1

 

 

 イルカは、追い詰められていた。

 月の明るい夜、木々の合間に身を顰めながら、戦うことは勿論、逃げることもできずに、追い詰められていた。

 お使いのようなCランクが、どうして、こんな事態に陥ってしまったのか、イルカには、まったく、分からなかった。

 イルカを孫娘のように可愛がってくれる火影から、懇意にしている火の国の重臣に、いつもの季節の挨拶のような書簡を届けるだけの任務だったのに。

 何一つ危険はない。

 ただ、相手が相手だからランクが上がってしまった、という、任務だったのに。

 なのに。

(‥‥‥どうしたら)

 イルカは、息を顰めて、必死に周囲の気配を探る。

 だが、イルカには、なにも分からなかった。

 それも当然だろう。

 いま、イルカを付け狙っているのは、恐らくは、上忍なのだから。だが、どうして、そんな相手に、執拗に、付け狙われているのか。

 イルカには検討も付かなかった。

(‥‥‥どうしたら)

 迷い惑うイルカは、ふと、奇妙な匂いを嗅いだ。

 どうしてこんな所で、と、戸惑うような匂いだった。

 そして、もしかして、と、期待させるような香りだった。

 だが。

 だが。

「‥‥‥イルカ?こんな所でなにやってるんだ?」

 期待通りの声に、イルカは、喜べなかった。

 イルカは、知っていた。

 知っていたのだ。

「‥‥‥イルカ?」

 唐突に現れた体格の良い頼りになるはずの上忍が。

 偽物だと言うことを。

 だから、イルカは、偽物を睨み付けた。そして、偽物のアスマ先生が、苛立たしげに顔を歪ませるのを見た。その瞬間、世界は、暗転した。

 

 

     ※

 

 

 真っ黒な世界でイルカは目を覚ました。

 そして、周囲を、目を閉じたまま、探る。

 上忍にはかなわないにしてもイルカも中忍だ。

 平和惚けしていると言われても、それでも、中忍を名乗るだけの力量はあった。

 だが、それら一切が、無駄だった。

 そこは、なにもかもが閉ざされていた。

 イルカは、捕らえられていた。

 自力では到底脱出できない場所で、チャクラを封じられ、手足を縛られて、猿ぐつわをされ、その上、衣服を剥がれていた。そこに居るのは、忍ではなく、無力な、ただの、裸の、女だった。

 暗闇の中、イルカは、最悪の事態を想定する。

 里に救援の知らせを送ることもできなかったイルカの未来は、限りなく、暗い。

 死を想定するなど、生温い。

(‥‥‥いまのうちに)

 自害してしまおうか、と、イルカは考えた。

 そして、それは、とてもよい考えのような気がした。

 イルカは、疲れていた。

 日々、明るく、なにごともないように振る舞っていたが、実は、とても、とても、疲れていたのだ。守らなくてはいけない子供は、イルカなどより遥かに頼りになる師を見付けて巣立ち、もう、案ずる必要はない。それは、とても、良いことだ。だが、もうあの子供には、私は、必要ないんだ、と、思うと、誇らしいのに、胸の奧に大きな穴が空いているような気になってしまうのだ。

 それに、もう一つ、イルカには、どうにもできない悩みがあった。手が届くはずのない人を、好きになってしまったのだ。しかもその人とは、庇護しつづけた子供を巡って、対立した過去があった。

 馬鹿過ぎる、と、イルカは自分でもそう思う。

 だが、あまりにも幼くて可愛くてお馬鹿な子供を。

 苦境に放り込むことは、危険に晒すことは、イルカにはどうしても納得ができなかったのだ。たとえば、それが、必要なことだと分かっていても。

 ‥‥‥すでに、その件については、イルカは謝罪している。

 だが、対立した過去は消えては無くならず、時折、その人から、強い視線を感じることがあった。きっと、目障りな奴だと思われているのだろう。当然だ。その場で、殺されても、文句が言えないことをイルカはしでかしたのだから。

