‥‥‥‥‥‥‥

 

 

※こちらのお試し読みは、ブログにもアップしていたものです。

 

 

 

 

     1

 

 

 私には、秘密が、ある。

 

 

     ※

 

 

 怒濤の大学受験を終えて、初めて尽くしの大学生活が始まって、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が訪れていた。その頃には、私は、大切な人たちの居る住み慣れたアパートを出て、変則的な一人暮らしを始めたが、それも、なんとか慣れて来ていた。

 ただ、たまに、未だに、戸惑うこともあるけれど。たまに、どうしてなんだろう、と、思うこともあるけれど。聞きたくなることもあるけれど。でも、他の、いろんなことは結構順調で、なにも、問題ない。

 だから、いまは、黙っている。

 聞いても哀しませるだけのような気がするし、それに、いまは、これが、多分、正しいような気もするから。けれど、きっと、他の人がそれを聞いたら怒るだろうな、とは、分かっている。

 あるいは、騙されている、と、言われるかもしれない。

(‥‥‥でも。そんな感じは全然しないんだよね)

 ぽつりと内心で呟いて、私は、何気なく、外を見た。日が落ちるのが早くなったので、外は、もう、随分と暗かった。終業時刻間近だった。私は、慌てて、事務所の戸締まりをした。高校の時から続けていることだから、手際が良くなって、時間短縮できるから、あっと言う間に、戸締まりは終わった。だから、すぐに、後は、最後の締めをして、帰宅するだけになった。

(‥‥‥けど、それが、ちょっと、困るんだよね。困るって言うか、戸惑うって言うか、慣れないって言うか。今更なんだけど)

 最後の締めに、私は、奧の部屋、所長室の扉をノックして開けた。

「ナル、戸締まり終わったよ。私、帰るね」

「分かった」

 いや、分かったじゃなくて、と、私は、突っ込みたい。けれど、ほんと、今更で、慣れているから、待つことにした。ナルの「分かった」は「待っていろ」だから。

(今日、安原さん居ないもんね。今更、ぼーさん達も来ないだろうし。だから、だけど‥‥‥分かってたけど、うーん、やっぱり、緊張する)

 ソファに腰掛けて待つことしばし、帰宅準備を終えたナルが出て来た。そして、当たり前みたいに、先に行く。

「‥‥‥」

 あーもう、と、ぼやきたいのを我慢して、私は、慌てて、後を付いていく。

 外は、少し、寒かった。

 けれど、夏の蒸し暑さをまだ覚えているので、心地よいとも思った。それに、秋は、いろいろと美味しいものがたくさんなので、私としては、本格的な秋の訪れは、大歓迎だ。

(そういえば、綾子が、栗のタルトを作ってくれるって言ってたな。楽しみ。綾子のタルト美味しいんだもん)

「麻衣」

 至福の時間を思い浮かべつつ歩いていたら、名を呼ばれた。どうも余所事を考えていたせいで、少し、離れ過ぎてしまっていたらしい。

「あ、ごめん」

 私は、慌てて、ナルの所へ駆け寄る。

 けれど、隣には立たずに、後ろを歩く。

 隣に立ちたい気持ちはあるけれど、それは、しないことにしている。

 たぶん、ナルが、嫌がると思うし‥‥‥‥。

(‥‥‥うーん、でも、それは、考えすぎかな?)

 どうだろうと考えている間に、いつものスーパーにたどり着いた。あれ、と、一瞬、不思議に思ってから、ああ、そうか、と、思い出した。洗剤とかいろいろと買い出しに行きたいと、そういえば、朝、言った気がする。なので、とても、有り難い。けれど。

(いいのかなぁ?)

 買い物カートを押しながら、私は、戸惑う。けれど、なんだかちぐはぐだけど、言い出せない。うまく考えが纏まらない。買い物が終わっても、なんだかもやもやして、すっきりしない。

「麻衣、どうした?」

 戸惑っている間に、当たり前みたいに、エコバッグに入れた重い荷物を、ナルが持ってくれた。こんな時、私は、エコバックをダークグレーにしといて良かったと心底思う。迷ったけれど、物凄く可愛いピンクの子豚さんエコバックにしなくて良かったと。

「えと、荷物、有り難う」

「当然だ。買い物は終わりか」

「あ、うん」

「そうか」

 頷くと、ナルは、すたすたと歩き出した。そして、当たり前のように、スーパーから少し離れた所にあるタクシー乗り場に行く。タクシーはどうかなと思わないでもないけれど、いろいろと事情があるので、必要経費だと割り切って、私も、乗り込む。

「大分、涼しくなったね。すぐ、冬が来るね」

「そうだな」

 タクシーの中でも、ナルはいつもどおりで、私もいつもどおり。

 ただ、ダークグレーのエコバックだけがなんだか浮いている気がした。いや、そもそも、一緒にタクシーに乗って、帰宅することが?

