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「‥‥‥いきなり、泣いたりして、ごめんなさい」 目元にハンカチを当てて、黒い服を着た女性は、謝罪した。その前に、麻衣は、暖かな紅茶を置いた。 「どうぞ」 「有り難う。良い香り」 落ち着くわ、と、嬉しそうに微笑む女性の目元は、泣いた証に、ほんのり赤い。 「‥‥‥ほんと、ごめんなさいね。フランスの写真を見たら、姉のことを思い出してしまって」 思い出して泣くということは、亡くなったのだろうか、と、麻衣は思った。 フランスが好きな人だったのだろうか、とも。 だが、そんなことを不躾に聞くのはどうかと思うので、そうなんですか、と、無難な答えを返した。 「‥‥‥姉は、フランスで死んだの。今年の五月の連休中に」 「え?」 「死因は結局分からなかったの。持病も無かったし、まだ、三十になったばかりで、若かったのに‥‥‥唐突に死んでしまったの」 あ、やばい、と、麻衣は慌てた。 相談に入ってしまっている。 メモを取らないと、怒られる、と。 だが‥‥‥。 「呪われているの。私の家、呪われているの。呪われて、みんな、死んでしまったの。姉が死んでしまったから、私は、一人になってしまったわ」 細くたおやかな女性から発せられる声が、あまりにも重くて、そして、その気持ちがあまりにも良く分かって、身動きが取れなくなった。 ────哀しくて。寂しくて。 ────寂しくて。寂しくて。 ────辛くて。孤独で。 身を切るような切ない孤独を、誰も居ない世界に唯一人で残されてしまったような心細さを思い出して、麻衣は、くらりと惑った。 依頼人の話に、気持ちに、呑まれるのは、いけないことだと分かっているのに。 「‥‥‥私も、きっと、早死にするわ。それは構わないの。でも、せめて、あと一年、いいえ、二年は、どうしても生き延びたいの」 依頼人の声の暗さと強さが、麻衣を、囚えて、離さない。 細くて折れてしまいそうな風情の人なのに、その意志は、気持ちは、酷(ひど)く、怖いほどに、激しかった。目が、爛々と輝く様は、どこか、普通じゃなかった。 「そして、できれば、助けたいの。お腹の子だけは、私の最後の家族だけは、どうしても、助けてあげたいの。だから、ここに来たの。私の家族を奪った呪いを、調べて欲しくて‥‥‥」 お願いします、と、女は、固まる麻衣の前で、深々と頭を下げた。 「助けて下さい。お願いです。私は、構わないから、この子だけは、助けて下さい」 お願いです、と、繰り返してから、女は、顔を上げた。 ────ああ、そうか。 その顔を見て、麻衣は、納得した。 強くて当然、彼女は、まだ、子供を産んでいないけれど、すでに、母親なのだ、と。 「‥‥‥落ち着いて下さい」 納得したら、すうっと呪縛が解けて、麻衣は、穏やかに言葉を返すことが出来た。 「いま、お話しを聞く準備をします。たくさんの質問をします。中には、関係無いと思われる質問もあると思いますが、どれも重要な質問です。焦らず、ゆっくりと、答えて下さい」 「‥‥‥ゆっくりなんて、私には、時間なんて」 「大丈夫です。少なくとも、ここは、安全です。ここは、ちゃんと、そういう風に処理してある場所なんです。それに、綾子、彼女は、巫女です。そんな風にはとても見えないと思いますが、とても優秀な人です」 「‥‥‥え?巫女さん?」 「なにかがあれば、分かります。だから、大丈夫です」 「‥‥‥‥‥‥」 依頼人の目をしっかりと見つめて、麻衣は、微笑んだ。 内心では、なんだか大変な調査になりそう、と、びくびくしつつも、叩き込まれたプロ根性を総動員して、安心させるために、落ち着かせる為に、微笑んだ。
※
麻衣が、必死に、笑顔を取り繕っていることを、綾子は、勿論、看破していた。 (‥‥‥一人前の顔をするようになったわねぇ) そして、感心していた。 唐突に現れた女性は、見た目に反して、尋常ではない。麻衣ほどではないが、綾子も、呑まれそうになった。 (呪い、母親、子供‥‥‥厄介そうね) 勿論、彼女が思い込んでいるだけの可能性はある。最後の肉親の死が齎(もた)らした衝撃が強すぎて、心が壊れてしまった可能性も。だが、なんとなく、それはないな、と、綾子は感じた。たぶん、それは、麻衣も感じているだろう。 ────これは、多分、本物だ、と。 ならば、余計な手間は省くべきだろう。 「麻衣、ナルを呼んで来なさい」 「え?」 聞き取り用紙を取りに腰を浮かせた麻衣が、綾子を、振り返る。なんで、と、顔にでかでかと書いてある。一人前の顔をするようになったが、まだまだだな、と、綾子は思った。 「この人の話は、あんたじゃ駄目よ。ナルを呼びなさい」 「え、でも‥‥‥」 「緊急性が高すぎるし、あんたじゃ、駄目。たまには、大人しく年上の言うことを聞きなさい」 「‥‥‥」 「ほら、行った」 「‥‥‥はーい」 麻衣は、不服そうな顔をした。 けれど、とりあえず、大人しく、所長室に向かった。 「‥‥‥あの?」 「いま、責任者が来ます。あなたのお話しは緊急性が高いので、麻衣、いえ、調査員では、手に余るんです。彼女には、決定権が無いので」 「‥‥‥そうなんですか」 「ええ。すぐ来ますから、お茶でも飲んで、お待ち下さい。彼女の煎れたお茶は、美味しいですよ」 なんでこんな営業紛いの受付紛いのことをやっているのかしらね、と、心中で呟きつつ、綾子は、お篭もり部屋から主(ぬし)が出て来るのを待った。そして、青ざめた顔の麻衣が駆け込めば、即座に、主(ぬし)が出てくることを、確信していた。 なぜなら、麻衣は、気付いていないが、主(ぬし)にとって、彼女は、いろいろな意味で、特別で、大切な存在だと、綾子は知っていたからだった。
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‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ →buck