 けれど、そう分かっていても‥‥‥辛かった。

 毎日毎日がとても辛かった。だから、もう、ここで、終わるのは、とても、楽な気がした。

『‥‥‥辛いなら辛いって言え。おまえが潰れたら、ガキどもが泣くぞ』

 優しい人の声が、脳裏に、響く。

 頑張らなくては、とは、思う。

 諦めては駄目だ、とも。

 だが、イルカは、中忍で、自らの力量を良く知っていた。

 ここにイルカを囚えた相手に、イルカは、かなわない。

 どう足掻いても、と、イルカには、ようく、分かっていた。

 ならば、取るべき道は決まっていた。

--------死ぬか。

--------助けを期待して耐えるか。

 耐えるべきなのだとイルカには分かっていた。

 それが忍というものだ。

 だが、イルカには、秘密があった。

--------処女なのだ。

 本来なら、中忍になったくのいちに、処女は存在しない。

 けれど、イルカは、特例として、見逃されていた。

 理由は簡単。イルカを孫娘のように可愛がっている三代目が、強固に反対したからだ。

 特別扱いは嫌だとイルカは訴えたが、三代目は頑として譲らず、また、三代目に睨まれてまでイルカのくのいちの儀式に付き合う男は居なかった。よって、イルカは、処女だった。だから、敵に捕らえられたこういう事態に対応する術を持たなかった。

(‥‥‥どうしたら)

 イルカが迷い惑っていると、また、香りがした。あの、香り、だった。

人によっては嫌う人も居るが、イルカは、その香りが好きだった。懐かしい記憶を思い出してしまって、無条件に安堵してしまうのだ。

「‥‥‥騙されてしまえば楽だったのに」

 漂う香りと共に声がした。

「‥‥‥なんで分かったのさ?」

 なんのことかイルカには良く分からなかった。

 だが、不意に、目の前が明るくなって、間近に居る人の顔を見て、意味を知った。

「‥‥‥なんで、俺が、偽物だと分かった?」

 イルカの目の前には、アスマ先生が居た。

 いつものように煙草をくわえていた。

 だが‥‥‥そのいつもの煙草がすべてを語っていた。

 それは、アスマ先生が、以前、吸っていた煙草だった。

 任務に発つ直前、イルカは、アスマ本人から、聞いている。

 恋人がうるさいから煙草の銘柄を変えることにした、と。

 そうして、残り最後の一本を吸って、嬉しそうな困ったような顔をしていたことも知っている。めんどくせえ、と、彼は言った。だが、ようやく付き合いにこぎつけた恋人との約束を破るような人ではなかった。

 だから、いま、目の前に居るアスマは。

 以前と同じ、イルカの父親が吸っていたのと同じ煙草を吸っている男は。

 偽物だった。

 だが、そんなことを親切に教えてやる必要はない。

 イルカは、押し黙り、偽物を睨み付ける。

 偽物は、くしゃり、と、顔を歪めた。

 そして、歪んだ顔のまま、嗤った。

「気の強い女は嫌いじゃないよ。でも、どこまで、それが、通じるかな。あんた、処女でしょ。さっき、確かめさせて貰ったよ。まさか、その年で処女のくのいちが居るとはね」

「‥‥‥‥‥‥」

「俺好みに仕込んであげるよ。あんたは、これから、俺の女だ」

 篭絡して草にでもするつもりらしい。

 しかし、それにしても、馬鹿な男だ、と、イルカは思った。

 同時に助かった、と、思った。

 あの人の姿をされていたら。

 きっと、惑ったに違いないから。

「‥‥‥まずは、印を付けてあげる」

 イルカは、偽物のアスマから目を逸らさなかった。

 そして、自らの胸の中心が、皮膚が、じゅっ、と、焦げる音を聞いた。

 

 

     2

 

 

 カカシは、罠にはまっていた。

 いつのまにか、どうしても抜け出せない罠に捕らえられて、身動き一つできないようにされていた。そして、幼い頃から培ったはずの、忍としての心得すべてを、叩き壊すような愚かな行動に出てしまうまで、追い詰められていた。

