‥‥‥‥‥‥‥

 

 

 

     

 

 

 六月の初め、渋谷サイキックリサーチは、賑やかだった。春の大型連休の混雑を避けて、五月半ばから長期の旅行に出掛けていた綾子が、お土産と共に訪れていたからだった。

「途中で、まどかと合流して、ロンドンもいろいろと回って来たのよ。はい、これはロンドンのお土産。こっちはフランスのお土産。どっちも日持ちする物だけど、早めに食べてね」

「わー、ありがとうっっっ」

 可愛らしく大きな緑色と赤色の箱を二つも貰って、麻衣は、うきうきしていた。

 綾子のお土産は、まず、外れがない。

 きっととても美味しいだろうと思えば、頬が緩(ゆる)んで仕方ない。

「あと、これは、まどかから」

「え?」

「そのうちこっちに遊びに来てね、とか、言ってたわよ」

「‥‥‥う、行きたいけど、旅費の問題が」

 これまた大きなモスピンクの箱を受け取って、麻衣は、ちょっと、途方に暮れた。海外旅行は安くはなってはいるが、バイト代は相変わらずとても良いが、先々のことを考えると、遊びだけに何十万円も使うことは、麻衣の立場では、なかなか、難しい。

「馬鹿ねぇ。まどかに言えば、その辺りは適当にしてくれるわよ」

「‥‥‥て、適当って」

「大学卒業したら就職しないかって誘われているんでしょう?なら、現地を見学するっていう名目ができるじゃない」

「‥‥‥」

「就職するしないは別としても、一回は、見に行った方がいいと思うわよ。人から聞くだけじゃ分からない所もあるだろうし」

「‥‥‥あー‥‥‥うん。でもさあ、私、今年、大学に入ったばっかりなんだけど。有り難い話しなんだけど‥‥‥こー、気が遠くなるって言うか」

「そう?‥‥‥んー、私の周りだと、大学入る前から、就職先が決まっているのばっかりだったからねぇ。コースが決まっているというか」

「‥‥‥それは大変特殊だと思います」

「まあね。でも、あんたも特殊だと思うわよ?」

「‥‥‥」

「それも、かなりね」

 正論である。

 まさしくその通りである。

 つい数年前までの自分ならば、まったく、考えられない状況である。

 もしも、数年前の自分がそんな話しを聞いたら、世界って広いなぁ、そんなこともあるんだねぇ、と、思い切り違う世界の話しとして捉えただろう。

 ある意味、特殊技能を生かした就職活動とも言えるのかもしれないが、それが、超能力やら、霊能力と呼ばれる特殊技能だなんて、胡散臭いにも程がある。なのに、いまでは、そんなのは当たり前の環境に居るのだから、人生とは、ほんと、わからないものである。

「‥‥‥とりあえず、ちゃんと考えておく」

「そうしなさい。あと、まあ、ナルとのことも考えておきなさいよ」

「は?」

 予想外過ぎることを言われて、麻衣は、目を見開いた。

「恋愛と仕事は別だって言いたいけど、あんたがそっちの道に行くなら、ナルとの関係は絶対に切れないわ。だから、よく考えなさいよ」

「なんでナルがそこで出てくるかわかんない」

「‥‥‥本当にそう思うならいいけどね」

「本当もなにも‥‥‥だって、ナルだよ?」

「まあね。あの言動じゃ、このにぶにぶには、通じないかもね」

「綾子?」

「まあ、いいわ。そのうち、分かるだろうから、その時、考えなさい。それと、お茶、おかわり」

「はいはい」

 大量お土産を貰った直後なので、麻衣は、ここは喫茶店じゃないんだけどなぁ、などと、いまさらなことは言わずに、立ち上がった。

 そして、ふと‥‥‥。

 何気なく、ただ、本当に、なんとなく、扉を見た。途端、カラン、と、軽やかな音を立てて、扉が開き、麻衣は、視た。

 黒い黒い霧が、目の前を、覆うのを。

────‥‥‥チリン。

 美しい鈴の音が、どこか遙かに遠くから、鳴るのを。そして、黒い黒い霧の向こう側で、小さく、だが、鋭く、金色の光が、瞬くのを。

────‥‥‥チリン。

 鈴の音が鳴る。

 鈴の音が鳴る。

 黒い黒い霧の中、麻衣は、どうしてか、泣きそうな気持ちで。

────‥‥‥チリン。

 鈴の音を、聞いていた。

 そして、寂しくて寂しくて寂しくて悔しくて‥‥‥。なにもかもを‥‥‥。

 

 

     ※

 

 

「‥‥‥あの、こちらは、渋谷サイキックリサーチでしょうか?」

 問い掛ける声が耳に届いて、麻衣は、はっと我に返った。そして、目の前の人を、改めて、認識した。

────細い。

 それが、その人の第一印象だった。

 細くていまにも折れてしまいそうな、黒い服を着た、若い女性だった。

「あ、はい、渋谷サイキックリサーチです。ご相談ですか?」

「‥‥‥幽霊とか、呪いとかについて、調べてくれる所ですよね?」

「はい、そうです。合ってます」

 女性は、周囲を見回して、不安そうに問い掛けた。その気持ちはとても良く分かるので、麻衣は、力強く答えた。

「あの、では、話しを聞いて頂きたいのですが」

「はい、分かりました。では、こちらのソファ‥」

 ソファに、と、言いかけて、麻衣は、そこの惨状に気が付いた。綾子のお土産とか、写真とか、いろいろと、散乱していた。ついでに、超派手な、見た目では絶対に巫女には見えない綾子も、鎮座ましまししていた。

「‥‥‥す、すいません。いま、片付けます」

「麻衣、私が片付けておくから、お茶煎れて来なさいよ」

「え、でも」

「ほらほら、早く」

「え、じゃあ、お願い。‥‥‥あの、こちらに‥」

 掛けてお待ち下さい、と、言いかけて、麻衣は、固まった。

「‥‥‥‥‥‥」

 依頼人の女性は、どうしてか、泣いていた。

 立ち尽くしたまま、物が散乱しているテーブルの上を見つめて、泣いていた。

「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

 麻衣と綾子は、顔を見合わせた。

 そして、二人揃って、テーブルの上を見た。

 だが、少なくとも二人には、そこのどこにも、依頼人を泣かせてしまうような物を見出すことは出来なかった。

 

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ buck