(‥‥‥うーん)

 悩んでいる内に、タクシーは、真新しいマンションの前に辿り着いた。広々として、綺麗で、警備員と管理人が常駐しているようなマンションで、はっきり言って、私には、場違いな場所だ。最初、来た時も、物凄く、入りにくかった。けれど、いまさらそんなことを言っても無駄だし、他に行くところもない。場違いをしみじみと噛み締めつつ、私は、タクシーを降りた。勿論、ナルも、降りた。そして、二人で、同じマンションに帰る。

(なんだかなぁ)

 当たり前のけれど当たり前で無い日常に、私は、また、少し、異和感を感じた。

 サイズの違う服を着ているような異和感を。

 だが、ナルは、当然、頓着しない。

 当たり前みたいに、すたすたと歩いて、エレベーターに乗り込んで、セキュリティカードを差し込んで、最上階行きのボタンを押す。最上階のそのフロアには、七室だけがあって、一部屋がナル、一部屋がリンさん、そして、もう一部屋が私に割り当てられている。あと四部屋は空き部屋で、まどかさんがこっちに長期滞在している時に使うこともあるけれど、基本的には誰も居ない。一部屋は、書庫と機材置き場になっているようだけど、ほとんど使っていない。真ん中には、中庭まであるけれど、自由に使っていいらしいけど、使う機会は、やはり、ほとんど無い。勿体ないと思うけれど、セキュリティ上、他の住人を入居させないことは、絶対に外せないことらしいので、私は、勿論、なにも言わない。マンションの持ち主、大変気前の良いナルに心酔しているらしい支援者が是非使ってくれとのことらしいので、気にしても無駄だ。

 お金はある所にはあって、桁違いのお金持ちのことは、考えるだけ無駄だし。

 チン、と、軽く音が鳴って、エレベーターの扉が開く。音もなく勿論振動もなくスムーズに私たちは最上階に辿り着いた。あとは、自室に帰るだけなのだが‥‥‥。

(‥‥‥うーん。今日は、どっちかな)

「麻衣」

 悩む私に、ナルが、声を掛けた。

 また明日、ではないので、こっちに来い、だと、分かった。

 しかし、どうして、なんで、こんなに、なにもかもを省略するのか、と、少し、腹も立つ。

 だが、文句は、ナルが提げている、ダークグレーのエコバックの威力で引っ込んでしまう。

 正確には、言葉は絶対的に足らないが、態度で示す誠実さを思い出して、文句を言うのは間違っている気がしてしまったのだ。しかし、それにしても、もうそろそろ見慣れてもいいと思うのだけど、超絶美形とエコバックはちょっと似合わない気がする。

 特に、ナルには。

 いろいろな意味で。

(‥‥‥まあ、本人が気にしていないから、いいんだけどね。違うか。そんなことを気にしたら、それこそナルじゃないよね)

 ナルの背中を追い掛けて、私は、扉を、くぐった。

 ナルの部屋に、入った。

 扉が、閉まった。

 途端‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥っっ」

 顎を掴まれた。

 顔を上げさせられて、当たり前みたいに、キスされた。しかも、軽いキスじゃなくて、息ができなくなるような激しいキスを。

(‥‥‥だから、どうして、いつも、こう、唐突なわけ?)

 びっくりしたけれどいつものことなので抗わずに受け入れながらも、私は、なんだか、やっぱり、納得いかないと思った。いろいろなことが、いろいろと。そして、いろいろと聞きたかった。けれど、言わなかった。聞かなかった。それが、始まりの約束だったから。

『‥‥‥他の誰にも、言わない。それが、約束できるなら』

 その時、ナルが、あまりにも、辛そうだったから。

 だから、いまも、聞けない。疑問はたくさんだけど、概ね、私は、幸せで、特に、困っては無くて。秘密にしていることで、一番、困っているのは、実は、ナルなのだと、なぜか、そう、はっきりと確信してしまっているから。

(‥‥‥でも、このままは、長くは、続かない)

 そして、なぜか、そんなことも、思ってしまうから。むしろ、このままの方が良いような気もするから。だから、私は、目を閉じて、ただ、ナルを、受け入れた。

 痛いほどに強く抱き締められながら。

 

 

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ buck