 罠の名は、うみのイルカ。

 ただの、中忍だ。顔に派手な傷跡がある以外は、取り立てて目立つ所のない、凡庸で平凡なくのいちだ。敢えて挙げるならば、胸の大きさが、カカシ好みと言えたかもしれない。

 だが、それだけだった。それだけだったのに。

 どうしてこんなことになっているのだろうか、と、カカシは、思う。そして、思いながら、囚えた獲物を見下ろしていた。

--------任務の帰り道、イルカを見付けたのは偶然だった。

 珍しい、と、カカシは思った。うみのイルカは三代目の庇護を受けている、という話しは有名だ。滅多に任務に出掛けることを許されていないことも、有名だ。

 なのに、どうして、こんな所に居るのだろうか。そんなことを思いつつ、カカシは、走り続けるイルカの後を追った。どうしてそんなことをするのか自覚せぬままに、追った。

--------イルカは思っていたより勘が良かった。

 ある一定に近付くと、イルカは、走る速度を上げた。

 救援の式を何気なく飛ばそうとした。

 カカシから逃げようとした。

 カカシを嫌がっているように思えた。

--------追いかけているのが誰かイルカが分かっているはずはないと、カカシは分かっていた。だが、逃げようとしている、と、思ったら、もう、駄目だった。

 彼女には罪はない。

 そう分かっているのに、許せなかった。

 だから、捕らえようとした。

 その時、昔なじみの男の姿を借りたのは、油断させる為だった。カカシは、昔なじみの男とイルカが仲良く話しをしている姿を良く見掛けていた。三代目が、二人をくっつけようとしていたことも知っていた。

 イルカが。

 アスマの姿を見掛けると。

 花が咲くように笑うのも知っていた。

 だから。

 だから。

 だから。

 アスマの姿をして、捕らえて、犯して、やろうと思った。

 滅茶苦茶にしてやろうと。

--------どうして。

 なぜ、そんなことを思ったのか、カカシには、良く、分からない。ただ、苛立ち、ただ、許せなくて、ただ、苦しくて、逃れられなかった。犯してしまえば、それは、終わる気がした。けれど、イルカは、カカシの変化をいともたやすく見破った。まるで、偽物には用はない、と、ばかりに、あっけなく。睨み付ける顔は、本物のアスマに向けている笑顔とはあまりにも違った。それが、それが、それが、腹立たしくて、悔しくて、憎かった。

 だから、掴まえた。

 だから、囚えた。

 だから、縛り上げた。

 けれど、どうして、こんなに憎いのか、カカシには、良く分からない。

 ただの中忍だ。

 悪い人間ではないと知っている。

 里の者に忌み嫌われているあの金色小僧を導いて守っていた健やかに強い人だ。

 裏表なく人に優しくできる希有な人だ。自らの身を盾にすることを厭わない、馬鹿で、だが、潔い人だ。

 そう分かっているのに。

 どうして、こんなに憎いのか。

 分からない。

 分からないままに、カカシは、イルカの衣服をはぎ取った。

 そして、日に焼けていない滑らかな肌に、傷はあっても、他の男の痕がないことに、安堵した。さらには、むっちりとした太股を掴んで開けて、もしかして、と、思っていた場所に、指を差し入れて、背筋を震わせた。

 イルカは、処女だった。

 女の匂いに乏しいことは知っていたから、もしかしたら、と、疑ってはいたが、本当に、処女だった。彼女は、まだ、誰も、その身に受け入れたことがないのだ。

 そのことに狂喜して、カカシは、ようやく、気が付いた。

 なにもかもに気が付いた。

 だが、もう、なにもかもが遅かった。

 カカシは、知っているのだ。

 アスマが、ようやく、長年思い続けた女と付き合うことになったということを。酒の席で、良い女なんだ、と、のろけた昔馴染みの顔を思い出して、カカシは、決めた。なにもかもを決めた。

