて行くなんて、酷いにも程がありますよ。うっかり狂ってしまいそうでしたよ」

 くふふ、と、笑いながら、カカシは、イルカの頬を撫でる。

 頬は暖かく抱き締める体も暖かい。

 けれど、これは、イルカの一部ではあるが、本物ではない。

 ただ、伝えるべき言葉を伝えたら消えてしまう幻だ。

 だから‥‥‥開けられなかった。

 だから‥‥‥ずっと見なかった。

 もったいなくて。

 怖くて。

「‥‥‥ごめんなさい」

「いいんですよ。‥‥‥もう、いいんです。怒ってはいますけど、赦してますよ」

「‥‥‥ごめんなさい」

「謝らないで。あなたは間違ったことはしていない。‥‥‥そうでしょう?」

 長い間、カカシは、そう思うことができなかった。

 カカシの居ない間に、危険だと分かっていて飛び出した最愛の人を、赦してあげることができなかった。けれど、だが、幼い子供たちが危険に晒されていると分かっていて飛び出さないイルカは‥‥‥もはや、イルカではないのだ。

 長い長い時間を掛けて。

 カカシはやっと、そう思えるようになった。  

「‥‥‥」

「大丈夫だから。俺はね、もう、大丈夫なんですよ。ちゃんと支えて止める人が居るんです。だからね、謝らなくていいんです」

 イルカは顔を上げた。

 その泣きそうな傷ついた眼差しをカカシは心地よく受け止める。

 ひどい人だ。

 置いて行ったのに。

 分かっていただろうに。

 イルカが消えれば自分が狂うことなど知っていただろうに。

 それでも。

 飛び出したくせに。

 そんな哀しそうな顔をするなら。

 どうして。

 手を離そうとしたのか。

 ばかな人だ。

「‥‥‥良かった、です」

 しかも、嘘吐きで、お人好し。

 きっと、イルカは、カカシの幸福を祈っている。

 身の内側を焼き尽くそうとする黒い炎を抱え込んで。

 泣くまいと。

 我慢する。

「‥‥‥本当に‥‥‥良かった‥‥‥」

 その痛々しい笑顔に満足しながら、カカシは、イルカの耳に舌を這わせた。

 そうして、訊ねる。

 終わりの言葉を。

 予測はできても。

 確信することができなかった言葉をねだる。

「‥‥‥ねえ、イルカ先生、あなたは、俺に、どんな言葉を残してくれたの?」

「‥‥‥」

 イルカは、真っ黒な眼差しで、カカシを見つめた。

 そうして、にっこりと、笑った。

「おかえりなさい」

「‥‥‥」

「ありがとう」

「‥‥‥」

「あなたに出会えて俺は本当に幸せでした」

 満面の笑みで語られた言葉に、カカシは、射抜かれた。

 取り返しが付かないほどに打ちのめされる。

「‥‥‥ああ、あんた、本当に、ひどいよ」

 言葉を伝えたイルカはゆっくりと消えていく。

 優しい穏やかな眼差しをカカシに向けて。

 笑みを浮かべながら。

「‥‥‥こんなのあの時見たら‥‥‥俺‥‥‥本当に‥‥‥狂っただろうなぁ」

 消えゆく幻が惜しくて惜しくて惜しくてカカシは手を伸ばす。

 だが、もう、なにも掴めない。

「‥‥‥ひどいなぁ」

 静かな静かな独りの部屋で、カカシは、俯いた。

 そんなカカシに近付く気配があった。

 躊躇いもなく近付く暖かい気配が。

「‥‥‥本当に‥‥‥ひどいよ‥‥‥」

 嘆くカカシに寄り添い、暖かい手が、伸ばされる。

 その暖かさに、カカシは、泣いた。

 情けないと思うこともできずに。

 泣きながら、暖かい体を抱き締める。

「‥‥‥ごめんなさい」

 声は、震えて、小さくて、でも、はっきりと聞こえた。

「‥‥‥ごめんなさい」

 カカシは、笑った。

「‥‥‥怒ってますけど、赦してますよ」

「‥‥‥」

「‥‥‥だって、あなたは‥‥‥生きて帰ってくれた。だったら、もう、いいんです。なにもかもどうでも良いんです」

「‥‥‥ごめんなさい」

 ずっとずっと昔。

 喪い掛けて狂いそうになったけれど。

 喪わずに済んだ大切な人を、カカシは、抱き締めた。

 そうして‥‥‥もしもを考えて、背筋を震わせる。

 もしもなんてことはない。

 常にあるのは現実だけだ。

 けれど、もしも、という恐れは消えない。

 恐らくは、これからも、ずっと、ずっと‥‥‥。

 不安と恐れは体を心ごとぎりぎり締め上げるだろう。

 けれど、それでも‥‥‥。

「‥‥‥ごめんなさい」

 いまは、信じられるから。

 昔、昔は、信じられなくて、なにをしでかすか分からなかったけれど。

 いや、絶対に、帰って来た愛しい人を囚えて隠して繋いでしまっただろうと、確信できるけど。だからこそ、こんなに長い間、あの、巻物を見ることができなかったのだけど‥‥‥。