 手に入れる、と。

 この場で、イルカを、自分のものにする、と。

 手始めに、カカシは、手に持っていた煙草を、イルカの胸の中心に押し付けた。

 アスマの姿で、イルカに痛みを与えた。

 そして、変化を解いて、嗤った。

 いま、側に居るのが誰か思い知って、イルカは、目を見張った。怯えた目で、カカシを見上げて、逃げようと、体をよじった。だが、カカシは、当然、逃さなかった。逃すわけがなかった。

「あんたは俺のモノだよ。諦めな」

 カカシは、足掻く細い足首を掴んで、開いた。

 そして、慎ましく閉じた場所を、指で、押し広げた。

 清楚なピンク色をした、そこは、まったく濡れていなかった。カカシを拒んでいた。

 それが腹立たしく、哀しく、悔しい。

 だが、もう、関係なかった。

「俺にだけ反応するいやらしい体にしてやるよ」

 カカシは、限界まで突起した赤黒いモノを取り出して、イルカに見せつけた。そして、恐怖に震えるそこに、ゆっくりと、挿入した。

 見せつけるように。

 分からせるように。

 誰が、犯しているのか、教える為に。

 ゆっくりと。

「んーんーんーっっっっ!」

 イルカは、なにかを叫んでいた。

 暴れていた。

 だが、カカシは、当然、やめなかった。

 そして、暴れてのたうつイルカの胸の中心に付けられた、焼けた肌の痕を、丹念に舐め上げながら、イルカの処女の証を、力任せに、突き破った。

 

 

     3

 

 

 夕暮れ時、外と里を隔てる大門で、うずまきナルトは立っていた。外を見つめ続けて待っていた。 

 ナルトが待っているのは、先生。

 大切で大事で一番のイルカ先生だった。

--------海野イルカが行方不明。

 その一報をナルトが聞いたのは、四日前、偶然だった。

 たまたま火影に会いに行って、たまたま聞いたのだ。

 途端、ナルトは、世界が崩れる音を聞いた。

 身の内で、獣が蠢く気配を色濃く感じた。

 アカデミーを卒業し、すでに、二年も経っていた。

 さまざまな仲間に出会い、師に恵まれ、ナルトは、もはや、昔のような孤独感を味わうことはない。強くなって、大丈夫になったのだと、周囲の者も、ナルト自身もそう思っていた。だが、ナルトは、世界の崩れる音を聞きながら、思い知った。

 世界は広がったかのように見えた。

 だが、結局は、その基盤となっているのは、初めて受け入れてくれたイルカの存在なのだと。イルカが居なければ、世界は、意味が無いのだと。

 だから‥‥‥助けに行かなくてはならなかった。

 たくさん助けて貰った恩返しをしたかった。

 けれど、不安定なナルトが外に出ることは認められなかった。だから、ナルトは‥‥‥毎日、毎日、門の脇から、外を見続けることしかできなかった。だが、それも、今日で終わりのはずだった。

--------海野イルカを保護。安全を確保してから帰還する。

 その誰もが待ち詫びていた報告をもたらしたのは、即座に派遣された救援部隊ではなくて、はたけカカシだった。

 イルカと火影の次に、ナルトが信頼している師だった。

 ナルトは、その一報を聞いた瞬間、思わず、泣いてしまった。安堵の余り、幼い子供のように。

 カカシ先生なら大丈夫。

 そう信じて、ナルトのチャクラは安定した。

 暴走もせず、待っていることができた。

 本当なら、いますぐに、飛び出して、迎えに行きたいけれど、我慢することができた。けれど、もう、それも、まもなく、終わる。

 ナルトは、里の外を見つめる。

 今日、まもなく、帰って来る人たちを待っている。

 ナルトだけではなくて、イルカを案じて待っている人たちみんなが、いまかいまかと待っていた。

--------敵忍と遭遇。右足に負傷。その他の外傷はなし。

 そう聞いていても、分かっていても、誰もが心配なのだ。

 早く無事な姿を見たくて仕方ないのだ。地平線の向こうに、その姿が見える前、ナルトは、顔を輝かせた。そして、走り出した。

「あ、おい‥‥‥」

「イルカ先生だってばよーっっっっ!」

 許可無く門をくぐり抜けることは許されない。

 だが、毎日毎日毎日暇があれば通い詰めて外を見ていたナルトを、門番は無理に止めなかった。それよりも先に、門番には、すべきことがあった。

 いまかいまかとわきわきと待ち続けている火影に知らせることである。

--------海野イルカ帰還。

 その一報は、ただの中忍が帰還しただけだというのに、あっというまに知らせを待っていた者たちに広がり、誰もがほっと安堵の吐息を吐き出した。

 

 

 

 そして、いち早く、イルカに会うことのできたナルトは‥‥‥。

「やっぱり、おまえが一番か」

 苦笑する師に抱えられたイルカを見付けて、あわあわした。

 イルカは、意識が無かった。ぐったりとすべてをカカシに預けて、抱き上げられて運ばれていた。

「いいいいいい、イルカ先生ーっっっっ!大丈夫かってばよーっっっ!」

 ナルトは、叫んだ。

 しかし、

「しぃ、折角寝ているのに、起こしたら可哀想でしょ」

 カカシに言われて、ナルトは口を両手で押さえた。

「イルカ先生なら大丈夫。痛み止めが良く効いているだけだから」

「‥‥‥‥‥‥大丈夫なのかってばよ‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥どうせ、あとで分かることだからおまえには言うけど、足の健が切られている。日常生活は問題ないだろうけど、忍としては、復帰するのは難しいかもしれない」

「‥‥‥‥‥‥」

「でも、そんなこと、おまえは気にしないだろ?生きててくれれば良いじゃないか。それに‥‥‥忍じゃなくなれば、危険なことに関わらなくて済むしね」

 穏やかに諭す師の言葉を聞きながら、ナルトは、必死に、わめきたくなる気持ちを押さえ付ける。わめくのは子供のすることだ。辛いのは自分じゃない。哀しいのも自分じゃない。

 本当に辛くて哀しいのはイルカ先生なのだから。

 ぐっ、と、泣くのをナルトは堪えた。

 カカシ先生の言うとおりなのだ。

 生きていてくれればそれで良いのだ。

 それに‥‥‥哀しいし悔しいしどうしてと思うが。

(‥‥‥これで‥‥‥)

 イルカ先生はどこにも行かない。

 そう思うと、確かに、ほっとした。

 けれど、イルカ先生をそんな目に合わせた奴は絶対に見逃さないが。

「‥‥‥カカシ先生、イルカ先生を傷つけた奴は‥‥‥どんな奴だってばよ」

 必ず見つけ出して懲らしめてやる。

 固い決意を込めてナルトは問い掛けた。

 だが、師は、苦笑しつつ、ナルトの頭を撫でた。

「‥‥‥そいつが、イルカ先生を傷つけることはもう二度と無いよ」

「‥‥‥‥‥‥」

 ナルトは師の顔を見上げた。

「嘘じゃないってばよ?」

「ああ、嘘じゃない。‥‥‥あとで、イルカ先生に聞いてもいいよ。ただ、良い思い出じゃないだろうから‥‥‥できれば聞かない方がいいけど」

「‥‥‥じゃあ、聞かないってばよ。イルカ先生にやな思いはさせたくないってば」

「‥‥‥おまえは、本当に、良い奴だな」

 ぽんぽんと頭を叩く手を感じながら、ナルトはイルカを見つめる。イルカは良く寝ていた。

 だが‥‥‥ふっ‥‥‥と、目を覚ました。

 そして、ナルトを見つめて、ふわりと笑った。

「‥‥‥なる‥‥‥と‥‥‥」

 どきどきするようないつもと少し違うふわふわした笑い方だった。

「イルカ先生?」

「あれ、起きちゃったの?」

 こくん、と、うなづいて、イルカは、また、笑った。

 やはりいつもと少し違う、子供のような笑い方だった。

「‥‥‥か‥‥‥かし‥‥‥さん‥‥‥」

「ふふ、寝惚けているね。可愛いな」

 ふわふわ笑ったイルカは、カカシの首に腕を伸ばして、しがみついた。そして、すりすり、と、子猫がすりよるようにカカシになついた。それは‥‥‥なんだかとてもひどく衝撃的な光景だった。