 いまは、大丈夫。

 信じられる。

 この人は。

 もう。

 どこにも行かない。

 骨の髄まで、カカシが、教えたから。

 分かってくれた。

 イルカが消えればカカシは災厄そのものになる、と。

 だから、絶対に、独り残してはいけないのだと。

「‥‥‥ねえ、イルカ、謝らないで。俺ねぇ、いま、すっごく、幸せなんですよ。ぴちぴちの可愛いあなたの泣きそうな顔が見れたし、可愛い告白も聞けたし、すごくすごく幸せなんですよ。ふふ、それにね、俺に別の人が居るのかと思って、嫉妬するイルカが可愛くて‥‥‥たまんなかった。あのまま捕まえて、そんなことあるわけないって教えてあげたかったよ」

「‥‥‥」

「こんなにいやらしい人になりましたよって、目の前でいちゃいちゃしてあげれば良かったかな」

「‥‥‥」

 腕の中で、もぞもぞともがく可愛い人を、さらにきつく抱き締めて、カカシはうっとりと囁いた。

 今日という日に感謝を込めて。

「‥‥‥今年も、何事もなく、今日が迎えられて嬉しいです」

 けれど、それは、決して、単なる幸運ではない。

 この素晴らしくめでたい日が近付くにつれ、過去の事を思い出して、自分が神経質になることをカカシは分かっていた。そして、それを知っているから、その日は、なにがあっても、優しい残酷な人が、側にいてくれることも。

「‥‥‥愛してる。愛してるよ、イルカ。あんたが、今日、生まれてくれたと思うと‥‥‥嬉しくてたまんない。ありがとね。今日、生まれてくれて」

 ぴたりと動きを止めて真っ赤になって固まっている人を、カカシは、ひょいっ、と、抱え上げた。え、あれ、と、驚いて逃げようとするが逃してはやらない。

 だって、もう、駄目だ。

 昔、昔のように、囚えて捕まえて閉じ込めてしまうような愚かなことはしないが、お仕置きは必要だ。

 もう、ずっと、ずっと、昔のことだけど。

 赦してはいるけれど、まだ、怒っているから。

 宥めて貰わないと、いけない。

「‥‥‥か、かかし‥‥‥さん?」

 動揺していつもよりちょっと舌足らずな声で名を呼ぶ人に、カカシは、にっこりと笑い返す。

「酷い人だね、イルカは。あんな言葉を残して俺を独りにするつもりだったんだ?」

「‥‥‥」

 ふかふか布団の上で、ぐ、と、言葉を詰まらせる人は、本当に、ひどい。

 ひどくて残酷で優しくて愛しくて。

「俺、すっごく、傷ついた。もう、ずたずた。だから、慰めて。優しくして。好き放題させて。あんたのすべてで償って。反論は許さないよ。駄目だって言ったら、あんた、浚うからね」

「‥‥‥」

 言うだけ言って、反論させないように、口を口づけで塞げば、腕が、背中に回った。暖かく抱き締め返される。そして、掠れた声が、留めを刺す。

「‥‥‥今日は‥‥‥あなたの好きにしていいです。あ‥‥‥明日も‥‥‥休みにして貰って‥‥‥ますから‥‥‥ひゃっ」

 カカシは、頭のどこかで、なにかが、ぶちりと切れた音を聞いた。

 そしてさらにどこか遠くで。

 今日はイルカの誕生日なのに。

 祝ってあげようと準備したのになぁ。

 などと、思った。

 けれど、最早、用意したいろいろは、脳裏に留まってくれない。

 カカシの中から飛び出した凶暴な獣は、尻尾を振り振りしながら、極上の唯一のご馳走に食らいついた。

 ただし、一言だけ、言うのは、忘れない。

「お誕生日、おめでとう。はたけイルカさん」

 そして、願うのも、忘れない。

 ずっと。

 ずっと。

 ずうっと先まで。

 この言葉をこの日一番に言うのは。

 他にはなにも要らないから。

 他にはなにも望まないから。

 どんなことでもするから。

 どんな姿になってもここに帰ってくるから。

 だから、

 だから、

 ずっと、

 ずっと、

 ずっと、

 自分であるように、と。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 END 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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