「‥‥‥‥‥‥」

 ナルトは、立ちすくんだ。

 そして、どうしたら良いのか分からず、ただ、二人を見上げる。

「‥‥‥イルカ先生‥‥‥変だってばよ」

「変じゃなーいよ。おまえには、最初に言っておくけど、イルカ先生はね、俺のことが大好きなんだって。驚いたけど、俺も、嬉しかったよ。俺も、イルカ先生が大好きだからね。だから、俺たち、付き合うことにしたんだよ」

「‥‥‥‥‥‥」

「イルカ先生の怪我は本当に残念だけど、お互いの気持ちに気付けて、ほんと、ラッキーだったよ」

「‥‥‥‥‥‥」

 ナルトは、呆然と、満面の笑顔を浮かべるカカシを見上げた。そして、その腕の中で、また、寝入ってしまったイルカを、ひどく心細い思いをしながら見上げた。だが‥‥‥。

「そんな心配そうな顔はするなって。俺たちが付き合ったからって、おまえを見捨てるようなイルカ先生じゃないだろうが。イルカ先生はな、俺と結婚したら、おまえを養子にしたいって言ってたぞ?」

「‥‥‥え?」

「家族になりたいんだってさ、おまえと」

「‥‥‥え?え?‥‥‥か、かぞく?」

 予想外のとんでもない言葉にナルトはまた惚けた。

 そして、すたすたと歩き始めたカカシの後を、あわあわしつつ追いかけながら、言われたことを何度も繰り返して、繰り返して、噛みしめた。

「ま、そうなるのはもう少し後のことだけど、おまえも、いろいろと考えることがあるだろうから、よーく考えておきなさいね」

 そんなのおっけーに決まっている、と、思いながら、ナルトは、カカシの後をただひたすらに追いかけた。そして‥‥‥ふと、気が付いた。

「‥‥‥‥‥‥」

 眠ったとばかり思っていたイルカが、カカシの肩越しにナルトを見ていた。硝子玉のような目で。

「‥‥‥‥‥‥イルカ先生?」

 だが、イルカは、すぐに、笑みを浮かべた。

 ふわふわした嬉しそうな幸せそうな笑みだった。

 ナルトはほっとした。

 とてもとてもほっとした。

 どうしてそんなに安堵したのか分からないままに、安堵して、弾むような足取りで里に向かい、大門の所で待ちかまえている人たちを見付けて、両手をぶんぶん振った。

「イルカ先生が帰って来たってばよーっっっ!カカシ先生とらぶらぶだってばよーっっっっっ!」

 ナルトの爆弾発言に、待っていた人々は大騒ぎを始めた。

 特に、イルカを孫娘のように可愛がっている三代目は。

「んで、俺は、イルカ先生の家族になるんだってばよーっっっっっ!」

 だが、三代目は、ナルトのその言葉に、んぐり、と、カカシを罵る言葉を呑み込んだ。しかし、やはり、我慢ならなかったのか、イルカを抱えるカカシに向かって、ぎらぎらとした目を向ける。

 けれど、カカシは、さまざまな人の視線を、いつもの飄々とした態度でさらりと受け流して、地の底から響くような三代目の声に答えながら、木の葉の大門をくぐり抜けた。

「‥‥‥カカシ、イルカを不幸にしたら‥‥‥許さんぞ」

「分かってますって。ずっと、ずーっと、大切に大事にします。誰に誓っても構いませんよ。俺は、なにがあっても、イルカ先生を手放しませんから」

 とろけるような笑顔で答えた後、カカシは、イルカをぎゅっと抱き締めた。

 大切な大切な宝物を抱え込むように。あるいは閉じ込めるように。 

 その強い締め付けを、イルカは、あらがうことなく、受け入れた。

 そして、硝子玉のような目をほんの少しだけ揺らして、二人だけしか知らない、胸の中心の、醜く焼けただれた痕を、確かめるかのように、ぎゅっと、胸の中心で、服を握り締めた。

 

      

 

 

                             

 

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